ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

柔道部物語 小林まこと

2009-12-24 18:45:00 | 
いきなり地面が斜めに見えた。

とっさに転がって受身をとってすぐに立ち上がった。なにが起きたのだ?周囲の人がビックリして私を見ている。

昼休みになったのでデパ地下にお弁当を買いに出た矢先だった。歩道を降りて車道を渡ろうとしたら、突然転倒した。怪我もなく立ち上がり、よくよく足元を見るとサンダルが壊れていた。やっぱり一足1000円の安物だとすぐ駄目になるようだ。

それにしても、よくぞ受身を取れたものだ。まだ、身体が覚えていたのだな。私は正式に柔道を習ったことはない。中学と高校の体育の授業で齧った程度だ。

どちらかといえば、プロレスごっこの延長と捉えていたので、よく先生に叱られたが、実のところ受身だけはしっかり練習していた。これは実戦的だと思い、役に立つだろうと自覚していたからだ。

あの授業から30年ちかくたつのに、未だに無意識にも受身が取れるのだからすごいものだ。それなりに熱心に練習した甲斐があった。私に稽古をつけてくれたBの奴に改めて感謝だな。

中二の時のクラスメイトのBは柔道の町道場に通っていた奴であった。特に仲が良かった訳ではなかったのだが、柔道の授業のときに急に親しくなった。他のクラスメイトは柔道が強いBと組むのを避けていたが、私はどうせ習うのなら上手い奴が良いと、自ら積極的にBに相手をしてもらった。

今でも受身がとれるのは、彼の指導が良かったからだと思う。困ったのはBがやたらと私を道場に誘うことだった。お前は足技が上手いから、道場に通えばもっと強くなれるとしきりとおだてられた。もしBが転校しなかったら、もしかしたら私も道場に通っていたかもしれない。

Bの転校と相前後して、私は落ちこぼれから真面目っ子に転進する羽目に陥り、悪ガキ仲間から裏切り者として、ずいぶんと喧嘩を売られたものだ。その際、Bから習った足技がずいぶんと役に立った。身体で覚えた技術ってやつは、本当に役に立つ。

私が柔道のすごさを認識しておきながら、正式に学ばなかったのは、その鍛錬が猛烈に厳しいことを予感していたからだ。実際、基礎練習だけで全身がボロボロになる。腕や足は擦り傷だらけで、打ち身や捻挫は日常茶飯事だ。

ぶっちゃけ怖かった。実はBから喧嘩に役立つ柔道技を幾つか教わっていた。その威力に驚いた、いやビビッた。受身がとれない背負い投げや、関節を一瞬で折る技など、その結果を思えば怖くて使えない奴ばかりだ。柔道は武道なのだと思い知らされた。

武道とは、つまるところ相手を殺す覚悟だと思う。技術ではなく、その覚悟こそが怖い。殺す覚悟があるからこそ、殺さずに済ます技術が必要になる。殺す覚悟は相手を恐れず、自分の弱さこそを真の敵だと教えてくれる。

武道とは、心の強さだと思う。私には、そこまでの覚悟はなかった。多分、あの頃私は喧嘩に嫌気がさしていたのだと思う。人と争うのは、心が疲れるからだ。

それでも柔道の凄さは、しっかりと心に刻まれている。当時はどちらかといえば、空手が人気だった。でも、路上の喧嘩にならば、柔道は怖いはずだと思っていた。その後、総合格闘技が主流となり、改めて柔道家の強さがクローズアップされるようになり、私の考えはそうずれたものではなかったと納得している。

今にして思うと、やはり柔道はもう少し真剣に取り組むだけの価値はあったと思う。びびってしまった自らの弱さを少し恥ずかしく後悔している。

表題の漫画は、軽い気持ちで柔道部に入部してしまった若者の成長の物語。バカげたシゴキに笑ってしまうが、多分ほとんど実話だろう。人間は十代の時が一番成長するものだ。あの時、真面目に柔道に打ち込んでいたらな、と軽い悔恨が胸をかすめるが、それを抜きにしても十分楽しめる作品だと思います。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Hanako 雑誌

2009-12-22 21:23:00 | 
世に数多あふれるグルメ情報。

食いしん坊の私としては、どうしても無関心ではいられない。基本的には自分の舌がなにより当てになる。グルメとは程遠い胃袋満腹感重視の偏った舌だと思うが、自分で納得した味なら他人の評価なんてどうでもいい。

次に当てになるのは、やはり口コミだ。偏見かもしれないが、これはやはり女性のほうが良い情報を持っている。口コミにより美味しい店に集うのは、圧倒的に女性が多いようにみえる。

私の経験からすると、食事時に女性客が多い店は、けっこう美味しい店が多い。もっとも、高級レストランで数千円のランチを食していらっしゃる妙齢の女性たちをみていると、旦那さんたちの実直な昼食が思いやられて微妙な気持ちになる。セレブだかなんだか知らないが、お優雅なことだなと皮肉な眼差しになるのは私の僻みだろうか。

さらに言うなら、世の女性たちは美味しい店の口コミ情報をかなりもっていると思われるが、なぜか男性にはそれを明かさない傾向があるように思えてならない。

どうも男性に美味しい店に連れて行ってとの思惑が透けて見えて仕方がない。これが結構なプレッシャーに感じる。味覚よりも満腹感重視の私は、女性のお眼鏡に適う店を探すのが苦手だ。

まあ、世の中ありがたいことに「ミシュラン」やら「ザガット」といったグルメ本があるので、とりあえず有名なお店をピックアップしておけば無難に済ませられる。ただしお財布に空っ風が吹くのは避けられない。

私は「地球に優しく」なんて言葉は嫌いだが、「財布に優しく」なら大歓迎。こんな時頼りになるのが雑誌「Hanako」のグルメ情報なのだ。女性をターゲットにしている雑誌だけに、女性向けに、はずれが少ない。

わりと丁寧な取材をしていると思うし、実際にいってみて大きくはずしたことはない。でも、たまに大はずれもあるようだ。そう思ったのが、最近発売されたHanakoの増刊小冊子だった。

銀座特集だったので、パラパラと頁をめくっていると、私の知っている店、知らない店等いろいろあり、買ってみるかなと思っていたら手が止まった。

「おいおい、この店載っけるのかい!?」

安い店であることは認める。ヘルシーな印象もあることも認める。でもねえ・・・あの味はないだろう。メインのメニューの味は悪くない。ところが、付けあわせで付く点心がヒドイ。率直に言って、ファミリーレストランのものと大差がない。しかもファミレスのほうが安い。

ただし、私もスタッフも昼のメニューしか食べたことはない。夜のフルコースは分らないから、安いランチ・メニューだけで判断しているのでお店の名前は出さない。

Hanakoという雑誌がよく作られていることは認めるが、やはりたまにはポカをするらしい。人のやることだから、必ずミスは出る。これは致し方ないことだし、蓼食う虫も好き好きなのも分る。でもねえ・・・

誰が取材したのか知りませんが、本当に食べたのかな?広告記事ではないと思うけど、ちょっとがっかりでしたね。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

星界の紋章 森岡浩之

2009-12-21 20:20:00 | 
この先、日本はどなるのだろう。

ほぼ間違いなく私は、半世紀もたずして死ぬことになる。平均寿命でさえ怪しい。多分、じわじわと老いぼれながら人生の終わりを悄然と受け入れるのだろうと思っている。

自分が死んだ後のことを心配するなんて意味ないことだと思うが、それでも考えない訳じゃない。

昨今マスコミは地球温暖化を大騒ぎしているが、私の考えでは自然な気温変動に過ぎず、温暖化はむしろ植物を繁茂させ、かえって豊かな自然を生み出す。降雨量は増えて、砂漠化は緩和される可能性さえある。ただし場所によっては乾燥化は進む。その程度の変化だと思う。

地球上に生息する以上、本当に怖れるべきは寒冷化であり、必ず氷河期は再び訪れる。現在は氷河期と氷河期の間の温暖な時期に過ぎない。

おそらくは人類は氷河期を生き残れない。もちろん人類だけではなく、多くの生物が死滅して、その間隙を埋める新たな生物が生まれ出るはずだ。

現世人類は生き残れないだろうが、新たな環境に適応した(進化した)人類は生き残ると予測できる。はっきりいって、現世人類はそれほど逞しい生き物ではない。むしろ弱い生き物であるがゆえに、道具を作り出し、文明を作り上げたからだ。

私は人類絶滅を氷河期の訪れとウィルス性疾患によるものだと予想している。この災難を生き延びた人類は、もはや別種の人類だろう。ちなみに先の氷河期において繁栄した旧・人類(ネアンデルタールたち)を滅ぼしたのは、伝染性のウィルス疾患と環境変化と我々人類の攻撃だったらしい。

歴史は繰り返すというが、だとしたら我々も滅ぼされるのだろう。だが、もし生き残るとしたら宇宙空間に生存領域を広げた場合だろうとも思う。これには三つのハードルがある。一つは重力制御だ。適切な重力がないと、人は生存が難しいようだ。

もう一つがエネルギー。宇宙では化石燃料は使えない。核融合のような新たなエネルギーを開発しない限り、宇宙で生きていくことは不可能だ。

最後の一つが超光速航法だ。光速を超えない限り、人類は太陽系に留まらざる得ない。地球以外の太陽系の惑星で人類が長期間生息できる可能性は相当に低い。

現時点では三つのハードルの一つとしてクリアする目処は立っていない。だからといって絶望するには早すぎるが、楽観的でいられる訳でもない。

私が子供の頃から散々TVドラマや映画、SF小説、漫画でみてきた銀河に飛躍する人類の姿は、21世紀の今日でも夢物語の域を出ていないのが現実だ。

表題の作品は、90年代に突如飛び出した国産のSF小説、しかもあら懐かしやのスペース・オペラ風味つけ。何故に今頃スペ・オペなのだと我が目を疑ったぐらいだが、けっこう売れたらしい。たしかアニメ化も果たしている。

この本のなかでアーヴと名乗る新・人類が登場する。どうやら宇宙空間に合わせて自らを遺伝子改造した日本人の末裔らしい。旧来の人類から毛嫌いされているが、当のアーヴたちは傲岸不遜に宇宙に君臨しているようだ。

外来文化を受け入れて、それを自己流に変質させて文明を発展させてきた日本人なら、たしかにやりかねない遺伝子改良による擬似進化。そこまでやっちゃうと、もはや日本人ではないと思うが、やりかねないのは同意できる。

人の欲望は限りないのだなと、妙に納得できたSFでしたね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マニュアル尋問

2009-12-18 05:32:00 | 社会・政治・一般
教わるだけでは身につかない。

教わらなければ分らないことは沢山ある。だが、教わるだけで、その知識を使いこなせるわけではない。実地で使ってみて、その知識を使いこなしてこそ役に立つ。その使いこなし方は、教わるというよりも自分なりに覚えなければならない。これが難しい。

私は税理士として、顧客から「先生」と呼ばれる。先生というものは、その知識をもって教え導くものだと思うが、実際には教わり上手でないと勤まらない。

医者は診察で患者の容態を把握してからでないと治療に入れない。それと同じで税務相談に訪れた方の相談は、その方の置かれた状況のみならず、本人の考えや家族構成、はたまた仕事や家庭の周辺事情までを把握しないと、適切な回答が出せない。

つまり、先生と呼ばれても、実際には相談者から如何に情報を引き出すかが問われる。教えるよりも、教えてもらうほうが大切になる。いかに相手に話をさせるか、これが一番難しい。相手に話をさせて、相手の希望、本音、不満を読み取ることが出来ないと、相手が納得できる回答を教えることは難しい。

もちろん、相手が意図をもって肝心な情報を隠す場合がある。これは相手が悪いので仕方ないが、困るのは相手が話す必要がないと思い込んでいる大事な情報が少なくないことだ。これを如何に引き出すかが腕の見せ所だ。

これは弁護士や医者だけでなく、おそらく多くの仕事で必要とされるノウハウだと思う。なかでも警察こそが、この情報を引き出すプロフェッショナルでなければならないはずだ。

残念ながら世に多くある警察の捜査の失敗の少なからぬ部分が、この情報の引き出し方が稚拙であることを原因とするのではないかと、私は最近思うことが多い。

数年前のことだが、私の自宅の隣の方が孤独死で亡くなった。一ヶ月以上、姿を見ないので変に思っていたら、ある晩帰宅すると警官が多数隣宅に出入りしていた。事件か?

すぐに警官が3名ほどやってきて、私にいろいろと訊きに来た。別に含むところもないので、素直に最近の様子について話したが、一人の警官の何気ない一言が、私を怒らせた。

「そういえば、三年前お宅はK氏(隣宅の人)とトラブルを起しましたよね」

はぁ?こいつ私を疑っているのか。

「なんのことですか?うちじゃありませよ。」と冷淡に答えておく。腹が立ったが、おそらくはマニュアル的な質疑なのだろうことは容易に推測できた。だてにミステリーを愛読している訳じゃない。

こんな時こそ冷静に対応する必要があることぐらい分っている。でも、むかついたので他にも知っている情報があったが、それは教えてやらないことにした。

一人暮らしのK氏だが、実は出入りしていた複数の女性がいた。多分デリヘルの女性だと思うが、毎月呼んでいたはずだ。もし事件性がある死亡ならば、大事な情報だと思う。

だから、警察が事件性を疑い、再度訊ねてきたら教えてやるつもりだった。もちろん厭味を言うのも忘れずにだが。

幸いにして病死と判断されたらしく、その後は音沙汰なし。もし、事件性のある死亡だとしたら、私が黙っていたことは初動捜査に大いに影響したと思う。

疑うのが警察の仕事だとは分っている。でも、やり方が下手だ。だから私は協力してやらなかった。

おそらくは、警察は長年の経験を活かしたマニュアルをもっている。それを教えているのだろうが、その知識を実際に活かす遣り方は、マニュアル通りにはいかない。

私は子供の頃、けっこう警察の世話になっているので、ベテランの刑事が聞き上手なのを知っている。あの警官、まだまだ修行が足りんぞ!
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

週刊FM 雑誌

2009-12-17 06:52:00 | 
エア・チェック。

多分、今の若い人たちは何の言葉だか分らないかもしれない。私も正式な意味は知らないが、要はラジオ放送から流れる音楽をカセットテープに録音することだ。

あの頃、音楽を聴く手段は四つあった。演奏を聴きに行くのを別格にすれば、レコードで聴くか、テープで聴くか。もしくはTVやラジオで聴くかだった。

そのラジオから流れる音楽をテープに録音することをエア・チェックと呼んだ。短波放送や中波放送は音質が悪く、やはりFM放送こそが、エアチェックに一番向いていた。

そのためにFM放送の番組と、流される曲目までもを記載した雑誌が発売されていた。私が好んで買っていたのが、表題の「週刊FM」だった。他にも数冊あったが、私はこれを好んでいた。

当時はエアチェックされることを前提にした音楽番組が沢山あって、私は念入りに番組表を調べて、録音したい曲をマーキングして、その時間になるといそいそとラジカセの前で録音に没頭していたものだ。

そんな風にして録音したカセットテープが数百本ある。既に20年近くたっているので、ものによっては劣化し始めている。劣化しているのはレコード会社で発売していた既に録音してある商業音楽テープばかりで、市販のテープに自分で録音したやつは、まだまだ劣化していないようだ。

カセットテープからCD、あるいはMDに変わったのは20年くらい前だが、当時から思っていたことがある。別にデジタル音源に移行するのは構わない。でも、なんでカセットやレコードを廃する必要があるのだ?

たしかに技術的には古いものであるのは間違いないが、古いと悪いのか?古いものを大事に使うといった発想はないのか?もっと疑問を持つべきだ。家電メーカーや音響機器メーカーの商売上の意向にあまりに素直すぎるのも如何なものかと思う。

私は目は悪いが、耳はいいほうだ。生の歌声や演奏を録音したものを聴き比べると、デジタル音源よりもアナログ音源のほうが生の音に近いと思っている。デジタル音源の利便性は認めるが、だからといってアナログ音源をすべて否定するのは変だとも思っている。

私は意地っ張りなので、今でもレコードとカセットテープを愛用している。CDも持っているし、否定する気もないが、デジタル音源に統一する気はない。ステレオも十分いい音を出しているしね。

ただ、お気に入りのテープはCDにも録音したほうがいいかもしれないと思っている。もっとも使いやすそうなCDレコーダーがなく、あっても高額で手が出せずに居る。だから今のところ、なにもしていない。

欧米ではデジタル音源もあるが、今でもアナログ音源の音響機器も大事に使われていると聞く。日本のように極端にデジタルへ雪崩打つようなことはなかったらしい。

古いからって悪いわけではないのだから、もっと古いものを大事にして欲しいと思うぞ。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする