私が十代の大半を過ごした街、三軒茶屋には蛇崩(ジャクズレ)川と呼ばれるどぶ川が流れていた。
雨が降ると、すぐに溢れ出して悪臭を放つ困った川であった。その悪臭の原因の一つに、どぶ川沿いに並び立つオンボロ長屋の排水があった。戦前から残っている長屋もあったが、戦後のどさくさに紛れて無理やり建てられた安アパートもあった。
水道こそ通っていたが、下水はそのまま蛇崩川へ垂れ流しであった。ほとんどが違法建築であったようだし、住んでいる住人もそれに相応しい怪しい輩が多かった。
そのなかでも異彩を放っていたのが、どぶ川の土手の緩やかな草地に、柱を立ててその上に家を乗っけてしまった通称ドブ屋敷があった。高床式だといえば、多少は聞こえがいいが、実際は家だが倉庫だか分からない妙な家であった。
電気もガスも通じていないどころか、水道さえなかった。しかし、人は住んでいた。初老の女性で、目つきが悪く、子供嫌いで、大声で喚きたてる。私たち子供の天敵であり、私らは「ドブ婆」と呼んでいた。
蛇崩川は、場所によってはザリガニがとれるので、子供たちは親から禁じられようと、学校で危ないからダメだと警告されようと、あのどぶ川にはよく入り込んでいた。
いくつか入り口はあるのだが、なかでもザリガニが多く取れる淵のあたりに行くには、あのドブ婆の家の脇を通り抜ける必要があった。これが最大の難関であった。
なにせ壁の薄っぺらい家なので、声を潜め、足音を立てずに通り抜けようとしても、ドブ婆に気が付かれずに抜けるのは至難の業であった。困ったことに、ドブ婆は、日中は家にいることが多く、そんな時はどんなに静かに通り抜けようとしても、すぐに見つかったものだ。
だが、悪知恵を絞るガキどもは、ドブ婆がお経を唱えている時は、比較的バレにくいと気が付いた。だからお経を大声で唱えている時は、絶好の機会だとして、逃すことなく忍び込んだ。
あの日もそうだった。家から読経の声が聞こえているのを確認すると、出来るだけ音を立てずに通り抜け、ドブの淵で網を入れてザリガニを大量に捕まえた。帰路は、来たとき以上に慎重に進み、土塀の崩れたところから抜け出して一安心。
すぐにザリガニを皆で分ける算段をし始めたら、いきなり背後から怒鳴られた。なんとドブ婆が立っているではないか。この婆の凄まじい大声に、みんな思わずへたり込んでしまった。
あっという間に、ザリガニは奪い取られ、ドブ婆に蹴飛ばされながら、私たちは這う這うの体でその場を後にした。馬鹿な、あり得ない。まだ読経の声は、家から聞こえているではないか。
種を明かせば簡単で、ドブ婆は読経をテープレコーダーに録音して、それを再生したままの状態で外出していたようなのだ。ちなみに、ザリガニはみんなドブ川に戻されてしまった。
電気も通じてないボロ家なのに、テープレコーダーがあるなんて信じがたいが、家が家電屋のTが「ドブ婆には、うちが売ったぞ」と言うのから間違いないのだろう。ラジオもTVもないのに、テープレコーダーがあるなんて変な話だと思ったが、ある以上は仕方ない。
ドブ婆は謎の多い人だった。近所付き合いは、ほとんどなく、あのどぶ川の土手だって、地主がなぜに住むことを許しているのか、さっぱり分からない。後で知ったのだが、水は隣の地主の家からもらっていたようだ。信じがたいが、家賃も払っていたらしい。
そして一番信じがたかったのは、あのボロ家に都市銀行の行員が出入りしていることだった。今でこそATMまかせだが、当時は銀行員が預金の集金などに個人の家を訪れることはよくあった。しかし、あのドブ婆である。仕事らしい仕事なんて見たことない。それなのに銀行員が集金に来るとは、いったいどうなっているのか。
その時、私が聞かされたのは、ドブ婆が祈祷師というか、拝み屋であるらしいことだ。だから、家で読経をしていたのかと妙に納得したことを覚えている。しかし、そんなに儲かるものなのだろうか。私は他にも拝み屋を知っていたが、それほど稼げる仕事には思えなかった。
その謎が分かったのは、中学に進学してからしばらくしてからだ。今も昔もそうだが、いくら外見が子供っぽくても、思春期に入り第二次性徴が済めば、誰に教わるでもなく、やることをやってしまう。しっかり避妊していればともかく、勢いでやっちまったカップルは少なくない。
結果、出来てしまったカップルが年に数件出てしまう。さすがに産むには早すぎることは、馬鹿なガキでも分かる。だから堕胎するしかないのだが、十代前半のガキに、産婦人科の敷居は高い。親同伴が必須だし、学校にばれることも覚悟せねばならない。
親にも知られず、学校には内緒で処理するにはどうしたら良いか。そんな時に教わるのが、もぐりの産科医なのだが、これが決して安くない。だから、悪ガキ仲間のもとからカンパの連絡がまわってくる。私も乏しい小遣いのなかからカンパしたことはある。中学生にとって数十万の施術費を集めるのは、相当に大変である。
では、金が十分に集まらなかったらどうするのか。私はその時、初めて蛇崩川沿いのボロ家の女性が、もぐりの堕ろし屋だと知った。拝み屋は、表向きの話で、実際には対処に困った若いカップルの求めに応じての堕ろしの仕事が中心であったらしい。
その話を聞いた時、私は知りたくもなかった大人の世界のおぞましい現実の一端を無理やり覗かされた気がして、すごく不愉快な気分になった。もともと好きではなかったが、それ以降は軽蔑の思いを抱くようになった。
だが、それから数年後、ドブ婆の別の一面を知ることになる。(続く)
ディズニーの影響力は凄い。
だからこそ、ディズニー映画ではない童話映画を観ると、けっこう新鮮な感覚を覚えることが多い。表題の作は、数年前にディズニーがアニメ映画として発表し、けっこうなヒット作となっていた。
私は映画館ではなく、DVDで観たのだが大まかなストーリーは覚えていた。しかし、映画館に飛び込んでタイミングだけでこの実写版「美女と野獣」を観たのであるが、決して退屈することなく、むしろ新鮮な気持ちで楽しめた。
とはいえ、最初はフランス語でナレーションが始まったので驚いた。ありゃ、これフランス映画(正確には仏独合作)だったのか。もちろん日本語の字幕があるので、困りはしなかった。
上手く言えないが、いかにダークな雰囲気を出そうと、アメリカ映画とヨーロッパ映画では、暗さの質が違う。光に対比させた暗さがアメリカ映画ならば、暗さがそれ自体自然に存在するのがヨーロッパ映画ではないかと思うことがある。
もっといえば、人工的な明るさを感じるのがアメリカ映画ならば、自然光がヨーロッパ映画なのかもしれない。もちろん監督によってもかなり違いがあるので、例外は多々あることは承知している。
どちらが良いとか悪いとかではなく、それが個性なのだと割り切っている。実際、この映画はもし仮に英語で吹き替えがされていたとしても、アメリカ映画ではないことが分かる。色彩感覚というか、光の使い方がかなり違うのだ。
更に付け加えるのなら、アメリカ、とりわけディズニー映画ではありえない場面、つまりラブシーンだが、これがあることで大人の鑑賞に堪えうる童話の実写化映画として成功しているように思う。もちろん露骨ではないが、十分にセクシーな場面はかなりある。
率直に言って、如何に美人のヒロインを出そうと、男は顔立ちだけでなく色気にも関心を抱くのだから、このほうが自然に思える。実際、パーティドレスって奴は、不自然なくらいにバストを強調したデザインが多い。
アメリカ映画では、そのあたりは強調しないデザインで済ませているが、さすがにヨーロッパは違う。王子様がメロメロなのもよく分かる。このほうがリアルだと思うな。
私が驚いたのは、終盤の巨人の登場場面。あれ?これ、どこかで観たような・・・もしかして大魔神?
後で調べたら、監督さんは日本映画の「大魔神」のファンらしい。いやはや、これには驚いた。週末の二時間あまり、けっこう楽しい時間を過ごせましたよ。興味がありましたら是非どうぞ。
朝夕は、ほぼ週五日以上、家で自炊している。
といっても料理が好きな訳ではない。むしろ食べるのが好きなのが本音である。ただ、若いころに難病を患い、その治療に使った薬の副作用とかもあり、ある種の食事療法を自己流にやっていた。
別に難しいことではなく、ただ普通よりも塩分を控えめにしていただけだ。これは外食では難しい。外で食べると塩分の摂取量は格段に増える。それが分かっているので、自宅での食事を多くしていた。
もっとも母が生きていた頃は、どうしても塩分が多めになることがしばしばあった。これは一概に母を責められない。日中、働いていると、どうしても身体が塩分を欲しがる。肉体労働で汗を流していたのなら、それは必然であり、必要でもある。
しかし、デスクワーク中心だと、それほど塩分は必要としない。厄介なことに、私はデスクワークと外回りの両方をやっており、一日事務所にこもる日もあれば、終日顧客回りで疲れて帰宅することもある。
当然に後者の場合だと、身体が塩分を欲しがる。しかし、デスクワークだけで終わった日には、それほど塩分は必要としない。母はどちらかといえば、私が疲れていた時を基準に料理を作っていたので、デスクワークの日だと料理が塩辛く感じてしまう。
これはなかなかに難しい問題で、ときおり母に文句を言っていたが、些かお門違いなのは分かっていた。母が亡くなってからは、自分で料理しているが、塩分の取り過ぎ以上に困ったのは、ボリュームの問題である。
率直に言って、一人分の料理を美味しく作るのは難しい。特に煮込んだりする料理は、ある程度量を作らないと、なかなか美味しくならない。だから、どうしても多めに作ってしまう。
しかも、一人暮らしの気ままさで、自分の好きなものばかり、沢山作ってしまう。これが近年体重が増加した大きな原因となっている。だから、最近はご飯の量を減らしたり、量を調節しやすい焼き物や、蒸し料理が多い。
調味料も、なるべくスパイスを活かしたものにして、塩分も減らすように工夫している。それでも、なかなか痩せられないのは、間食を止められないことと、忙しくて運動が出来ないことが大きい。
おまけにストレスがたまると、どうしても美味しいもんでお腹を一杯にしたくなる。そうなると、鍋の出番となる。野菜を中心に魚や鶏肉を使うことで、なるべくカロリーは減らしているつもりだが、残さず食べる癖が治らない。これでは痩せられない。
でも、鍋って少量で美味しく作るのは難しい。小さな土鍋を使ったりして工夫してみるが、小さいと肉や魚から出汁が十分出るのに時間がかかる。こうなると、後は圧力鍋か・・・
最近、家に帰る途中に考えることは夕食のことばかりだったりする。これは楽しいような、情けないような微妙な気分。本屋で手に取る本も、料理関係のものが多かったりする。
表題の漫画もその一つ。四コマ漫画ばかり掲載している雑誌に連載されているのだが、四コマ漫画ではない。どちらかといえば、少女マンガの画風なのだが、恋愛ネタはほとんどなく、ひたすら食べる話ばかりである。
ちょっと複雑な家庭で育った大学生の鴨君が主人公なのだが、これが食いしん坊な上に料理上手。アパートの住人は、鴨君が作る料理目当てに集まってきて、毎日騒がしい。
この鴨君、バイトに追われる学生らしく、けっこう貧乏暮らし。だから創意工夫して食事を美味しくしようと努力する。これがけっこう参考になる。以前は素通りしていた漫画なのだが、最近はけっこう熱心に読んでいる。
数ページの短編ばかりなので、気軽に読むのに向いている。気分転換にどうぞ。
十代後半、高2から大学浪人にかけての3年余り、パチンコに熱中していた。
その時の経験から断言できるのだが、私はギャンブルに向いていない。ギャンブルを楽しもうとせず、結果の勝ち負けにこだわってしまう。要するに出玉を換金して、収支が黒になれば勝ちだし、赤字ならば負けだ。
負けないために私は相当に努力した。釘の変化には細心の注意を払うのは当然であり、毎日行きつけのパチンコ屋の台をチェックして、どの台が良く出て、どの台が出なくなったのかをメモに付けて確認した。
当然、出玉率のイイ台を取るために開店前からパチンコ屋の前に並び、下手すると閉店間際まで店内にいる日もあった。高2、高3の頃はそれほどでもなかったが、時間の自由が利く浪人生であった時は、それこそ勉強時間よりもパチンコ台の前に座っている時間のほうが長かった。
受験生として、それは不味いとの自覚はあったが、勝つこと(金を儲けること)に囚われて、なかなか止めることが出来なかった。実際、私はけっこう勝っていた。当時、購入した50ccのスクーターの代金は、パチンコの儲けで購ったことも自信につながり、止めにくかった理由である。
しかし、某繁華街の駅前のパチンコ屋で嫌な体験をしたのを機に、パチンコは辞めてしまった。後2か月で大学受験だし、タイミング的にも良かった。その時点では、まさかパチンコをこのままやらなくなるとは思っていなかった。
ところが、大学では部活とバイトが忙しく、とてもじゃないがパチンコに時間を費やすことが出来なくなった。情報に疎くなるにつれ、勝つのが難しくなるのは分かっていたので、気が付いたらパチンコからは完全に足を洗ってしまうこととなっていた。
その後、十数年パチンコとは全く無縁であったのだが、佐藤税理士事務所には顧問先にパチンコ店があり、今度は経営者サイドから係ることになった。これは、これでひどく新鮮な経験であった。
私が驚いたことの一つに、利益率の低さがある。もっと儲かっていると思い込んでいたのだが、思いのほか利幅は薄かった。パチンコとは貸し球業である。顧客にパチンコ玉を有料で貸して、パチンコ台で遊ばせる。
もし客がパチンコ玉を増やすことが出来れば、それを景品に交換できる。その景品を第三者に買い取らせることで、客はお金を得る仕組みである。ちなみに、その景品は、卸業者を経て再びパチンコ店が買い取る。
つまり、パチンコ店の粗利は、客からの有料の貸し玉料金収入と、景品の買い取り支出の差額で計算される。景品の値段は一定なので、店の利益は客が如何に多く金を払って遊んでくれるかにかかっている。
だからこそ、魅力的なパチンコ台が重要になる。そのパチンコ台が異様なほど高額になったのは、CR機導入後だと思う。かねてから警察はパチンコ業界を暴力団の資金源だと見做して、その排除に力を入れてきた。
結果、プリベイカード方式を導入することになったのだが、これが当初不評であった。パチンコ店としては、ただでさえ高額な台を導入した以上、不評なままでは困る。そこで登場したのが爆裂機と云われたパチンコ台であった。
要するに短時間で爆発的に玉が出るパチンコ台である。この魅力につかれたパチンコ・ファンは多かった。短時間で稼げるので、プリベイカード方式が必需になったのは確かだ。しかし、その一方で射幸心をあおり過ぎる点が問題視され、警察は規制に入りだした。
警察の言い分も分かる。この爆発的に出るCR機の登場により、客が消費者金融に金を借りてまでしてパチンコをするようになったからだ。当然に自己破産するほどパチンコに熱中するパチンコ中毒者が続出し、話題になったのだから規制をかけた。
だが、ひどい手前勝手な理屈だと思う。元を糾せば警察がプリベイカード制度を導入し、従来より製造費のかかるCR台をパチンコに普及させたことが最大の原因だ。
当初人気がなかったがゆえに、経営危機を予感したパチンコ業界が爆発的に玉が出るように改造したわけだが、この改造は警察(正確には保通協という外郭団体)の認可を受けている。云わば警察のお墨付きであった。
これ以降、警察の過剰な介入に嫌気がさしたパチンコ店のなかには、違法にされてしまった爆裂機に改造する違法行為が横行するようになった。違法プログラムから、違法ROMカードなど私がパチンコをやっていた時には全くなかった新しい手口には驚かされるばかり。
表題の書は、パチンコ業界誌の記者として活躍し、現在はフリーの立場となったジャーナリストによるパチンコ業界の内部事情を書き記したものだ。違法と合法の境目に咲いたアダ花のようなパチンコ業界について、素人にも分かりやすく解説している。
パチンコの攻略には、まったく役に立たないが業界の事情を知るにはよく出来ていると思います。興味がありましたらご一読のほどを。
ある意味、予想通りなのだが、けっこう悩んでいる。
安倍総理が来月の衆院解散と選挙を決断したようだ。私は衆議院選挙は消費税の二度目(来年の10月予定)前だろうと思っていたので、それほど驚きはしなかった。
選挙の結果は、まず間違いなく自公政権の勝利だと思う。散々野党が騒ぎ立てた政治資金の問題なんざ枝葉末節であり、有権者の関心は大半が景気についてだと思われる。
だからこそ、悩ましい。元々消費税の増税は、どの党が政権につこうが関係なく、財務省の基本方針に過ぎない。事実、民主党政権の時でさえ、消費税増税は既定の路線であった。
今年4月の5%から8%の増税は、間違いなく景気への冷や水となった。如何に日銀が金融緩和しようと、公務員の給与を上げようと、大半の国民の実質的な所得はよくて停滞、むしろ減少なのが実態である。
賃金の上昇は統計的にも事実だが、国民の7割以上を占める中小企業にはあまり見られない。株価と不動産価格(一定の地域限定だが)が上がっているのは確かだが、ガソリン価格、重油、食料品とくに生鮮野菜の値上げ傾向は、庶民の財布を直撃している。
しかも上がったのは消費税だけではない。マスコミは無視していたが、今年9月から社会保険が情け容赦なく上がっている。また子供手当が減額支給のままなのに、扶養控除ははずされたままなので、子供を持つ家庭では実質所得は減少したまま。
慌てた財務省と日銀が、第二の金融緩和を実行したが、反応したのは株式市場だけで景気全体への波及は確認できない。円安の加速を思えば、むしろ悪影響さえ感じられる。
この状況下で消費税増税の判断を下すのは、如何に与党と云えども躊躇わざるを得ない。財務省の意向は来年10月増税あるのみであり、それが分かっている以上、声に出しにくい。
だからこそ選挙が必要となる。幸い野党への風は、まったく吹いていない。いずれ増税するにせよ、有権者の声という名目があれば、財務省の意向に逆らうことだって不可能ではない。
あるいは、有権者の声は一応聴いたとのポーズの下、来年の増税を強行して来年の予算で地元選挙区にお金を流す段取りをつけたいと思う輩もいるだろう。
嫌な予想だが、今回の選挙は消費税増税対策選挙となる気がしている。同時に予測できるのは、来年の景気は今年よりも悪いことだ。本当に嫌な予想だが、今のところ景気浮揚の予兆すらないのが現実だ。むしろ悪材料ばかり。
だからこその年内選挙ではないのか。このところ滞りがちの国会運営も、選挙という禊が済めば上手くいくはずだ。
そんな自民党幹部のほくそ笑みが聞こえてくるみたいで、すごく嫌。でも、野党は自民党以上に情けなく、頼りにならない。政治に期待できないのは、民主主義の国の有権者としては忸怩たるものがある。
政治が当てにならない以上、一市民として出来ることを必死でやるしかないですね。