ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

潔癖症

2020-07-22 12:00:00 | 日記

以下、私の腹立ち紛れの駄文です。もちろんフェイクてんこ盛りなので、該当者を探すような無駄はしないようにお願いします。

山登りをやっている頃、飲み水はパーティの共有財産であった。登山中の休憩時には、体力の弱い人の水筒から先に皆で飲みまわすのが慣例であった。

子供の頃からカブスカウトなどをやっていた私にとって、それは当たり前のことであり、疑問に思うことさえなかった。だから同じ水筒に直接、口をつけて飲みまわすことへの違和感などない。

しかし、潔癖症の人には辛いであろうことは容易に想像がつく。

特に一人っ子で育ち、親から蝶よ花よと大切に育てられた人には、水筒の回し飲みなんて、おぞましい蛮行にしか思えないのだろう。ついでに言えば、この回し飲みは男女共通なので、「いや~、間接キスなんて耐えられないわぁ~」と叫ぶ女子もいたかもしれない。幸い、私の周囲にはいなかった。

潔癖症の方の言い分というか理屈は分かり易いが、私は内心馬鹿じゃないのかと思っていた。

極々少数だが、過去にそのように水筒の回し飲みを拒否する人はいたが、それも短期間で終わった。当たり前である、炎天下の山中に、重い荷を背負って登山をしていれば、どうしたって水は文字通り命の水である。

理屈よりも先に生存本能が水を欲する。それまで自分は自身のコップで、自分だけ別の水筒から水を飲みますと宣言していた新人が、いつのまにやらみんなと水筒の水を回し飲みし始めるのに、さして時間はかからない。

私の在籍していたワンゲル部では、水は一年生から優先的に飲ませる。上下関係の厳しい部であったので、ちょっと意外でもあったが、これは理に適ったものであった。

山に馴れてくると、水は必要だが、それほど切迫しなくても登山は出来る。しかし、山に不慣れな新人の場合、登り始めて一時間もしないうちに、身体が、本能が水を求める。休憩時間が何よりも恋しくなり、ただの水道水である水筒の水が甘露としか感じなくなる。

潔癖症であろうとなかろうと、本能が水を欲して止まないので、水筒の回し飲みを受け入れざるを得ない。ちなみに、誰もそれを笑ったりしない。激しい登山中に、水を欲し、水を夢見るのは誰にでも経験があることだからだ。

そのような経験があるので、私はわりと潔癖症の方を馬鹿にしている。現実問題、あれは一種の恰好付けだと思っている。無意味な自己満足とさえ思っている。

なぜなら人間は、決して潔癖な生き物ではないからだ。人間の体表には、手足を問わず雑菌がいたるところに隠れ潜んでいる。それは黴であり、菌糸であり、微生物でもある。ウィルスだって存在している。

潔癖症の人は理解を拒否しているようだが、これらの雑菌は、人間に害を為すばかりではない。むしろ人間に有益な場合も少なくない。確かに人間に有害な雑菌も存在する。その一方で、その有害な雑菌を食べる雑菌も存在している。

人間の体表だけでも数百万の雑菌が存在している。そして体内には、その数十倍の雑菌が存在している。ピロリ菌のように有害なものもあれば、体内の有害物質を処理する有益な雑菌も多数存在している。人間という哺乳類は、雑菌と共棲することで生きてきたのが現実だ。

ところが、これを知識として理解しているようで、理解しないのが潔癖症の人である。清潔な自分に酔い痴れているのだろうと邪推している。

まぁ多くの場合、潔癖症の人は自分だけが清潔ならば、それで満足なのでさほど迷惑なものでもない。でも、潔癖症の家族、とりわけ母親が潔癖症の場合、子供たちは大変な目に遇うようだ。

あれはまだ私が十代の頃だ。当時は近所に子供が多く、夏になると公園で盆踊りを自治会主催でやっていた。夜しか在宅していない私であったが、丁度夏休みであったので、手伝いに駆り出された。

もっとも私に求められたのは、祭りの後始末、つまり片づけである。だから夜の9時以降からの役割なので、それまではノンビリと盆踊りを楽しんでいた。でも、別に踊っていた訳ではなく、屋台の駄菓子やら焼きそばなどを抱えて、食べ歩いていただけである。

私は高校を卒業してから、この地に引っ越してきたので、この辺りには幼馴染はいない。しかし高校の学区は同じ地域なので、高校の同級生ならば数人いた。ただ、親しくしていた奴は皆無で、単なる顔見知りの域を出ない。

だから同じ高校出身の同級生であるAと遭遇した時も、軽く挨拶しただけだ。クラスも部活もまったく違ったので、私は彼女のことはよく知らなかった。ただ、私は地味な割に知名度が高いので、Aの方から挨拶されて思い出した程度である。

知名度が高かったのは、成績が学年でトップクラスにもかかわらず遅刻の常習犯であり、生徒委員会の議長などもやっている癖に、喫煙飲酒の常習者という変わり者であったからだと思う。

ちなみにAのことは、顔だちの綺麗な娘さんとしか印象にない。だから彼女が潔癖症で、屋台の焼きそばとかに嫌悪感を示すことは、その時初めて知った。私が立ち食いしている焼きそばを不潔だと言ってきたのでウンザリした。まぁ別にAが不快だろうと、私は食べたいものは食べる主義なので、さっさとその場を立ち去った。

それから10年ほど経った。大学を卒業して働き出した私は、数か月で身体を壊し、一年近い入院生活の後に家に戻ってきた。治ったわけではなく、自宅療養に切り替わっただけ。食べて、薬を飲んで寝るだけの退屈な毎日だった。

だから近所で盆踊りが開かれた時も、「ウルサイなぁ」としか思わなかった。でも気分転換の必要性は感じていたので、盆踊りの会場へと行ってみることにした。盆踊りには興味がないけど、それでも聴こえてくる「東京音頭」に、なんとなく心が浮き立つから不思議だ。

盆踊り用の会場の周囲には、いつものように夜店が立ち並び、美味しそうな匂いが漂ってくる。焦げたソースの匂いに惹かれて、焼きそばの屋台に向かおうとすると、なにやら騒がしい。

騒ぎの中心に近づくと、子供を抱えた若い母親のヒステリックな怒声と、それに負けじと大声を上げる中年男性、仲介に入ろうとしている人たちの声で、なにがなんだか分からない騒ぎとなっていた。

よくよく見ると、その母親はAであった。私の記憶にはない歪んだ表情で、抱えた子供を盾ノして、周囲を威嚇している。なんなんだ?

私はその当時、免疫力が低い状態であったので、人混みのなかに入っていくのは躊躇われた。だから近づかず、迂回してアンズ飴と焼き鳥を買うと、早々にその場を立ち去った。

後日、噂話に詳しい近所の奥様方に訊いたところ、事の顛末がようやく分かった。子連れの若い母親(Aのことだと思う)が、焼きそばを欲しがる子供に向かって、他人が素手で作った不潔な食べ物はダメだと叱りつけた。それを耳にした焼きそば屋の屋台のオジサンが抗議したところ、ヒステリックにAが騒ぎ出した。それを止めようとした自治会の会長たちも入り混じり、大騒ぎになってしまったとの事。

Aの奴、なにやっているんだ?

この騒ぎは予想外に大きくなり、結局この年を最後に自治会主催の盆踊りはなくなってしまった。屋台の営業妨害との主張は当然だと思うが、当時の自治会長たちが、Aの主張に何故か同意して、屋台業者にビニールの手袋とマスクの着用を求めたことで猛反発を受け(当然だ)、それに共感した近辺の協賛企業からの寄付金停止となり、資金不足から盆踊りの開催が出来なくなったそうだ。

私に言わせれば、Aを出入り禁止にすれば良いだけのこと。保健所の許可を受けての営業をしている屋台業者からすれば、自治会の要求は無理難題でしかない。たしか、どこぞの団体の職員であったという当時の自治会長が、両者の折衷案だと分かったような、分かってない解決案に拘ったのも大きな原因であるらしい。

以来、この地区では盆踊りは行われていない。

私は盆踊りに拘りはないが、夏祭りがなくなったのは寂しいと思う。特に屋台のたいして美味くもないが、それでも心惹かれるジャンクな食べ物を食べれなくなったのが一番寂しい。

後年、同窓会などで小耳に挟んだ噂だと、Aは結婚後、離婚して子連れで戻ってきたようだが、その離婚の原因はAの行き過ぎた潔癖癖であったらしい。

私のような水筒の回し飲みをし、味噌汁に虫が飛びこんでも、さっとつまみ上げて放り出し、平然と飲んでしまうようながさつな人間には、潔癖症は理解の域を超える精神疾患にしか思えない。

人間、多少汚れているくらいが楽しくストレスなく生きられると思うのですがねぇ。

コメント (2)
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