ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

みずほ銀行不祥事に思うこと

2013-11-15 12:09:00 | 社会・政治・一般

建前もいい加減にした方がいい。

昔からヤクザは良い女を連れ歩き、良い車(多くは外車だ)を乗り回すという。これは多少の誇張はあっても、概ね事実だと思う。これはヤクザが不動産を買えないが故に、女と車に金をかけるからだと言われている。

キャッシュで外車と不動産を買えるならいざ知らず、普通はローンを組む。だが裏社会の人間であるヤクザには、銀行でローンを組む術がない。だからこそ、女と車に見栄を張る。

だが、女はともかくも、車はけっこうなお値段である。まして世間に対して見栄を張れるような車となると数百万の出費となる。さすがにこれを一括で払うのは難しい。でも銀行は金を貸してくれない。

だからこそ、信販会社のローンがあった。私はさる20数年前には某信販会社に席を置いていたので、そのあたりの事情は知らない訳がない。カーローンは担当ではなかったが、繁忙期には手伝うことがあったので、顧客にはヤクザと思しき人がかなりいることは知っていた。

当時から彼らは優良顧客であった。銀行でローンが組めないヤクザの人は、信販会社のカーローンが頼りであった。だから延滞など滅多になく、確実に払ってくれるありがたい顧客であった。

当時審査をやっていたが、顧客がヤクザであるかどうかは書類上、一見では分からない。でも、営業担当者から耳打ちされたり、自動車販売店からそれらしいことを匂わせる電話があったので、否が応でも気づかされた。

でも、だから何だってんだ。そう思っていた。しっかり分割払い契約を履行してくれれば、誰が客だろうと気にしたことはない。実際問題、高級車を頻繁に買ってくれる上に、遅延事件は起こさない優良顧客以外の何者でもなかった。

もっとも遅延がなかった訳ではない。でも、大概が話し合いで上手く話が付いた。彼らヤクザにとって、信販会社のカーローンは大切な術であったので、むしろ必死で弁済してくれた。

私の経験からすると、だらしない一般人の遅延よりも、ヤクザのほうが支払いは良かった。まァ、当時から駄目ヤクザというか、落ちこぼれヤクザも居て、彼らが遅延を起こした時は、遅延回収担当者は上のヤクザに話をもっていき、うまく回収していた。

この手の事案は、裁判などに持ち込んでも駄目だ。ところが銀行はよく裁判をやっていたようだが、結果は芳しくない。ヤクザと引け目なく話が出来て、しかも懐に入るぐらいの交渉上手な人材を、当時信販会社は揃えていて、よく銀行の回収が不手際なのを酒の席で笑っていた。

銀行側もそのあたりは次第に分かってきて、近年は信販会社やクレジット会社、消費者金融会社を買収して傘下に収め、ヤクザを初めとして厄介な事案の担当とし、それらの関連会社に当たらしていたのは、知る人ぞ知る事実だ。

先月以来、話題に上がっているみずほ銀行の問題なんざ、上層部が知らない訳がない。なにせ収益源としてヤクザ対象の商品(カーローン)は優良なのだから知らない幹部がいるなんて信じられない。

私が不愉快に思うのは、ヤクザに金を貸さなければヤクザが居なくなるのではないかという、浅はかな思い込みだ。これはお勉強エリートの霞が関のお役人や、綺麗ごと好きのマスコミ様だけでなく、一般市民にも拝見する。

バカじゃないかと思う。ヤクザが存在するのは、現在の司法システムが完全ではなく、その隙間を縫う形でヤクザの存在価値が認められているからに過ぎない。違法な麻薬や武器の密売はともかく、ヤクザの仲介を必要とする世間の需要は確実にある。

私に言わせれば、法や組織を如何に完璧に作ろうと、合法と違法との間のグレーゾーンは必ず存在する。このグレーゾーンを国家が管理することは、まず不可能に近い。なぜなら、このグレーゾーンを認めることは、自らの不備を認めることでもあり、国家の存在意義を危うくすることでもある。だからグレーゾーンの存在そのものを認めない。だから管理できるわけがない。

このグレーゾーンは、いかなる社会、国、地域にも存在してきた。ここに裏社会、秘密組織、そして必然的に犯罪組織が寄り集まるのは必然といっていい。賢い統治者は、このグレーゾーンを直接管理しようとせず、間接的に許容し、第三者を通じて緩やかに管理させてきた。これを統治者の智慧という。

ところが現在の日本政府は、基本よくお勉強の出来る(だけの)エリート様で構成されるせいか、知識はあっても世間智がない。空調のよく効いた快適な室内に慣れ過ぎて、空気の澱んだ裏町の汚れを観て見ぬふりをする。

如何に完璧な法令を作ろうと、完璧ならざる人間が作る以上、必ず抜け道が生じてしまう。この現実を直視する勇気がないから、出来もしない綺麗ごとを賢しげに振り回す。

どうやら、信用情報などにヤクザの情報を載せて、今後より一層ヤクザへの融資を止めるつもりのようだ。ホント、馬鹿だね。車と女に見栄をはるヤクザは必ず抜け道を探し出す。いや、彼らに高級車や高級婦人服やアクセサリーを売りたい堅気のお店こそが、必ず抜け道を見つけ出す。

建前に拘ると、本質が見えなくなる典型だと思いますね。みずほ銀行を如何に処分しようと、問題の本質を取り違えている以上、決して解決しないことは断言できます。

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神様は、いじわる さかもと未明

2013-11-14 12:10:00 | 

神様は意地悪なのか?

気持ちは分からない訳ではない。私も著者同様に、ある日突然難病に襲われた。仕事もプライベートも絶好調の最中に襲われた。なにがなんだか分からず、あたふたしながら病院に行き、転院を繰り返し最後は大学病院に移された。

理解できなかった。状況を把握できなかった。だから何をしたらいいか分からなかった。いや、何も出来なかった。ただ、ただ病室のベットの上で煩悶するだけだった。

生きるのに必死だったと言いたいところだが、実のところベットで横たわるばかりで、体中につながれた点滴で動きはとれず、頑張りようもなかった。第一、何に必死になるの、何に頑張ったらいいのかが分からなかった。

ただ、言われるままに薬を飲み、食事を摂り、検査を受け、時には透析を受け、後は寝るだけ。精神的な葛藤はさておいても、私にはなんとも怠惰な生き方にしか思えなかった。

だが月日が経つにつれ、失ったものの大きさに愕然とせざるを得なかった。原因が分からない難病だけに、気持ちの置き所が難しかった。誰か恨む相手があるわけでもなく、憎む対象すら見いだせずにいた。

だから仕方なく自分自身を嫌った。

表題の本の著者であるさかもと女史は、神様は意地悪だと思ったようだが、私の場合それはなかった。元々小学生の頃からキリスト教への信仰をもっていたが故に、神を恨む気持ちにはなれなかった。

私は神がいちいち、一個人の人生に干渉してくるとは思っていない。神様は唯観ていればいい。私がどう想い、どう考え、どう動いたか。それを観ていてくれればいい。助けてくれなくてもいい。ただ、私が足掻き、煩悶し、打ちひさがれるのを観ているだけ。それだけで十分だと思っている。

だから神様は意地悪だとは思わなかった。思わなかったが、その気持ちは分かる。

でも、世の中平等でもなく、公正でもなく、理不尽で、無造作で、残酷でさえあるとは思っている。だが、その一方で、チャンスがあり、努力が実ることもあり、繊細な優しさや配慮もあることも知っている。

晴れたり曇ったり、雨も降るし雪も積もる。でも、その変化の中でこそ見いだせる喜びもある。もちろん悲しみも痛みもある。それが人生だと思う。

ところで、著者のさかもと女史が膠原病だとは知らなかった。私がまったく読まないレディース・コミックで活躍し、その後保守系の論陣を張る変り種の活動をしていたことは知っていたが、まさかSLE(全身性エリテマトーデス)だとは思わなかった。

実は私が20代にやった難病とは、わりと近いタイプの病気なので、長期入院中に幾人もSLE患者と出会っている。わりと繊細な感性の持ち主が多かったように思う。反面、対人関係では頑なな人が多いとも感じていた。さかもと女史も同様なのかとも思う。

最近だと、旅客機のなかで泣きやまぬ赤子へのクレームで大騒ぎになった御仁でもある。いろいろ生きづらい難儀な人生なようだが、上手く難病と付き合いながら頑張って欲しいものです。

多分、この人漫画よりも文章のほうが上手だと思います。今後に期待したいですね。

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天皇直訴の愚行

2013-11-13 12:06:00 | 社会・政治・一般

多分、猿回しに好いように使われている愚かなモンキー、それが山本太郎だと思う。

まだ民主党政権下での衆議院選挙で立候補した時は、明らかに泡沫候補であった。私の隣の選挙区で立候補したので、少しは関心をもっていた。でも、当然のように落選していた。

ところが参議院選挙に再び立候補。驚いたことに四位当選ではあったが、予想を覆して国会議員になってしまった。衆議院選の時の3倍近い得票数には、意外というか、信じがたいものを感じた。

一つには当選確実と云われた民主党候補の失墜があまりに激しすぎたからだと思われていた。3年間の民主党政権の低迷を受けての批判票が、予想よりも遥かに強かった。だから、民主党にいくはずの票が、反原発を掲げた山本候補に流れたからだと云われている。

だが、それだけではなかったようだ。

天皇陛下を迎えての園遊会で、手紙を直接手渡すという愚挙に出た山本だが、まるで馬鹿丸出しの無様さである。本人は足尾鉱山事件で天皇直訴を行った田中正造が念頭にあったようだ。

この人の勉強不足がよく分かる。形式とはいえ天皇主権であった明治時代と、主権が国民に移り象徴天皇でしかない今の天皇とでは、政治的意味合いがまるで違う。というか、まるで意味のない行為だとも云える。

つまるところ単なる目立ちたがり、パフォーマンスに過ぎない。本人がどう弁明しようと、天皇を政治利用しようとしたに過ぎない。これほどの馬鹿を当選させてしまった東京の有権者は大いに反省して欲しものだ。

思うに、本来当選するはずがなかった山本太郎が、あろうことか当選してしまったのには幾つか原因があるように思う。

まず、民主党には呆れるが、さりとて自民党も嫌。だから嫌がらせで投票したケース。次に、代替案なんて分からないけど、とりあえず明確に反・原発を主張している候補で、政党色のない人に投票してしまったケース。

そして明確に山本という若きトリックスターを政界に送り込むことを目指したプロ市民の煽動に乗せられた軽薄な有権者たちだ。東京という選挙区は全国でも特殊なところで、生活には困らない程度のゆとりを持ちながら、経済成長を主導した自民党に代表される戦後の保守政党には嫌悪感を持つ、善良なる市民層がけっこう居る。

彼らは政治活動に熱心になることはないが、空想平和主義に固執し、自らが傷つかない範囲ならいくらでも善良でいられる無責任な市民でもある。争点がない選挙ならば、浮動票となるのだが、衆議院選で勝ち過ぎた現行与党である自民党に対する反感から、反・与党なら誰でもいいと軽薄な投票行動に出る。

その結果が、山本の当選である。民主主義が衆愚政治に堕しやすいことを示す見事なサンプルである。

山本を政党色が薄いと書いたが、実際は社民党など出来もしない妄想平和主義を掲げる左派の支援を強く受けている。なかでもプロ市民として暗躍していることで知られる斉藤某を選挙参謀に迎えて、その指導のもとに参議院選挙を戦い、見事当選を果たしたのが実情らしい。

社民党は、福島という党首を失い、辻元という若手の星をも失い、かろうじて政党として生き残っている。プロ市民たちは、従来社民党を支援してきたが、支援しがいがない落ちぶれ議員よりも、見かけだけ若手の星にみえる山本太郎を利用することを目論んでいるようなのだ。

実際、山本の国会での発言などは、全て社民党色の強い(というか、丸写しらしいが)原稿の丸読みであったようだし、今回のパフォーマンスも話題がなく埋没しがちなプロ市民たちの強い意向を受けてのものである可能性が高い。

自分が踊らされているだけの軽薄なパフォーマーであることを自覚していない山本は、彼らプロ市民には実に使い勝ってのよいお猿さんである。

ただ、このお猿さん、かなり我儘で自分勝手な目立ちたがり屋なので、そう遠くない将来、プロ市民たちとも離反せざる得ない状況に追い込まれる気がする。独善に陥りやすく、その上反省を知らない唯我独尊の性格である以上、支援者との関係が破綻するのは必然。

私としては、一日も早くその日が訪れるのを願ってやみません。

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楽天の優勝に思うこと

2013-11-12 13:02:00 | スポーツ

失敗には原因があるが、成功には運が必要だと云う。

今年の日本シリーズは、まさにその通りであったと思う。地力は明らかに巨人の方が上だと思う。それは30試合以上で負けなしという驚異のピッチャーである田中から勝利を奪ったことからも確かだと思う。

だが、楽天には運があった。

今回の日本シリーズは、巨人ファンを除けば楽天を応援している人が多かったと思う。まだ復興途上にある東北を応援したい気持ちが、殊更仙台を本拠地とする楽天イーグルスを応援したくなるのだろう。

これには全国区の人気を誇る巨人と言えども抗しがたかったようだ。実際、試合そのものは実力伯仲の緊張感のある試合となった。ただ、打線は水物、やってみなければ分からないというように、リーグ屈指の攻撃力を誇る巨人の打撃陣の不調が、結果的に楽天に有利に働いた。

なかでも阿部の不振が痛かったはずだ。リーグ戦ではチャンスに強い阿部が、日本シリーズでは不調であった。原監督は案外と選手のプライドを気にする人なので、不信を承知で使い続けた。来期を考えたらこれは正しい選択だが、短期決戦では完全に裏目に出たと思う。

もっとも、その不振の打撃陣が、現在日本最高のピッチャーだと云える田中を打ち破った。おそらく巨人のスタッフは万全の対策を練って田中攻略に尽くしたのだろう。だからこその成果であり、これは大したものだと思う。

ただ、あまりに田中に拘り過ぎたのではないか。これが巨人の打線を湿らせた大きな要因に思えてならなかった。その田中を打ち破った第三戦での勢いを活かせば、そのまま連勝しての優勝は十分あったと思う。

しかし、楽天も田中一人のチームではなかった。岩隈がメジャー移籍して後、田中というエースが極端に目立つチームではあったが、若手先発ピッチャーの奮起も相当なものであった。中継ぎ、抑えがイマイチなので、それを承知のチーム全員が力を合わせた。

それが結果的に巨人の連勝を許さず、第七戦までもつれさせたのだと思う。その最後の二戦はホーム仙台であり、地元の熱狂が楽天を後押ししたことは間違いない。さすがの巨人もその熱気に抗しきれなかったのだろう。

無敗のエースである田中を打ち破った巨人もさすがだと思うが、東北復興の看板が輝く楽天の熱気には敵わなかった。巨人の敗因は、やはり田中を意識しすぎて日頃のバッティングが出来なかったことだろう。

逆に楽天は、東北支援の雰囲気を力に変えて実力を出し切った。失敗に原因があり、成功に運がある。つくづく実感した今年の日本シリーズでした。

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人は八割方悪である 桜井章一

2013-11-11 13:11:00 | 

悪い奴は面白い。

ただし気を付けねばいけないのは、あの悪さの中身だ。悪(ワル)は悪でも邪な悪は近づくべきではない。そうではない悪は、世の中の正義に対して、必ずしも信を置かず、自らが正しいと信じたことにのみ忠実である。

多くの場合、それは友との友誼であり、仁義であり、男として守るべき筋である。必ずしも明確でなく、いささかぶれることも多々あるが、邪な悪と、そうでない悪の区別は非常に重要だと思っている。

私自身、学校の先生や警察からよく睨まれていたワルガキであったので、真面目な奴よりも、悪っぽい奴との付き合いが多かった。だからこそ分かるのだが、悪い奴にはいろんなタイプがあり、学校の定めたルールに忠実でないからといって、必ずしも悪い奴だとは限らないことを知っていた。

もっと言えば、ルールを守るだけの真面目な奴よりも、必ずしもルールに縛られず、自分で判断して結果として悪い奴とされる人のほうが、人間的に面白いと思っていた。

ただ、この「悪い」の中身をよく判断しておく必要がある。人を傷づける奴、奪う奴、貶める奴、こういった悪(ワル)は邪な悪であり、近づくべきではない。それが無理なら、適切な距離をとるか、強い奴とつるんで相手が近づいてこないようなポジションをとるか対策をとるべきだ。

だが、親や学校、社会が定めたルールを知っていながら、自らの判断で友誼や約束、仁義や筋を守るがゆえに悪とされてしまった奴は、むしろ積極的に関わるようにしていた。社会から、学校から孤立しがちな子供であった私にとって、悪と言われようと大切なものを守ろうとする奴は信頼に値したからだ。

私が十代の頃に知り合った、このタイプの悪とは、今も付き合いが続いている。悪といっても学校を無事卒業し、会社員として、又は自営業者として日の当たる道を堂々歩ける堅気の連中ばかりである。

実のところ、大して悪いことはしていない・・・(多分だが)、いわゆるチョイ悪程度ではあった。休み時間に学校を抜け出しても、せいぜいタバコかパチンコ、麻雀ぐらい。放課後繁華街で遊んでも居酒屋かパブで粋がる程度の可愛いものだ。

ただし戦う時は戦う。おかげで喧嘩はそう珍しいものではなかった。私は止め役のつもりであったが、時として尖兵を走ることもあったらしい(自分では忘れてた)。喧嘩を悪い事だと思っている人は多いだろうが、陰湿ないじめや陰口よりも、身体をぶつけ合い力の優劣で勝ち負けを決める潔さは、そう悪いものではないと思っている。

振り返ってみても、実際に殴り合いの喧嘩をすることを恐れない奴は、しない奴より信が置けた。同時に喧嘩に慣れているので、相手を残酷に傷つけるようなことはしなかった。身体の傷より心の傷のほうが辛いことを知っている奴らでもあった。だから信用できた。

もっとも社会人になり、堅気の生活に長く身を置くと、敢えて喧嘩をせずに耐えることも大切だと理解できたし、争いに身を任せない賢明さがあることも理解はしている。それでも、戦うべき時に戦わないのは、人として信が置けないとは、今も思っている。

戦うことは必ずしも悪いことではない。なぜなら世の中の規則や慣習、ルールなどが必ずしもすべての場合に万能ではなく、むしろ積極的にそれを破ったほうが人として真摯な生き方である場合もあるからだ。

ところで表題の著者は、知る人ぞ知る20年間無敗の麻雀棋士である。麻雀というゲームを知っている人ならば信じられないかもしれないが、この無敗に嘘だとケチを付けた人を私は知らない。

しかも表の麻雀だけでなく、大金が飛び交う裏社会での麻雀も含めて無敗であるという信じがたい奇跡的な、あるいは伝説と云っていいほどの雀士である。私は当初、誇張、はったり、虚言の類ではないかと思ったが、どうやら本当らしい。

無敗であること自体、信じがたい奇跡だが、それ以上に信じがたいのが裏社会での実績がある人が、表社会でも立派に通用することだ。私も見聞でしか裏社会の麻雀は知らないが、積み込みなどのイカサマが横行する魑魅魍魎の世界だそうだ。

なにせヤクザ同士の抗争で、代打ちなどを頼まれることもある世界らしい。億単位の金が飛び交うばかりでなく、人の生き死にまでもが賭博の対象となることもあったらしい。もちろん嘘や虚実、はったり、見栄などもあろうが、まともな世界でないことは容易に想像できる。

そんな世界で無敗でいた人が、日の当たる堅気の世界でも十分通用している。おそらく邪な悪ではなく、真摯に生きた結果として悪であった人なのだと思う。そのあたりを知りたくて読んでみたのが表題の作品。

今さら麻雀の解説書なんて読みたくないが、この本はそのようなものではないので手を出しやすかった。読んでみて面白かったのは、理論や理屈よりも正しい姿勢とか、考えずに本能に従いゲームを進めるといった生き方であった。

麻雀と言う奴は、室内に籠ってするものであるものであるため、アウトドアとは無縁なはずだ。しかし桜井氏は野外、とりわけ海での休暇を重視する。自然の中に身を置いて、本能と勘に任せて生きることを大切だと断言する。

これは私自身の経験からして理解できる。かつて山を登っていた頃、理屈や知識ではなく、勘としか言いようがない本能的な行動で窮地を生き延びたことがあるからだ。なぜ、自分があのような行動をとったのかは分からないが、それが経験に狽墲黷ス勘によるものであることは体感している。

麻雀に興味はなくても、この人の生き方、考え方を知るのは、けっこう面白いと思うので、興味があったら是非どうぞ。

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