軽薄な言葉が嫌いだ。
最近だと肉食系って言葉が好きになれない。おとなしい=草食系との対比で使われるようだが、いい加減この手の単純すぎて馬鹿丸出しの言葉はやめた方がいい。
物事を二つに分けて判じるやり方は、単純で分かりやすく耳目を集めやすい。これは分かるが、なんとも底の浅い理解でしかなく、むしろ誤解を招き易い。
昔、あるところに所謂草食系の青年がいた。同年代の女性と直面すると赤面するばかりで、まともな会話さえ出来なかった。世間は彼を虫も殺せぬおとなしい青年だと思い込んでいた。
だが、女性とまともに会話出来ないからといって性欲がないわけではない。子供、とりわけ幼い女の子に対しては、むしろ獰猛でその肉体を損ねることさえ辞さない異常な肉食系であった。
幾人もの幼女を拉致して、その肉体をむさぼり、あげくに殺害してバラバラにして放り出した。世に言う宮崎事件である。実に厭な事件であった。
おとなしいとか、草食系だなんて軽薄な見立てが如何に危ないか、よく分かる事件でもあったと思う。
肉食系だって似たようなものだ。私が知るある青年は、筋肉もりもり、日焼けした肌と短髪のスポーツマンの二枚目。見るからに肉食系だが、実はものすごいナルシストで極度の潔癖症。だから他人から触られるのが大嫌い。私はひそかに彼は童貞ではないかと思っている。
人間、外面と内面が違うことは珍しくもなく、むしろ違うほうが普通だと思っているほうがいい。人間って奴は、簡単に二分法で理解できるほど単純でもなく、分かりやすくもない。
私自身、顧みてもそう思う。外見的には真面目そうな普通のおじさんである。多分、幼い頃には何度も警察の世話になっていた悪ガキだなんて、まず分からないはずだ。争い事には、もっぱら中立の立場をとり、冷静に客観的に対応できる大人の態度をとることが多い。でも、実は喧嘩っ早くて、大の警察嫌い。気が短いと自覚しているのに、外見的にはおとなしく見られるのが不思議でならない。
しかも、とびきりヒネクレ者。草食系ですかと問われれば、雑食性ですと切り返す。肉食系じゃありませんよねと訊かれれば、腹が減っていれば肉食系、満腹なら草食系だと答えてしまう。
実際のところ、そんなの相手次第、状況次第、体調次第である。今すぐ跳びかかりたいほどの情欲に燃え上がったこともあれば、深夜の密室で半裸の状態でも、まるでその気になれないこともある。たぶん、誰だってそんなもんだと思う。
だから、草食系だとかおとなしいだとか安易にレッテルを貼ってしまうのは、むしろ危険だと思う。私の経験からいっても、素肌に銀の突起が目立つ革ジャンを羽織ったモヒカン頭の青年よりも、見た目普通の真面目で大人しそうな青年のほうが、危ない場合は珍しくない。
外見が普通なので、それに油断して不意打ちを食らうこともあるし、酒が入って人が変わるなんて珍しくもない。もちろん外見での判断は概ね当たることが多い。以前、深夜喫茶でバイトしていた時、見るからに乱暴そうな青年たちは、予想に違わず騒ぎだして店に迷惑をかけていた。
だが、その店で一番騒ぎになったのは、ホステスに振られた青年が大暴れした時だった。外見が普通のサラリーマンだったので、まるで警戒していなかったのだが、別れ話がこじれた途端に切れて暴れ出した。あれには唖然とした。
外見だけで判断してはいけない。痛烈に思う。
表題の漫画は、ヤング・アニマル誌に長年連載されていた。インターネットの闇深い世界に潜む、逆オークション方式で殺人を請け負う殺し屋たちを描いている。登場する殺し屋たちは、日常生活はまっとうな姿で過ごしているが、殺しに悦楽を感じる異常者ばかりであり、そのギャップが魅力の漫画であった。
現実の日本では、殺人業は仕事として成立しない。これは需要があっても、その供給が安定しえないからだ。日本の警察は決して甘くない。だから仕事として殺人が行われる場合は、多くの場合警察に捕まることを前提にしている。ヤクザというより暴力団は、警察の怖さ、厭らしさを良く知っているので、そうせざるを得ないからだ。
だが、近年日本に外国人が多く流入するようになると、必ずしも殺人業は成立しないなどと言えなくなっているらしい。たしかに貧しい国のアウトローたちに殺人を依頼する形での仕事が成立しやすくなっている。
もっとも、これも簡単ではない。まず、日本の事情に疎い殺人の請負者にお膳立てをする必要があるし、殺人依頼をネタに強請られることもある。それゆえに強固な結束を誇る裏社会の組織などを仲介させないと難しいらしい。一度でも関われば、泥沼にはまること請け合いだろうことは容易に予想が付く。
だから仕事としての殺人は、滅多にない。
その代り、私怨による殺人は、この世から決してなくなることはない。嫌なことだが、これは自分は普通だと思っている人が、ある日ある時やらざるをえないと思い込んだ時に行われる。
人間って奴は、そういうもんだと考えたほうがイイと思いますね。
なお、この漫画かなり表現がグロいので、読み手を選ぶと思うので無理に読むようなものではないと思います。
先のアメリカ大統領選挙は、僅差ながらも現職のオバマが勝利した。これは予め予測されたことであり、ロムニーの善戦がむしろ予想外であったのが実情であろう。
率直に言って、オバマ政権の一期目は成功とは程遠い。軍事的にはアルカイーダを痛めつけたことと、アフガン撤兵ぐらいしか功績は見当たらず、当初盛んに言っていた太陽光発電などでアメリカに大量雇用を生み出すなどの経済政策は、ほとんどが失敗に終わった。
現在のアメリカ経済は、決して好調とはいえず、むしろオバマが再選されることは不思議といっていいが、困ったことに対立する共和党にも有権者を惹きつけるだけの候補者、政策に欠ける。実際、ロムニー候補自体が主張をコロコロと変える始末である。
これは共和党も、そして民主党も現在のアメリカを大きく変える処方箋を持ち合わせていないといって良い。にもかかわらず、オバマが当選した。
極論かもしれないが、オバマは黒人だからこそ再選したと私は思う。アメリカにおいて、もはや白人(特にWAPS)は有権者の7割であるにもかかわらず、社会の主導層ではなくなりつつある。もちろん、政府の重要な機関、主要な大企業のトップクラスを占めるのは白人たちだ。
しかし、社会の中核から末端に至るまで、白人だけでは成り立たない構成となっている。黒人を含め有色人種との融和なくて、アメリカは機能しない。とりわけ黒人とメキシカンに代表されるラティーノたちの支持なくして、オバマ再選はあり得なかった。
そして白人たちにも、この現実を受け入れ、多数の人種の融和の象徴として、黒人大統領を望んだ。これが失政、失策だらけのオバマ大統領が再選された背景であると思う。
だが、再選したオバマ大統領が抱える問題は大きい。これは一個人の抱える問題としては大きすぎる。
根幹的には、衰退しつつある西欧文明のなかで、如何に生き延びるのか。更に現代文明の基盤である石油の枯渇、増大しつつある世界人口と食糧と水の危機。これは全世界的な規模の課題であり、歴史的な流れでもある。
18世紀の産業革命に端を発した西欧文明は、今黄昏を迎えつつある。既に科学技術は周辺技術しか発展は望めず、民主主義と議会政治さえも限界を露呈しつつある。社会主義の失敗は、民族感情と宗教への情熱を甦らせた。
もはや進んでいると思われた西欧文明は、途上国の憧れとは言いかねる。
こんな状況下で西欧文明のトップをひた走るアメリカを指導する立場を続けるオバマ大統領に、どれだけの選択肢が残されているのか。
かつて人種のルツボと言われたアメリカだが、現在は人種のサラダボールと称される。ルツボのなかでは、あらゆる金属(人種)が融合して新しいアメリカ人が産まれたが、サラダボールでは色合いの異なる野菜(人種)が混じり合っても、それぞれ別々に味を主張する。
今は白人中心だが、半世紀後には過半を占めるのも難しく、変わってスペイン語を話す(英語を話せない)有色人種が大きな割合を占めることが分かっている。アメリカは否が応でも変わらざる得ない。
ハンティントンはそれをアメリカの分断だと捉えたが、既に現在進行形であり、このことに危機感を抱くアメリカ人は少なくない。だからこそ、白人と有色人種の融和の象徴として、オバマ大統領が選ばれたのではないか。
私には、そのように思えてなりませんでした。
まだプロレス入りする前に、喧嘩三昧であった前田日明が「怖くて手が出せなかった」と白状するほど迫力があったのが、当時の横綱・輪島であったという。
実は身長は前田のほうが高い。だが、身体の厚みが違った。空手家というより、喧嘩屋であった前田が恐れたのも無理はない。というより、その強さに感づいて避けた勝負勘を褒めたい。
そのくらい輪島は強かった。角界初の学生横綱であり、その破天荒な性格から批判されることも多かったが、後に黄金の左と呼ばれた下手投げは絶品。上手投げのガチンコ横綱・北の湖との名勝負は迫力満点であった。
引退後は部屋を継いだが、借金騒動を起こしての廃業。このままTVタレントにでもなるのかと思っていたら、突然のプロレス入り。しかも、ジャイアント馬場の全日本プロレスだった。これには驚いた。
だが、果たして成功するのだろうか。
怪我で土俵を降りた男が、受け身が重要なプロレスを演じることが出来るのか。まして40を目前に控えてのプロレス入りである。私はかなり疑わしく思っていた。
その予想は当たり、実にしょっぱいプロレスラーとなってしまった。
打たれ強さは間違いない。また絵になる表情の出来る男でもあった。だが、致命的に試合が作れなかった。試合を演じることが、不器用すぎて出来なかった。
はっきり言って、腹立たしかった。
私はプロレスも好きだが、相撲だって好きだった。あの横綱・輪島の強さを知っていた。それだけに、だらしないプロレスラー・輪島が許せなかった。
おそらく失敗した理由は、年齢もさることながら、相撲を捨てきれなかった覚悟の浅さだと思う。
相撲出身でプロレス入りした者は多い。力道山もそうだったし、業師として名高い吉村や、ラッシャー木村、天龍など成功者も多い。派手さはないが、実力者が多いのが特徴だった。打たれ強く、力強いのが相撲出身者の強みだった。
しかし、輪島はダメだった。なにがダメかといえば、相撲を捨てきれなかった。プロレスラーの動きを取り入れようとしていたが、中途半端であった。寝技を嫌がるだけでなく、寝技から逃げるのも下手だった。
そのダメレスラーであった輪島に一番腹を立てていたのが、同じ角界出身の天龍だった。かろうじて幕内に入る程度の相撲取りであった天龍にとって、本物の横綱の惨めな姿は自己否定に等しい。
だから天龍は、試合で輪島を苛め抜いた。倒れてへたり込む輪島に、情け容赦のない蹴りを叩きこみ、あげくにリングの外へ蹴り出した。まるでゴミ扱いであった。
後にインタビューで天龍は、あれは愛のしごきだなんて言っていたが、嘘だと思う。あれは苛めと迫害であったと思うな。許せなかったんだと思うよ。
あり得ない想定だが、相撲の土俵で天龍と輪島が対戦したのなら、結果は火を見るよりも明らかであったと思う。それくらい輪島は強かった。しかし、若くして角界を去り、プロレスラーとして必死の再出発を切った天龍には、プロレスに殉じる覚悟があった。
その覚悟が輪島にはなかった。その差が、あの苛めに現れていたと思う。
人生の再出発は難しい。名の知れた大企業でさえ経営危機に陥り、リストラされた中高年の起業が目立つ。だが、よくよく覚悟を決めて再出発して欲しい。過去を捨てる覚悟なくして、新たな再出発は成功しない。
私は夢破れて、挫折して、尊厳をなくした中高年をみたくない。あれは見ているだけで苦痛なんですよ。
欲望のためなら、愛も命の尊さも踏みにじれる。
富豪の娘であり世間知らずのお嬢様をたぶらかしたまではいいが、まさかに妊娠に動揺して、自らの未来を測りにかけて葬った。その際に、自殺にみせかけた手紙を書かせるテクニックには脱帽する。これって真似できるかも。
だが、その手紙を受け取った姉が、自殺に疑問を抱いた。策を練り、意気揚々と探偵の真似事をする姉が、男の足元に迫ってくる。はたして男追い詰めて、妹の仇を討つことは出来るのか。読者ならば、そう期待せずにはいられない。
そんな期待を裏切る見事などんでん返しと、更に続く悪魔の所業。だが天網恢恢疎にして漏らさず。
完璧に思えた策も、ほんの小さな穴から決壊する。
映画化もされたし、かつてはミステリーのベストテンをやれば、必ず上位にランクされた傑作。だが、近年忘れ去られた感があり、少し残念に思うと同時に、時代に合わなくなっていたのかと疑問にも思っていた。
だから、再読してみたのだが、やっぱりこれは傑作だ。時代は変われど名作として十分な価値があると断言できる。もし、未読の方がいらしたら一度は手にしてほしいです。映画は原作を大きく端折っているので、映画だけの方は小説も読んで欲しい。
ちなみに映画がなぜ原作を大きく端折ったのか、それは読んでみれば分かります。これは映像化不可能。シナリオを大きく変えざるを得なかったのでしょう。この謎を知るだけでも、読む価値あると思いますよ。
だからこそ、その故障には悩まされる。これまで何度か故障を経験しているが、電話による相談などで解決することもあったが、近年はメーカーに送っての修理が多い。購入した大手量販店に持ち込んでも、十分な対応はされないことが多く、時間と手間をかけてメーカーに配送する。
それで直ればいいが、満足な結果が得られず、結局買いなおしたこともある。そんな経験をした方は少なくないと思う。
実のところ、これはパソコンに限らず、多くの家電製品が簡単に修理されなくなって久しい。簡単に買い替えることは出来るが、使い慣れた機器を直せないストレスは確実にある。どこが工業大国なのだと怒りたくなるほどだ。
先月のことだが、ある経営者の方と秋葉原に行った。海外生活の長い方なので、英語版のwinが入ったPCが欲しいとかで、たまたま私が知っていたので案内することになったからだ。
秋葉原の駅から数分にあるその店は、経営者がシナ人で従業員はシナ人だけでなく、東南アジア系と思われる人たちが忙しそうに動き回っている。片言ながら日本語は通じるので、要件を伝え店内を案内してもらう。
希望のPCはすぐに見つかり、その場でセットアップしてもらう。その際、私が持参した壊れたPCの修理が可能かどうか聞いてみると、その場でチェックしてくれて、リカバーすれば大丈夫だと言うので、さっそく頼むことにする。
ただ時間がかかるので、私たちは食事に行くことにして、その場を離れた。そして3時間後に店に戻ると、新しいPCはすぐに使える状態にしてあり、壊れたPCの修理も終わっていた。ちなみに修理代は3500円だった。
正直、驚いた。
同じようなケースで私は、某大手量販店に持ち込んでダメで、メーカーに連絡して壊れたPCを送り、直してもらって返送されるのに二週間かかった。しかも料金は2万円前後かかった。
今回修理を担当してくれたのは、おそらくパキスタンもしくはバングラデッシュの人だと思う。日本語こそ片言であったが、その技術は確かなようだ。小さな店ではあるが、お客さんはひっきりなしで、せわしないぐらいだ。
私は考え込まざるを得なかった。
日本の技術力って、こんなに底が浅いのか。家電量販店がその場での修理を嫌がるのは、おそらくリスクを恐れてだろう。PCという奴はブラックボックスに似ていて、なにが起こるか分からない浮ウがある。
メーカーによらない修理で、故障が直らず修理の範囲が拡がった場合の責任の所在を恐れて、多くの家電量販店が修理を厭うのも分からないではない。それなのに、この秋葉原の小さなお店では、新品の販売から中古PCの販売、修理まで手鰍ッている。
私がこの店を知ったのも、某在日外国人からの口コミであった。時折彼らから聞かされる、日本のPC販売店舗のサービスの融通の無さというものが、良く分かった。そして、この店のマニュアル的でない対応に、ある種の爽快感を感じたほどだ。
浅黒い肌の店員さんが片言の日本語で「すぐに修理出来ますけど、保証はできません。それでいいですか?」と訊いてきた。もちろんOKです、そのすぐという返事が欲しかったのですから。当然、大事な情報の多くはバックアップ済みであり、あとは失われても仕方ないと覚悟を決めていた。
一応書いておくと、私が耳にした口コミのなかには、あの店で修理をするとメーカーの保証は受けられないことや、修理が失敗した話もあった。それを知りつつ依頼したのだから、駄目になることも覚悟の上であった。
私は100%を求めたりしない。自分に出来ないことをしてもらうのに完璧を求めるほど傲慢にはなれない。だからリスクがあることは重々承知していた。ちなみに件のPCだが、現在も快調に動いている。今のところ、別段おかしなところはなく満足している。
その数週間後のことだが、件の社長さん、今度はWifiの機器が故障して、事業者に連絡したらやたらと面唐ナ嫌になり、さっそくに秋葉原のあの店へ持ち込んだら、あっという間に分解して破断したコードを直してもらい大満足。
「お客さん、Wifiは精密機械ですよ、乱暴ダメね」と叱られましたよと、嬉しそうに笑っていた。
技術大国、日本なんて言ってられないと痛感しましたね。