ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

NARUTO完結

2014-11-13 14:30:00 | 

15年に及ぶ長期連載を続けてきた週刊少年ジャンプの人気漫画「NARUTO」が遂に完結した。

久々に、本当に久々に発売日の朝にジャンプを買ってしまった。最終話とその後の二編が掲載されていた。これは保存しておこうと思っている。

大人が楽しめる少年漫画は少なくないが、そのなかでもNARUTOは別格であったと思っている。絵の上手さ、ストーリーの巧みさ、登場人物の魅力などのバランスが極めていい。

絵の上手いだけなら、他にも沢山いる。実際、初期のNARUTOの絵はあまり上手くない。特に女の子を描くのが下手であった。ヒロイン役のサクラなんて、可愛くもないし美しくもない。むしろ単なるオテンバ娘に過ぎなかったのだが、中忍試験あたりから個性が光りだし、それにともない魅力的なヒロインに成長していった。

主人公のナルトにしたところで、最初は単なる悪戯坊主の域を出なかった。それが度重なる試練を乗り越え、努力と苦悩の末に成長し、堂々たるヒーローになった。そして漫画家、岸本斉史の成長の物語でもあった。初期に比べ格段に絵が上手くなっている。

この漫画は、少年たちの成長の物語であった。人は一人では成長できない。仲間の助けと、大人からの信頼と指導、そしてライバルたる敵の存在が、個人の資質を高め、更なる成長の糧となる。失敗と挫折があり、そこから努力を積み重ねてこそ得られるものがある。

この漫画では主役のナルトだけでなく、ライバルのサスケ、ロック・リー、シカマル、我愛羅、サイといった仲間たちの個性と成長が、物語に添えられていた。個性の異なる様々な少年たちの成長は、多くの子供たちから熱い視線を注がれた。だからこそ、大人たちも共感できたのだと思う。

おそらく全72巻で完結になると思う。現在71巻が先週発売されているが、72巻の発売予定は来年2月だそうだ。多分、後日談が加わるのだろうと予測している。

長編漫画なので読み切るのは大変だが、この冬はじっくり読み返そうと考えている。それだけの価値はあると思う。岸本先生、15年間ご苦労様でした。そして、素晴らしい物語をありがとうございます。

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プロレスってさ ストロング小林

2014-11-12 12:45:00 | スポーツ

アントニオ猪木は嘘吐きだ。

良くも悪くも嘘吐きだ。その良い面が出たのが、久々の日本人エース対決であったストロング小林戦であった。

国際プロレスのエースであったストロング小林が突如、フリー宣言をしてジャイアント馬場とアントニオ猪木に対決を要求したのは、私が小学生の時であった。力道山対木村以来の日本人対決である。これに興奮しなくちゃ男じゃない。

この試合が観たくて観たくて仕方なかったが、当時父母の離婚でバタバタしていたので、試合会場に行けるわけもなく、TVでの観戦が精いっぱいであった。当時、祖父母の家に引っ越していたので、TVは一階と2階にあり、どちらかで観れるはずなのだが、祖父母はどちらもプロレス嫌い。

でもおばあちゃんに懇願して、この試合だけは台所のTVで観させてもらった。幼いながらも、この試合のもの凄い緊張感や、技の攻防の凄さは感じ取れた。あのときは本気でプロレスこそ世界最強の格闘技だと思っていた。

やがて十代も半ばになると、格闘技を真剣にやっている友人が出来、彼らからあの試合の不自然さを聞かされた。まさかと思ったが、試合が始まった最初の殴り合いで、やはりストロング小林は失神していたようだ。

それを隠すため、アントニオ猪木は寝技を仕かけて動きを止めているように見せかけ、実際は小林が失神から目を覚ますのを待っていたようだ。猪木の演技は見事であったと思うが、その話を聞かされた時は正直がっかりした。

ただ、納得も出来たのは、ストロング小林があまり強くないレスラーだと知っていたからだ。もともと国鉄の職員時代に始めたボディビルのジムで、国際プロレスの吉原社長にスカウトされた格闘技の素人である。

たしかに怪力は凄かった。また表情豊かに試合を演じることも出来た。ただ、今だから分かるが、ケンカ上手とは言いかねた。だから実力派のレスラー相手の試合なら、相手が試合を上手に作ってくれるので、まずまずの試合が出来た。

しかし、相手がヘボいレスラーだと、相手に合わせて試合を作るのが下手だった。そのせいで、ストロング小林には名勝負といわれるような試合が少ない。ただし、十二分に発達した筋肉の見栄えと、表情豊かに試合を演じることは出来たので、日本だけでなくアメリカでも活躍できた。

冒頭の猪木戦は、そのストロング小林の魅力が最大限に出ている数少ない名勝負であった。この試合の最後は猪木の強烈な原爆固め(ジャーマン・スープレックス)だが、その前に小林がみせたカナディアン・バックブリーカーは見事な絵図であった。子供の時の私は、あの時猪木がギブアップするのではないかと本気で心配したほどだ。

でも今だから分かる。あれは、やはり試合の流れを見事にコントロールした猪木の手腕あってこそだ。もちろん、ストロング小林も個人としては奮闘したのだと思う。プロレスの名勝負は、対戦する二人の呼吸が合ってこそ成立する。序盤で失神するという失態を犯した小林は、面子を潰さずに試合を続行してくれた猪木へ感謝していたからこその名勝負だったかもしれない。

だがストロング小林はバックブリーカーのような怪力技を多用したせいで腰を痛め、早い時期に引退を決めている。引退後はストロング金剛の名前で券\界で活躍しているので、若い人にはそのほうが分かりやすいかもしれない。

実際、つるっとした坊主頭とギョロリとした目つき、長身で逞しい体躯は見栄えがよく、TVや映画にもよく出ていた。ただ「元気が出るTV」で落とし穴に落ちたときに足首を痛め、そのせいで券\界からも身を引いてしまった。

現在は郷里である東京は青梅で静かに暮らしているらしい。正直、プロレスラーとしては超一流とはいいかねたが、あの力道山対木村以来の日本人対決という名勝負を演じたことだけは、忘れずに覚えておいて欲しい。

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電力買い取り制限に思うこと

2014-11-11 12:09:00 | 経済・金融・税制

分かっていたはずだ。

再生型エネルギー利用の一環として、太陽光発電などで得た電力を電力会社に買い取らせる制度が出来てわずか数年。原発の停止により、たしかに電力は不足していた。

しかし、高コストの輸入した重油やLPGガスを燃やして発電して電力不足を解消した電力会社が、ついに電力買い取りの制限を打ち出した。

当然であろう。

元々、採算性を考慮したものではない。それどころか、ドイツの先例をみれば電力の高値買い取りは必ず破綻すると分かっていたはずだ。

しかし、当時福島原発事故を契機とした原発ヒステリーを起こしていた民主党政権は、この電力買い取り制度を強行した。ドイツの先例を知っていて、報道で警鐘を鳴らしながらも、反原発に気を取られたマスコミは、この安直なアイディアを実行してしまったことを見過ごした。

再生型エネルギーとして、太陽光発電は最も不安定であり、また発電効率も悪い。しかし、一番簡単に設置できるがゆえに、日本各地で太陽光パネルの設置がブームとなった。行政がこれに補助金をつけたものだから、採算性を甘くした計画が横行していたのは、私も何件もみている。

事業としては破綻することが分かっていた。にもかかわらず、反原発の風潮に竿されて日本各地に太陽光パネルは設置された。そして案の定、円安による輸入原油の価格上昇に耐え切れず、電力会社は買い取り制限を宣言することになった。

執拗に繰り返すが、これは予測されていた結末である。分かっていたのだ。分かっていながら、反原発とか再生型エネルギーという言葉に騙されていた。採算の採れない事業は、必ず失敗する。ただ、それだけのことだ。

太陽光パネル発電を推奨した馬鹿どもと、それを信じてしまった愚民は、その愚かさをきつく噛み締めるべきだ。分かっていながら、反対しなかったマスコミも同罪である。

私は今でも覚えている。わざわざドイツまで取材に行き、そこで電力買い取りが破たんした惨状を報道したマスメディアが複数あったことを。それを知りながら、敢えて放置して反原発、再生型エネルギーの痴夢に酔い痴れた馬鹿は誰であったのか。

実を云えば、これは最初のケースではない。あの70年代の石油ショックの際にも、石油以外のエネルギーに奔走し、石油が値下がりした途端に破綻した企業が幾つもあった。

エネルギーの多角化は、社会の安定には有益なのだが、コスト面で採算がとれなければ事業として継続は出来ない。それを分かっていながら、同じ失敗を繰り返している。

太陽光パネルの設置のため、多大な借財を背負った方には申し訳ないが、私はあまり同情できない。発電事業には素人の私でさえ、失敗することが予測できたビジネスモデルを信じて決断したのが悪い。これでは自業自得としか言いようがないではないか。

でも、あまりに酷なので、付け加えておく。いずれ破たんする可能性を知りながら強行した民主党政権、失敗した実例を知りながら、それでも反対しなかったマスコミ。彼らもまた共犯者であるはず。

まァ、奴らは責任はないと逃げるだろうが、有権者としては忘れずにいて欲しいものである。来年は選挙だ。出来もしない理想ばかり夢見て、冷徹な現実から目をそむけるような愚者は必要ない。

今回の事件は、その愚者が何をしでかしたのか、良く分かる事例でもある。せめて、同じ過ちを繰り返す愚は避けて欲しいものである。

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新・世界七不思議 鯨統一郎

2014-11-10 14:42:00 | 

歴史好きは、ミステリーも好き。

あくまで私の個人的な経験からだが、案外当たっていると思う。歴史もミステリーも謎解きが面白い。さらに面白いのは、専門の歴史学者や警察などの捜査関係者が資料(あるいは自白)に過剰なまでに固執してしまうのに対し、素人である歴史好き、ミステリー好きは想像逞しく、理論的に、あるいは情緒的な謎解き、解釈をすることだ。

だが、専門家ほど素人の考えを容易には受け付けない。歴史学会は資料偏重主義に陥っているし、警察はそもそも素人の口出しを本能的に嫌う。警察はともかくも、歴史学者の資料を重視しすぎる姿勢には問題が多い、多すぎる。

歴史とは勝者によって語り継がれる。勝ったものが正義であり、敗者の論なんざ価値亡きものとされてしまう。如何に卑怯な手を使おうと、勝ったものが正しい。

そして、勝者は自らを高らかに賞賛させ、敗者を貶めることで、より勝利の価値を高めようとする。戦後に行われる軍の凱旋パレードはその典型だし、敗者を公開処刑に付すこともその一つ。

なかでも効果が高いのは文章で書き遺すことで、その勝利の価値を歴史に刻むことである。勝者が自らを讃え、自らの正義を高らかに宣言したものが公文書として残る。

歴史学者がこのような資料としての歴史公文書に最大限の価値を認めること自体は、決して悪いことではない。しかし、書き記された歴史公文書は、あくまで勝者の視点で書かれている。

このことを失念してもらっては困る。勝者には勝者の理屈があるだろうが、敗者にだってそれなりの理屈はあったはずだ。そのことを知っていながら、文章こそを真実だと考える歴史学者が多いことが、素人の歴史マニアを生み出す素地になっている。

話題作となった「邪馬台国はどこですか」で鮮やかな素人歴史論議を楽しませてくれた鯨先生が、世界の七不思議をまな板に乗せて捌いてみせたのが表題の書である。

この作品で結論付けられた七不思議への回答は、未だというか当然というか、歴史学会で認められたものではない。が、知的愉悦という点では十分読者を楽しませてくれる。

秋の夜長、軽く歴史ミステリーを楽しみたいなら最適の一冊でしょうね。さて、私もカシス・シャーベットを頂いたら一休みしますかね。

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シナ共産党幹部の自殺

2014-11-07 12:42:00 | 社会・政治・一般

水曜日の産経新聞に気になる記事があった。

中国共産党の幹部に自殺や不審死が相次いでいるとの報である。私の知る限り、シナ人は生きる気力が最も逞しい民族であり、滅多なことでは自殺なんてしない。するとしたら面子を著しく傷つけられた時ぐらいで、間違っても上司を守るための自殺なんてしない。

如何な境遇にあっても生きて生き抜く。そのためなら、惨めな敗走も辞さない。戦争の時だって、敗走に敗走を重ねようと、最後に勝てばいい。うろ覚えだが、毛語録に記された詩には、冒頭に戦いから逃げる場面を描いてあったことに衝撃を受けた。

最初は負けたって、最後に勝てばいい。だから中国共産党に率いられた軍隊は、日本帝国陸軍から逃げに逃げ、大陸を4000キロ逃げ回り、最後には大陸の覇者として君臨している。

十代の頃、毛語録の読書会で聞かされたシナの戦争に対する考え方に衝撃を受けたものだった。ちなみに日本軍では「負ける」とか「逃げる」なんて口にしただけで非国民扱いであり、軍人として許されざることとされていた。しかし、シナ人は最初から敗走しても、最後に勝てばいいと考える。

シナ人の生き抜く底力に戦慄を覚えたものである。そのシナ人の幹部たちの自殺なんて、あの大躍進(大失敗に終わったが)や紅旗兵、四人組の時代にさえ、滅多に聞かなかった。

どうやら習政権の下で、凄まじい権力闘争が行われているらしい。反腐敗運動の成果だとの記事も目にしたが、それはあまりに甘すぎる認識だと思う。シナ人の面の皮は、ゾウの皮膚より厚く、贈賄疑惑だの公金横領疑惑程度で自殺するほど繊細な神経なんざ持ち合わせていない。

おそらく、この権力闘争はまだ続いていると思われるが、いったい誰が最後に勝者として立ち上がるのか。

シナの歴史を振り返れば分かるが、国内で熾烈な争いをしている時は、外部に対して積極的に動くことはない。問題はその後だ。闘争の勝者として生き残った新たな権力者は、自らを正当化するためにも外に向かって戦いを仕掛けることが少なくない。

外国との戦いに勝って、自分が権力を握ったことが正しいと国内に宣伝するのが目的だ。シナにおける英雄の条件は、まず第一に外敵を唐オたことである。それは今も昔も変わらぬ。

外敵とされる周辺国は、このシナの横暴に悩まされ続けてきた歴史を持つ。とはいえ、現在のシナの軍事力では、到底アメリカには抗しえない。だから表面上、アメリカとは対立を演出しても、実際の戦いはしないと予想できる。

そうなると、アメリカが乗り出さず、しかも勝てば国民が大いに溜飲を下げる外敵はどこか?

本命は日本だと言いたいところだが、アメリカが日本列島を防衛圏と定めているので、手を出しにくい。またプーチンのロシアとは、アメリカをけん制する意味でも戦いは避けたい。

意外に思う人もいるだろうが、私は北朝鮮ではないかと思っている。シナの人民解放軍の主力である北方軍は、伝統的に北朝鮮軍とは親密であり、血の同胞とまで称して陰に日向に助けてきたのは事実だ。

ただ、現在の習政権は南方出身者が大半であり、北方軍とは必ずしも良好な関係にない。もし、習政権が権力闘争の勝者として生き残ったのならば、その刃は朝鮮半島に向けられる可能性は低くないと、私は考えている。

もちろん、南沙諸島や西沙諸島への軍事進攻の可能性もある。しかし、アメリカ民主党が中間選挙で敗北し、次期政権が共和党である可能性が高い以上、アメリカ軍の介入の可能性は低くない。

そうなると、現在習政権が密接な関係にあるとは言い難い北朝鮮は、絶好の標的だ。既に北朝鮮国内には中国企業が進出しており、鉱山開発など資源開発に乗り出している。

この利権を確保する意味でも、北朝鮮を手に入れる価値はある。ただ、伝統的に非常に反発心の強い朝鮮民族なので、直接統治ではなく傀儡政権の樹立による間接統治を目指す気がしている。

現時点で、三代目の金正恩に強力な指導力があるようには見えず、シナに対しても好意的とは言いかねる態度をとっていることも一因となる。もちろん韓国は大反対するだろうが、アメリカ軍の支援なしでシナに抵抗する力がないことも分かっている。

忘れてはいけないのは、北朝鮮は核兵器の保有国であることだ。シナは隣国に核兵器があり、それがシナに向けられる可能性がある以上、それを安易に容認するとは思えない。今まではシナの人民解放軍北方部隊が、北朝鮮の軍部と密接であったから、なんとか容認できた。

だが、もしシナの次の権力者が人民解放軍北方部隊と対立する立場であったら、果たしてどうなるか。

あまりに不確定な要因が多すぎるので、これを予測とは言わない。むしろ、将来ありうべき、あるいは想定しておくべき状況として、対応を考えておく必要はあると思うのです。当たって欲しい予測ではないのですがね。

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