古来、数多の文明が勃興し、やがては没落していった。おそらくは、人類最古の都市国家を築き上げたシュメール文明だが、現在その遺跡の跡からは過去の栄光を窺わせるものは少ない。
その壮大なブロック造りの都市を築くため、森は刈り払われ、平野と化した。優れた土木技術で灌漑を施し、豊かな穀倉地帯を作り上げ、膨大な人口を養った。
しかし、森を失ったため保水力を失した大地は乾燥しはじめ、灌漑により水を強引に撒いたがゆえに、大地は急速に枯渇して、ついには塩を吹き出し、耕作は不可能となった。
人間が豊かな生活を実現するために努力した結果、大地は干からび、荒涼たる砂漠と化した。森と水を失くしたら、人は生きてはいけないのだろう。
シュメールだけではない。今日に至るまで、数多くの文明が森を刈りつくして、豊饒な大地を荒地と化した。自然の回復力以上に富を求めて、灌漑により大地の富を簒奪して、自らの首を絞めた。
その点、日本列島の住民は幸せだった。寒流と暖流のぶつかり合う荒波の海に浮かぶ日本は、常に豊富な雨に恵まれていた。しかも、島の大半は緑豊かな山であり、その山から流れ出した川の作る三角州は、豊かな農業を可能ならしめた。
ただ、寒暖の激しい四季の移り変わりと、台風の襲来が、人々に暢気な生き方を許さなかった。平地の少なさゆえに、人々は思慮を尽くさないと生活することが難しかった。勤勉であらねば、生きていけない厳しい環境であるがゆえに、人々は知恵を高めあう必然性があった。
絶えざる天災と、人智を尽くして生きる努力を必要とする厳しい環境にあったからこそ、日本列島の住人は知力を向上させ、外国からの変化の強要にも対応できたと思う。
表題の本を読んでつくづく思ったのは、人間は自然と共棲しなければ生きてはいけないものだということだ。欲望の赴くままに放置すると、文明は必ず暴走する。暴走の結果が、中東の砂漠であり、シナの中原の乾燥した荒地だ。
現在の世界の金融市場の暴落も同じようなものなのだろう。欲望を無制限に放置すると、必ず暴走する。跡にのこされるは、寂寞とした荒地だけだ。人間は、自らの欲の深さゆえに、自らの首を絞める。
更地にして売らない限り、一円にもならない野山だが、その森があるからこそ綺麗な水が維持され、豊かな自然の恵みがもたらされる。それなのに、今も宅地開発という自然破壊は止まない。ちょっとした豪雨で、がけ崩れを起して新築の家が壊される愚かさは、何度と無く繰り返される。
豊かな自然があるからこそ、日本は荒れ果てることなく、現在の繁栄を享受できる。自然の大切さを忘れずにいたいものだ。