ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「暴走する文明」 ロナルド・ライト

2008-10-24 12:21:21 | 
日本に生まれて、良かったと思う。

古来、数多の文明が勃興し、やがては没落していった。おそらくは、人類最古の都市国家を築き上げたシュメール文明だが、現在その遺跡の跡からは過去の栄光を窺わせるものは少ない。

その壮大なブロック造りの都市を築くため、森は刈り払われ、平野と化した。優れた土木技術で灌漑を施し、豊かな穀倉地帯を作り上げ、膨大な人口を養った。

しかし、森を失ったため保水力を失した大地は乾燥しはじめ、灌漑により水を強引に撒いたがゆえに、大地は急速に枯渇して、ついには塩を吹き出し、耕作は不可能となった。

人間が豊かな生活を実現するために努力した結果、大地は干からび、荒涼たる砂漠と化した。森と水を失くしたら、人は生きてはいけないのだろう。

シュメールだけではない。今日に至るまで、数多くの文明が森を刈りつくして、豊饒な大地を荒地と化した。自然の回復力以上に富を求めて、灌漑により大地の富を簒奪して、自らの首を絞めた。

その点、日本列島の住民は幸せだった。寒流と暖流のぶつかり合う荒波の海に浮かぶ日本は、常に豊富な雨に恵まれていた。しかも、島の大半は緑豊かな山であり、その山から流れ出した川の作る三角州は、豊かな農業を可能ならしめた。

ただ、寒暖の激しい四季の移り変わりと、台風の襲来が、人々に暢気な生き方を許さなかった。平地の少なさゆえに、人々は思慮を尽くさないと生活することが難しかった。勤勉であらねば、生きていけない厳しい環境であるがゆえに、人々は知恵を高めあう必然性があった。

絶えざる天災と、人智を尽くして生きる努力を必要とする厳しい環境にあったからこそ、日本列島の住人は知力を向上させ、外国からの変化の強要にも対応できたと思う。

表題の本を読んでつくづく思ったのは、人間は自然と共棲しなければ生きてはいけないものだということだ。欲望の赴くままに放置すると、文明は必ず暴走する。暴走の結果が、中東の砂漠であり、シナの中原の乾燥した荒地だ。

現在の世界の金融市場の暴落も同じようなものなのだろう。欲望を無制限に放置すると、必ず暴走する。跡にのこされるは、寂寞とした荒地だけだ。人間は、自らの欲の深さゆえに、自らの首を絞める。

更地にして売らない限り、一円にもならない野山だが、その森があるからこそ綺麗な水が維持され、豊かな自然の恵みがもたらされる。それなのに、今も宅地開発という自然破壊は止まない。ちょっとした豪雨で、がけ崩れを起して新築の家が壊される愚かさは、何度と無く繰り返される。

豊かな自然があるからこそ、日本は荒れ果てることなく、現在の繁栄を享受できる。自然の大切さを忘れずにいたいものだ。
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原子力空母の横須賀母港化に思うこと

2008-10-23 12:10:40 | 社会・政治・一般
アメリカ大統領選挙のニュースが、新聞に載らない日はない。

共和党のマケインか、あるいは民主党のオバマかと騒がしい。現在、優勢が伝えられるオバマ氏が当選すると、日米関係は厳しくなるとの予測が多いが、如何なものかと思う。

たしかにアジアに関しては北京政府寄りの立場を出すことの多いのは民主党だ。クリントンの時代に、日米関係ではきしみが目立ったのも事実。経済摩擦の厳しさから、日本か苦杯を舐めたことを忘れたわけではない。

ただ、マケインであろうとオバマであろうと、日米関係の基本は変らないはずだ。正確には、アメリカの基本戦略に変更はない。

戦後の日本は、異常なくらい経済に主眼を置いて国際関係を計る悪癖がある。経済は重要な項目ではあるが、絶対的な指針ではない。古今東西を問わず、普通の国は国防を第一に掲げる。平和が保持されてこその経済であるのだから、当然だと思うが、何故か日本では通じない常識らしい。

アメリカの国防戦略の基本は、ここ100年変っていない。自国を中心に大西洋と太平洋の両端に国防ラインを引く。大西洋の先にはイギリスを、太平洋の先には日本と言う前線基地を置いて国防の中心とさせる。日本が逆らった太平洋戦争の時期を除けば、基本的にこの国防戦略は変っていない。

国防に関すると、今年一番のニュースは、アメリカの原子力空母ジョージ・ワシントンが横須賀を母港と定めたことだ。私の知る限り、原子力空母がアメリカ本国以外を母港とした最初のケースだ。

アメリカは今も、原子力空母艦隊を国防の第一線に置く。その中心的存在を日本に配置することが意味するのは、日本列島を国防拠点として手放す気がないことだ。これは民主党であろうと、共和党であろうと変りそうもない。

である以上、日本が独自の判断で出来ることは、あいも変わらず乏しく、今後とも対米追随を演じざるえない。間違っても、反米的政権を許すことはあるまい。仮にそのような事態が生じたら、CIAがクーデターを計画して、親米政権樹立を目指すかもしれない。

まあ、実際には対米関係の重要性を熟知している霞ヶ関の官僚たちが、反米政権を骨抜きにしてしまうほうが可能性は高いと思う。田中角栄への献金疑惑退陣や、細川政権の謎の退陣は、アメリカの意向に過度に反応した日本側の自主的活動の成果だと私は疑っている。

来るべき衆議院選挙の結果がどう転ぼうと、日米関係に大きな変化は生じない。従って、北朝鮮問題もアメリカ頼り、原油を始めとしたエネルギー戦略、食糧問題もアメリカ次第。自主憲法でさえ、アメリカが望まぬ限り変らないと思う。

出来ることが制約され、限定される以上、その範囲でベストを尽くすしかあるまい。実のところ、日本はこれが得意。戦略を描くのは苦手だが、戦術を活用するのは意外と上手なお国柄。ただし、失敗も当然にある。

私は日本国内に限れば少子高齢化社会への転換が21世紀の課題だと思うが、世界的にみれば人口増大と石油不足、食糧不足が課題になると思う。少しずつでいいから、この分野の本を読んで、自分なりに勉強したいと思う、今日この頃です。
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「OLパラダイス」 千葉なおこ

2008-10-22 13:56:28 | 

まだ昭和の終わりの頃の昼食後の、気だるい午後だった。

電話をとると、新入社員である私の指導担当のF女史のお母さんだった。内線電話で向の席のF女史に電話を回す。

F女史が電話を受け「あ、お母さん、何?」と話すのを、聴きつつ読みかけの資料を手に取った矢先だった。いきなり立ち上がったF女史が「え~~!、岡田有希子が自殺した!」と大声を上げた。

次の瞬間、支店内はパニックに陥った。その時、60人ほどのOLと私を含め3名の男性社員がいたが、OL達の騒ぎで支店の機能はストップした。休憩室のTVの前に鈴なりとなり、ラジオのボリュームは全開。

勤務中の私語厳禁のポスターがバカに見えるほどの喧騒に圧唐ウれた。支店長は早々に会議室に逃げ込み、総務課長は机に伏せて、何も見ないし、何も聞こえないふりをしている。私はただ呆然とするばかり。

あまりアイドルに関心のなかった私でも、あの真面目で一途そうながら、どこか不器用な感じのする可愛らしい娘さんであることぐらいは知っていた。しかし、まあ、自殺とはと思っていたら電話が鳴り出した。

当然に仕事の電話である。でも、券\人の自殺報道に興奮したOLたちは誰も取らない。止む無く私が出るが、立て続けに電話が鳴った。でも、誰も取らない。

これが噂に聞く、OLグループの男性社員いじめかと思い、負けてなるもんかと電話を両肩にはさみ、PCの端末を2台同時に操り、あいまにCICにとびつく。しかし、更に電話が追い討ちをかける。気づいた総務課長と支店長の3人で必死に対応すること30分。

マーフィーの法則ではないが、なぜに電話は一時に集中するのだろうと思い悩む暇も無く、相変わらずお喋りに夢中なOL連中を無視して、電話対応に集中する。四本の電話に時差対応して、なんとか乗り切る。人間、やれば出来るものだと妙に感心したものだ。

しばらくして、電話も落ち着き、椅子に寄りかかって一休みしていると、F女史がお茶を入れてくれた。そして一言「女の子をバカにすると怖いのよ」。

言いたいことは山ほどあったが、ここは黙ってやり過ごす。外回りの若手営業男性たちと、内勤のOLの反目は、新人の私には無関係だと思いたかったが、そうもいかないようだ。

ただ、分ったことがいくつかあった。中立と思われた年配のOLさんたちも、いざとなったらやはり女の子たちのグループに協力すること。そして、支店長はこの件には無力であること。なにより、中立の立場は許されないことだ。

この岡田有希子自殺事件を契機に、私は開き直ってOLグループに協力する立場をとることとなった。内勤の立場では、それ以外に選択肢はなかった。どうせ男性社員はライバルと割り切り、逆にOLグループの協力を得て営業成績を飛躍的に伸ばしたのは以前書いたとおり。

もし、身体を壊さず、あのまま会社に居たら、一体どんな人生が待っていたのか興味深いと思う。

表題の漫画は、こんなアンポンタンなOLが居たら困ると思いつつ、ついつい笑ってしまう四コマ漫画です。まさかとは思うが、作者によると実在の人物がモデルだとか。疑いつつも、これに近い奴なら、私にも何人か心当たりがある。間違っても部下には欲しくはないが、身近にいたら楽しい毎日だろうなとも思う。まあ、気分転換にどうぞ。

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お前が弱い

2008-10-21 12:18:01 | 日記
情けなくなって、涙が出てきた。

北海道のど真ん中にそびえる大雪山連峰。その東南側に連なる山稜が、容易に人を近づけない石狩岳だ。技術的に難しい山ではないが、アプローチが悪い。大学一年の夏休みは、WV部の合宿である大雪山登山で始まった。

今はもう廃線になった国鉄のローカル線の終点駅にはホームがなかった。列車から飛び降りて下車したのは初めてだった。タクシーを予め呼んでおき、簡易な舗装をされた林道にはいってもらう。本来閉まっているはずのゲートが開いていたため、運転手さんのご好意で、林道の終点まで車でいけたのは僥倖だった。

なにせ、歩けば3時間かかる道だったので、重いザックに怯えていた私ら一年生は大喜びだった。大幅な時間短縮であったが、翌日からの石狩岳の登りの厳しさには変りは無い。

翌朝、まだ暗いうちから登りだしたが、予想通りの厳しい登りであった。ただ、予め覚悟していたので、思ったよりは楽に頂上までたどり着けた。しかし、地獄はここから始まった。

北海道は緯度の関係で、森林限界が2000メートル前後となり、後は高山植物の世界だ。本州ならば、儚いほどか細い高山植物だが、ここは違った。這い松が凶暴だった。

高山の吹き降ろす強風が、松の木が上に成長することを許さず、その結果地面を這うように幹を伸ばすことから、這い松と呼ばれる。アルプスなどではお馴染みの高山植物だが、北海道の原生林では、本州の這い松が可愛く思えるほどの強固な枝ぶりだ。

この這い松の生茂る稜線を、上り下りを繰り返しながら大雪山系の中心部へ向かうのだが、これが厳しい。這い松の枝が邪魔して、真直ぐ歩けない。それどころか、木登りよろしく、這い松の上を四つんばいで動く羽目になった。

背中に背負うザックは、重量が40キロを超える。単に登るだけなら慣れていたが、木登りまでは想定外だった。おまけに夏の日差しが容赦なく照りつけて、頭は朦朧としてくる。這い松を降りて、砂礫の登山道を歩くと、緊張感がほぐれて眠気さえ催すほどだ。

いきなり、頬を張られた。

「しっかり、眼を開けろ!」と前を歩く先輩にビンタされた上に怒鳴られた。ふと足元をみると、左側は這い松の切れ目で、崖となって数百メートルの断崖となっていた。背筋が凍った。

命拾いしたのは間違いない。ただ、無性に悔しくなってきた。なんで俺、こんなところにいるの?なんで、こんなに苦しんでいるの?情けなくって、惨めったらしくって、気がついたら涙が出てきた。

ビンタをかましてくれた先輩は、命の恩人なのかもしれないが、その時は怒りの気持ちのほうが強かった。ただ、情けないことに、疲労困憊で逆らう気力がなかった。

照りつける日差しと、流れる汗が涙をあっという間に消し去り、肩にのしかかるザックの重みが、怒りの感情を押し潰してしまった。はやくその日の幕営地に着きたいと切に願っていた。自分の弱さを人のせいにしている暇なんか、まるでなかった。

ただ、夜になり寝袋の中で思い出すと、やっぱりむかつく。なんで、ビンタされるんだと腹がたち、部活を辞めたくなった。手帳に退部届けを書いてみるが、いかんせん、ここは人里遠く離れた山の中。辞めるにしても、下山してからだ。下山したくとも、最低3日はかかる山奥だ。止む無く、悔しさを押し殺して眠りに付く。

根が能天気な私は、大概の嫌なことは忘れるが、それでもこの悔しさは忘れなかった。でも、やっぱり自分が弱いのが悪い。自分の弱さを、他人に押し付けるのは性に合わない。すげえ、情けないと思う。

最近、情けない男の、みっともない事件が多い。格差社会の落ちこぼれだか、なんだか知らないが、甘ったれるなと怒鳴りたくなる。手前の情けなさを棚に上げて、他人に八つ当たりするなと言いたくなる。更に言うなら、こんな野郎に同情するな。

今も昔も格差があるのが当たり前。秋葉原の無差別八つ当たり殺傷事件の犯人なんざ、私からみれば恵まれすぎ。身体が十分健康じゃないか。なにが、女にもてない、友達がいないだ。不満ばっかり垂れ流す奴と、仲良くなりたい奴なんざいるわけない。

途上国のスラム街の若者のほうが、よっぽど健全に思える。周りが裕福で、恵まれて見えようと、そんなの関係ない。まずは、自分自身を見つめなおせ。自分の幸せは、自分で掴むものだ。幸せは他人との比較ではなく、自分の心で推し量れ。

最近、雑誌などでどこぞの社会評論家が、賢しげに社会の不公正を原因に取り上げ、妙な擁護をしていて、無性に腹がたった次第。なんでもかんでも、社会のせいだとか、他人のせいにするな。まずは、自分を直視しろと言いたいね。
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「田宮模型の仕事」 田宮俊作

2008-10-20 12:18:27 | 
子供の頃はプラモデルが大好きだった。

小学生くらいまでは、単に組み立てるだけでなく、ほかのパーツと組み合わせて改造するのが好きだった。有名な戦艦大和は、私からするといささか不細工に思えた。世界一といわれた砲塔だけをはずして、私の好きな重巡洋艦高雄に取り付けて、これぞ世界最強などと楽しんでいた。

今なら分るが、あのクソ重い戦艦用の砲塔を、巡洋艦に載せればバランスが崩れ、さぞや操艦性の悪い軍艦になったと思う。使用する砲弾だって巨大に過ぎ、装備できる弾数も限られたものになることは必須だと思う。

さすがに中学生になると、その手の子供っぽい改造は止め、その代わりにリアリティを求めるようになった。ところが、これが難しい。プラモデルって奴は、その製造メーカーの技術水準により、精度にかなりの差が出た。

戦車と戦艦が好きだった私にとって、プラモデル・メーカーの二大巨頭が長谷川と田宮だった。この二社のプラモデルは、出来が違った。だからこそ、今でもその名前を覚えている。

表題の本を読むまで知らなかったが、どちらも静岡県で生まれた会社だ。元々は木材加工を主とし、赤石山脈で採取され大井川を流された木材の加工業者としてスタートしたらしい。

今でこそ、プラスチックを使った模型が主流だが、戦後しばらくは木製の模型だった。木材の加工を得意とした田宮が、余業として始めたのが木材模型の製造だった。しかし、その後アメリカよりプラスティック加工の模型が入ってきて、業界に革新が起きた。

見よう見まねでプラモデルを始め、ついには世界屈指のプラモデル・メーカーとして成功している。大人も喜ぶF1のプラモデルから、子供たちに大ブームを巻き起こしたミニ四駆の玩具まで、田宮の名前は燦然と輝く。

その原点は、徹底した現場主義。本物の戦車を求めて戦火のイスラエルに飛び、ソ連製戦車を実際に見に行ったからこそ、T54戦車のプラモデルは生まれた。

キューベルワーゲンや、シューベルワーゲンといった特殊なドイツ製四輪駆動車までも製品化して、世界のプラモデラーから絶賛される。実を言えば、私もこのみょうちくりんなデザインのドイツ製ジープの大ファンだ。

好きだから、面白いからとの想いで作られたプラモデルは、世界中のファンから愛された。この熱い想いがあったからこそ、田宮の模型は出来が良かったのだと、改めて実感させられた。

やっぱり日本は、ものづくりの国だね。魂込めて、良いものを作ることが出来る間は、日本は沈まないと思う。
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