私は子供の頃からの警察嫌い。
とにかく嫌いだった。よくよく思い出してみると、まだ幼稚園の頃に、どこぞの屋敷に潜り込んで虫取りをしていたのを発見されて、交番に引っ張られた時の印象が悪かったのだと思う。
今にして思うと、あのお屋敷、多分政府のお偉いさんのお宅だったようだ。何故なら門ペイの脇にテントが張られていて、警官が警備していたからだ。そしてもちろん私らガキどもは正門なんざ無視して、裏の垣根の隙間から入り込んでいた。
虫取りに聖域なしというか、欲しい虫がいそうな場所ならば、そこが米軍基地の敷地内であろうと平然と張り込むガキンチョの私である。ただ、あの時の警官の態度は悪かった。いや、悪質だっとと思う。怪我の跡が残らないような場所を執拗に痛めつけられた。
嫌なことは数日経つと忘れる、能天気頭の私だが、あの厭らしい痛みは忘れがたく、警官を見ると敵意と警戒感が生じる。特に致命的だったのは、近所のお兄さんがデモに参加して、機動隊の棍棒で頭をやられて植物人間と化した事件だった。
私はそのお兄さんとは、あまり縁がなかったが、そのお母さんと弟さんたちとはご近所での顔見知りであったので、あの悲痛な泣き声は今でも記憶に残っている。米軍基地の隣町であり、当時は砂川事件などがあり、けっこう物騒な街であった。
そのせいで、母からは立川の米軍通りには絶対に行くなと厳しく言われていた。もちろん米軍通りには行かなかった。母は知らないようだが、あの通り自体は賑やかではあるが、金がないガキには無縁の場所だったからだ。
むしろ面白かったのは、その裏通りであった。犬と日本人お断わりの飲み屋街に行けば、酔っぱらった米軍兵たちがうろうろしており、機嫌がイイ米軍兵からは、ハーシーのチョコやペッツのガムが貰えた。
この界隈は日本の警察官は近寄ってこない。ただ、その代わりにMP(ミリタリーポリス)が巡回しており、私たちガキンチョを見つけると、市役所通りの方へ放り出される。でも、大柄な白人のMPたちは、概ね優しかった。
ただ、たまに意地悪な奴もいた。特に軍用犬を連れているMPは要注意だった。あの犬たちはマジで怖かった。噛まれることはなかったが、あの唸り声だけで、ビビってしまう。犬好きの私であったが、あの犬たちは危ないと本能的に気が付いた。幼馴染のジュンちゃんなんて、本気で怖がって、ちょっとだけ漏らしていたぐらいだ。
この手の意地悪MPや日本人警官は、けっこう居て、こいつらの顔を見かけたら速攻で逃げ出していた。ところが不思議なことに、学校のクラスメイトには警官が好きというか、将来は警官になりたいなどと言う奴もいた。
だいたいが、クソ真面目な奴が多かった。むかつくことに勉強も良く出来るいけ好かない奴らだった。当然に私らとは仲が悪く、クラスでもいがみ合っていた。後になって分かったのだが、親が警官だった。
カエルの子はカエルであるのと同様に、警官の子は警官、先生の子は先生、そんなケースをよく見かけた。当時の私は、敵の子は敵くらいにしか思っていなかった。ただ、あいつらはイジメの的には出来なかった。それがヤバイことぐらいは悪ガキどもの貧弱な頭でも分かっていた。
後年、大人になってからも無意識に警官嫌いは続いたが、狡賢くなっていたので、それを表に出さない程度の世間知は持ち合わせていた。そのうち、年齢を重ねるにつれ、警官の子が警官になろうとする理由が次第に分かってきた。
理解が遅れたのは、私が基本的に世間の裏通りを好む偏屈な性格だからだ。多分、良家の子女が多く通う大学で4年間を過ごしたことも影響している。やはり最終学歴って大事だと思う。
偏見まみれの私が、多少でもバランスよくなってきたのは、お坊ちゃん、お嬢ちゃん達と知り合う機会があったからこそだ。あいつらと知り合うことがなかったら、どれほど毒舌と偏見を自覚なくばら撒いていたことか。ちょっとゾッとするほどである。
ところで警察嫌いは治ることなく今も続いているが、不思議なことに子供の頃からミステリー好きである。ただ刑事が活躍するものより、私立探偵が活躍するものを好んでいたことは確かだ。
だからあまり警官が活躍する小説は、若い頃はほとんど読んでいないと思う。例外は87分署シリーズぐらいだ。まぁ、あれは外国の話だから許容できた。日本の警察ものは、小説、TVドラマ、映画を問わず嫌っていた。それだけに40過ぎてから、読みだすようになると、警察小説嫌いは単なる食わず嫌いであったことが良く分かった。
そんな代表作の一つが表題の作品だ。(長くなりすぎたので、感想は次回)