ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

木枯らしの二人

2020-02-04 12:02:00 | 音楽

人生なんて、どこでどう転ぶか分からないものだ。

例によって週末、ノンビリとユーチューブを閲覧していた。科学もの、歴史もの、外食、レシピものと私の視るものは雑多である。たまに気分を変えて音楽を聴いていることもある。

すると懐かしい名前を見つけた、伊藤咲子である。私が小学生の頃にデビューした娘さんで「ひまわり娘」という曲で新人賞を取っている。

なんで覚えているかというと、若い歌手に辛口であった祖父が「この子は上手い」と感心していたからだ。声を精一杯張り上げるかのような歌い方にが妙に記憶に残っている。

その伊藤咲子の最大のヒット曲が表題の曲である。改めて聴いて思ったのだが、たしかにこの娘、歌上手い。喩えて言えば松田聖子クラスである。だが、私の記憶でも、聖子クラスの人気はなかったと思う。ちょっと気になって、週末あれこれとネットで検索してしまった。

この娘さん、たしかに歌は上手かったが、生き方は上手くなかった。ある恋愛スキャンダルで、券\界から干されてしまったからだ。相手は「イルカに乗った少年」こと城みちるである。

城青年自体、このスキャンダルで券\界を追放され、なにを思ったのか大学受験を志し、駒澤大学に入学した。ただ厳しかった芸能生活の反動か、かなり堕落した大学生であったようだ。実はこのことは、私知っていた。

芸能ごとに疎い私がなんで知っているかというと、私が駒沢大学の隣町である三軒茶屋に住んでいたからだ。彼の噂は銭湯で聞いたように思う。城青年は夜な夜な雀荘に現れて、麻雀に興じているとのこと。その時に、既に伊藤咲子とは別れているとも聞かされていた。

当時、既に名前を聞くことさえ稀であった伊藤咲子が券\界から姿を消した理由を、その時に知ったと思う。まだ十代前半のガキであった私には、随分と厳しい世界だなと感じる程度で、まるで分かってはいなかったと思う。

その後、意外なところで城みちるの名前を目にすることになる。なんと西原理恵子の漫画であった。西原の麻雀の師匠である山崎一男(銀玉親方)が駒沢大学の学生であった頃の、麻雀友達の一人が城みちるであったからだ。

銀玉親方は、いっちゃ悪いが、私からすると境界線上の大人である。堅気の世界と、裏社会の境界で棲息している、いわゆる胡散臭い人物だと思う。西原自身、漫画家として、また人として堅気の世界にかろうじて引っかかっている人なので、このような人物とも付き合えるのだろう。

そんな西原だから銀玉親方に頼んで、城みちると会った時も、伊藤咲子とのスキャンダルをほじくるような事はしていない。人の嫌がることを好んでやる西原だが、触れるべきでないことは知っているのだろう。

人生には、どこかに陥穽があって、知らず内に墜ちてしまうことがある。もう元の世界に戻れない、そんな弱気になった時は、不思議と堅気の人と会うのは苦痛である。芸能界を放逐された城青年にとっては、健全な大学の構内よりも、タバコの煙がもうもうとした雀荘のほうが心地よかったのだろう。

多分、城青年は雀荘の燻った雰囲気の中で心を癒し、次の人生へと動く機会を伺っていたのだろうと思う。実際、その後郷里に帰り、仕事に就き、家庭を持ち、第二の人生を無事歩んでいるそうだ。

一方、伊藤咲子だが、芸能界復帰の前に結婚して、完全に姿を消してしまった。が、子育ても終わった頃に離婚し、現在は細々と芸能活動を復活させているそうだ。

私はこのことが分かった時点で、検索することを止めてしまった。あまり良い予感がしなかったからだ。若い時に歌が上手かったからといって、その後歌うのを止めた人の場合、元の歌唱力を戻すのは結構難しい。

単に年齢による歌唱力の衰えもあるが、それ以上に若い頃の歌い方と、年を重ねてからの歌い方は同じではないと思うからだ。それを分かったうえで、年齢を重ねても歌が上手い歌手は、相当な努力をしている。

職務上の倫理規定に抵触するので詳細は書けないが、ボイストレーニングだけでなく、様々な努力をして歌手としての能力を維持する努力をしている方を知っているので、それがもの凄く厳しいこと分るからだ。

別に意地悪で書いている訳ではない。若い頃の伊藤咲子は本当に歌が上手かったと評価している。だからこそ長いブランクの後で、その能力を戻すのは本当に厳しい。

歌手であることよりも自らの恋愛を優先した彼女に、果たして復活のための厳しい試練を乗り越えられるのか、私はいささか厳しく見ています。まァ少しは期待しているのも事実ですけどね。

コメント (2)
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