驚いた、辻静雄ってコックではなかった。
美食とは縁遠い私でさえ、辻静雄の名前は知っていた。開高健の釣り紀行を読むと、彼が辻調理師学校の講師を連れて海外の釣り旅行に行き、そこで釣りたての魚を、彼らに調理させて美味しそうに食べていた文書を読んでいたからだ。
日本に本格的なフランス料理を広めた伝道者、それが辻静雄であった。
まず、膨大なフランス料理の書物を英語版、フランス語版で読み込むところから始めている。そして、アメリカへ行く前にフランス料理の本を書いた著者に事前に手紙を出して挨拶し、その情熱を伝え、実際に渡米して会って話を聞いてもらう。
辻の情熱にほだされた美食ガイドの著者たちは、フランスのレストランを紹介し、料理レシピを書いた本を扱う専門店に案内し、その情熱に応えてくれている。インターネットもない時代、人に会い、話を聞いてもらい、店や知人を紹介してもらう。
まさにビジネスの基本である。その基本を忠実にこなしたからこそ、辻静雄はフランス料理の名店のオーナーやシェフと知り合うことが出来た。その機会を逃さず、必死の思いで食べ歩き、美食を舌に刻み、その記憶を日本に持ち帰って調理師学校で生徒に伝える。
まさに王道である。その道は長く険しいが、その努力あったからこそ、遠い異国である日本において本格的なフランス料理が根付いたのは間違いない。
フランス料理を学ぶのための人脈も知名度もなかった若き日の辻は、すぐにフランスに行かずに、アメリカの有名美食家と知己を得て、その紹介により超一流のフランス料理にたどり着くことが出来た。
おそらく辻以前の料理人たちは、フランスへ直接渡り、皿洗いから始めて時間をかけて調理場に立ち、そこで得た知識を持って日本に帰国している。その期間が長くても10年に満たず、せいぜい二、三の店で働いて、実地経験から学ぶのが精いっぱいだったのだろう。
しかし、遠回りした辻は、当時最高の評価を得ていた名店ピラミッドのオーナーと知己を得て、最高級のフランス料理の知識を伝授され、そのオーナーの紹介で当時期待の新人シェフの料理を満喫し、ミシュランガイドの☆を獲得したレストランばかりを数十件食べ歩く。
この経験を日本に持ち帰ったばかりでなく、その最先端にして最高の料理技術を若い料理人に教え、彼らが日本各地のフランス料理店でその腕前を披露することで、日本に本格的なフランス料理を根付かせた。
まさに偉業である。
私は仕事というものを、人と人との邂逅により生まれるものだと信じている。その邂逅を実り豊かにするためには、膨大な準備としての勉強も必要である。また邂逅を得るためには、信頼してもらい紹介してもらう必要がある。
これってビジネス、とりわけ営業の基本だと思う。それを実践したからこそ、辻静雄は成功したのだと思います。日本が世界屈指の美食大国になれたのは、まさにこのような地道な努力があったからなのでしょうね。
それにしても、海老沢泰久は文章も構成も上手い。おそらく現在のルポライターでも最上級なのだと痛感した一冊でした。是非、ご一読をお薦めします。
痛くはないが、鈍い悔恨が脳裏をかすめることがある。
率直に言って、私は色恋沙汰に鈍感なほうだ。別に女嫌いでもなく、他人への関心がないわけでもないが、子供の頃から鈍かったと思う。でも、それは男の子ならば普通のことだろうし、むしろ女の子が過敏に過ぎるとさえ思っている。
ただ、思春期に入ると、この鈍感さが少なからず失恋の原因になっていたことは否定できない。気づいていながら、何故に言葉に出来なかったのか。何故に相手が分かってくれるはずなんて、責任回避の怠惰さに逃げていたのか。思い出す度に悔やまれる。
私は過去を悔いるのが嫌いなので、だからなるべく思い出さないようにしている。思い出して、悔いてみたところで、失った過去が変わるわけではないからでもある。
それでも、思い出さずにいられないこともある。
小学校を転校してようやくクラスに馴染み始めた頃、幼稚園で発生した疫痢感染が家族等を通じて、小学校にも飛び火した。妹がその幼稚園に通っていたので、私も感染して病院の隔離病棟に強制的に入院させられたことがある。
退院後、伝染病に感染したことで、クラス内で差別的扱いを受けそうになったが、この時は担任の先生がしっかりしていたので、大事にならずに済んだ。ただ、気持ちの上での差別感は残っていたと思う。
あれは、多分フォークダンスのペア決めの時だと思う。既に私は伝染病からみで、クラスの女の子たちから忌避されている雰囲気は感じ取っていた。鈍感な私でも、差別感情には気が付かざるをえない。
だが、何故だか分からないが私はあまり気にしていなかった。断られるなんて、まったく考えもせずに真っ直ぐT子の席へ向かい、ペアになってくれと無造作に言い放った。
T子はうつむいて、小さな声で「うん」と言ってくれた。周囲が小さくざわめいていたのが、私にも感じられた。転校して半年あまり経ってはいたが、普段話すのは男の子ばかり。T子との接点は日頃なかった。にもかかわらず、私は迷わずT子を選んだ。
理由?
自分で決めておきながら妙だが、明確な理由があった訳ではない。ただ、T子はクラスでも目立つことのない大人しい子であった。もっといえば、無口な子であり、誰と争うこともなければ、強く自分を主張することもなかった。
ただ、転校当初から気が付いていた。T子は私を異端視しない子であった。米軍基地の隣町で、白人の子供たちと石や棒を使った荒っぽい喧嘩に慣れ親しんでいた私にとって、この住宅街の閑静な街は別世界であった。
目があっただけで罵りあう白人のガキどものような分かりやすさはなく、目を逸らして後で陰口叩くような陰湿なガキが多いのに閉口した。ちょっと絡んだだけで、すぐに先生に告げ口する意気地なしばかりであり、タイマン張る根性もない。
だから転校当初から私は少々クラスで浮いていた。両親の離婚やら、突然の転校やらでイラついていた私は、家でこそ大人しくしていたが、その分学校で苛立ちを発散していたのが原因である。
しかし、私は基本女の子には手を出さない。基本と書いたのは、当時も、そして今も女の子のほうが活発な子が多く、やかましく口を挟んでくる子もいたからだ。直接暴力こそ振るわなかったが、わざとそんな喧しい女の子のそばで取っ組み合う程度の嫌がらせはしていた。
ただ、不思議なことにT子は、ただ黙って私が悪さをしているのを見ているだけで、先生に告げ口もしないし、女の子同士で集まって私の悪口を言っているようにも見えなかった。
どちらかといえば、女の子たちのグループからも、ちょっと浮いている子であったように思う。私が勝手にフォークダンスのペアの相手にT子を指名した時も、不思議なことに誰ひとり囃したり、からかったりするクラスメイトはいなかった。
私は厄介者を押し付けられたT子への同情ではないかと勘繰っていたが、そう外れていないと思う。実際、周囲から安堵感のようなものを感じたからだ。ところでT子とは日頃接点はないと書いたが、もしかしたらあるかもしれない。
校内では問題児扱いの私であったが、唯一私が大人しくしていたのは図書室であった。当時から読書好きであった私は、ここでだけ大人しかった。そしてT子も図書室の常連であった。
多分、本のことでなにか話したことがあったように思う。正直記憶はおぼろだが、多分「おれ、この本好きだ。お前も好きか」程度のことは話したかもしれない。自信がないのは、私が無造作に、無意識に話したからで、意図しての会話ではないからだ。
ここから先は、まったくの憶測に過ぎないのだが、多分T子が私を拒否しなかったのは、図書室でのことがあったからこそだと思う。女の子って奴が、好って言葉に異常に反応を示すことは、なんとなく気が付いていた。
ただ、当時男の子であった私にとっては、お団子が好き、読書が好き、プロレスが好きといったレベルでの「好き」である。しかし、女の子にとっての「好き」は、どうも違うらしい。
一応書いておくが、当時の私は10歳未満であり、恋愛感情とは無縁である。ただ、女の子は少し違うかもしれない。もちろん、私の独りよがりかもしれないが、実は似たようなことを思春期に入ってからも何度かやらかしている。
私にとっては、無造作で意図のない「好き」であるが、受け取る相手によっては、それはただの「好き」にはならないらしい。それに気が付かなかった鈍感な私は、おかげでひどく恋愛下手になったように思う。
そんなことを思い出しながら観ていたのが表題のアニメ映画である。NARUTOファン以外は見る必要がない映画ではある。同時にまた、こりゃ週刊少年ジャンプでは描けなかっただろうとも思った。
私はNARUTOのヒロインは、当然に春野さくらだと思っていた。事実、中盤までは主人公を上回る活躍を見せている。でも、今回ようやく本当のヒロイン役がヒナタだと、さくらの科白から分かった。
「ナルトは昔っから私のことを好きだって言っていたけど、それは私がサスケ君を好きだったからでしょ」とさくらに云われて黙り込むナルト。ポップコーンをほうばっていた私も、思わず固まってしまった。そうか、そうだったのか。ちなみにサスケは、落ちこぼれのナルトがライバル視する眉目秀麗、成績優秀な少年忍者である。
でもね、多分作者の岸本先生も当初はさくらをヒロインのつもりで描いていたはず。多分、ヒナタの存在に気が付き、彼女こそ真のヒロインだと岸本先生に気付かせたのは、連載中に結婚された奥様ではないかと私は想像しています。
やっぱり女性の洞察力って凄いわな。ところで、私はあの学校は二年程度で再び転校しているため、T子とはまったくの無縁になってしまっている。別にいまさら、どうこうしたいわけではない。ただ、自分の愚かさ、鈍感さが思い起こされるのが辛いのです。
少し意外であったのは、自民党が思ったよりも議席を減らさなかったことだ。
今年は消費税増税と円安のダブルパンチによる不況が厳しかった年である。良いのは株価と土地取引だけで、利益を出している大企業でさえ楽観視はない厳しさである。
アベノミクスの恩恵などまるで感じられない地方の惨状を思えば、自民党に厳しい審判が下されても不思議ではなかった。にもかかわらず、単独でも過半数であり、公明党と合わせて三分の二を確保してしまっている。
原因は、おそらく野党に対する信頼感のなさであろう。
日本には反・自民党感情が根強く、自民党でなければ誰でもいいと考える有権者は少なからず実在する。真面目な人が多く、世の中善意だけでまわると思い込めるほど善人であり、愚者でもある。
善人というものは、概ね自分が善い人だと分かっている。弱者に優しく、富の偏在を憎み、争いを避ける平和主義者ではあるが、争いを収める器量には欠ける。自分が善い人だと分かっているので、自分の考えに反する相手を間違っていると、簡単に思い込める人でもある。
そして、世の中が自分の思うようにならないことを長年憎んでいる。だからこそ、彼らは選挙には熱心に投票する。山梨県や沖縄において、自民党が全滅だったのは、この熱心な反自民党票が原因である。
投票率が高ければ、彼らは少数派となるが、戦後最低の52%台ならば彼らにも勝ち目があることが立証された選挙でもある。公明党のような熱心な学会員の組織票も同様であるからこそ、得票を伸ばせた。
そして久しぶりに議席を大幅に伸ばした共産党は大喜びである。志位書記長は「有権者は、自共対決を望んでいる」などと得意げに語っていたが、正直勘違いだと思う。
有権者が日本共産党に望むとしたら、それは与党の足の引っ張り役であって政権担当能力には、まるで期待をしていない。今回のような低投票率であったからこそ、熱心な組織票で支持される共産党候補が当選できた。
それと、おそらく今回はあまりにだらしない他の野党に見切りをつけた有権者の、自民でなければどこでもいい票を獲得できたのではないかと思っている。
党首が落選した民主党だが、改選前よりも議席は増やしている。これは、やはり労働組合等の組織票の威力が、低投票率により高まっての成果だと考えて間違いないだろう。
みんなの党のごたごた騒ぎが、野党勢力の結集をおかしくさせたことも大きい。自民党は嫌だが、共産党も嫌という有権者には、民主党しか選択肢がなかったのだろう。
維新の会は、元々アンチ民主として価値があったのであって、反自民を掲げれば、他の有象無象と本質的に変わりはなく、そこを見限られた結果だと思っている。
次世代の党の大きな敗退は、この国の国家意識の薄さの象徴に思える。有権者の大半は、事なかれ主義に堕しており、潜在的な同意はあれども、それは現時点では早すぎると考える大人しい有権者の意識の表れだと判じている。
いくら三分の二を確保したとはいえ、まだ改憲には早すぎると有権者が考えているからこそ、次世代の党は敗退したと私は考える。
とにもかくにも、後しばらくは安倍政権は安泰であり、マスコミの反安倍報道は功を奏さなかったことが立証できた結果でもある。
個人的には、あの管直人が小選挙区でせっかく落選したのに、比例で復活したのだけが非常に不満な選挙でした。やっぱり比例並立って問題あるんじゃないかね。
イタリアはセリエAのACミランのサイドバックである長友を剛とするなら、ドイツはブンデスリーガーのシャルケのサイドバックである内田は柔だと思う。。
選手としての評価は、少し前まで長友のほうが上であった。陽気なイタリア人気質に馴染むのも早く、そのぶっきらぼうなイタリア語はミラン・サポーターからも辛口のイタリア人記者からも好まれた。
もちろん選手としては、無尽蔵のスタミナでピッチ上を駆けまわり、時には大胆に攻撃に参加してチームの勝利に貢献した。身長は低いが、体幹が強く、屈強なイタリア人選手の懐に潜り込んでボールを奪取する能力は一流である。
そのアグレッシブなプレーはイタリア人好みでもあり、駆け上がって急激にターンしてマークを振り切ってのセンタリングはミランの攻撃パターンの一つとなっている。キャプテン・マークを付けることもあり、三浦和も名波も中田英もできなかったほどにチームに打ち解けた。
しかし、ここ最近は怪我の影響もあり、またそのプレーぶりを分析されつくされたせいか、いささか陰りがみえる。はっきりいえば、イタリアのサッカーメディアからは酷評されている。
一方、急速に評価を挙げているのがシャルケの内田である。率直に言って体の強い選手ではない。小柄であり細身でさえある。たた、攻守の判断が良く、素早さを利してのディフェンスには、アントラーズ時代から定評があった。
それは磨きがかかり、ブンデスリーグきっての右サイドバックとして評価を高めている。ドイツに来た当初は、大柄なドイツの選手に跳ね飛ばされていたが、身体の使い方を工夫し、素早い判断と的確なプレーでチーム内外の評価と信頼を高めることに成功している。
今やチームに不可欠な存在となり、来年一月の日本代表への招集を監督もチームのGMも拒否すると伝えられている。
現在の日本代表では、サイドバックは激戦区でもある。だが実績で長友と内田が頭一つ抜け出ている。そこを若手の酒井高と酒井宏が追うが、この二人ともブンデスリーガで活躍している。そこを国内組の若手が追い上げる状況となっている。
20年前のドーハの悲劇は、サイドバックの人材が不足していたことが、大きな要因であった。それが今では、どの選手を選ぶかに迷う時代となっている。
マスコミは連覇などと軽く口にするが、アジア杯は簡単に連覇を許されるほど生易しい大会ではない。怪我の長友も、チームが許しそうもない内田も参加が危ぶまれる以上、その隙をついて若手の躍進を期待したいと思います。
内閣府が2014年12月8日に発表した7~9月期のGDP改定値(季節調整済み)は、年率換算で1.9%減(実質ベース)で、速報値から下方修正。物価の影響を反映し生活実感に近い名目GDPも、前期比0.9%減(速報値0.8%減)、年率換算で3.5%減(3.0%減)と下方修正された。
多くのエコノミストが予測を外したようだが、私はある意味当然だと思っている。統計数値の調査に応じるのは、人手に余裕がある大企業が中心であり、国内企業の大半を占める中小、零細企業はそんな調査に応じている余裕はない。
アベノミクスは大企業と資産家に対して大きな効果があったのは確かだ。しかし、中小、零細事業者に及んでいないこともまた確かなのだが、これは統計数値に表れにくい。
特に大企業が設備投資を増やせば、その流れで中小企業にも波及するのが自然な流れだと思い込んでいたことが、今回の予測を外した大きな要因だと思う。なぜ、中小企業が設備投資に及び腰かといえば、先行きの見通しに不安だからであり、また銀行が資金需要に応じないからでもある。
しっかりと財務諸表を作成できる大手企業と異なり、毎月の試算表でさえ作れない中小企業は案外と多い。現在の銀行は、財務諸表分析を基にした与信により融資を決定するから、どうしても中小企業融資には積極的ではない。
私の実感だと、メガバンクよりも地銀や地元の信用金庫のほうがよっぽど企業融資に前向きなのだ。ただし、借りる必要がない優良企業に、融資を申し込ませての妙な実績作り融資も少なくないので、私は統計数値をあまり信用していない。
やはり現場を地道に歩き、実際に中小企業の経営者から話を聞くのが、一番信用が出来る。
だからこそ、私は秋口に出ていたGDP予測に疑問を感じていた。企業経営者の苦しい胸の内を明かされていた私には、とてもじゃないが景気の回復基調などは感じとれなかったのだ。
ただ、大企業が好調であることは、下請け先の忙しさから察することが出来た。問題はその忙しさに見合うお金が、下請け企業に流れているとは思えなかったことだ。
安倍内閣は、実質賃金の増加を目標に掲げていたが、私のみたところそれが実施できたのは大企業とお役所だけだ。後は実質据え置きならいい方で、下手すりゃ一時解雇とパートとしての再雇用さえ見受けられた。
ちなみに、これは今年9月の社会保険の値上げによる悪影響を避けるためである。総額が変わらないのに、天引きされる社会保険だけが値上げされたら、手取りの賃金は減るばかり。だから、社会保険から抜けても手取り額を確保したい労働者の要求に応じたものでもある。
それほどに厳しい状況なのに、GDPの速報値には、それをまるで感じることは出来なかった。私はあの速報値に恣意的な修正があったかどうかは知らないが、実態経済からはかけ離れていることだけは理解できていた。
だから12月に改定値が発表されたときも、それほど驚きはなく、むしろ当然との思いのほうが強かった。霞が関の広報誌化している日経はともかくも、他の大手マスコミにもろくな報道がない。まったくもって情けない限りである。
原因は分かっているつもりだ。大手マスコミの記者たちは多忙を極め、官庁が発表した統計数値を疑い、自ら足で調べて検証するような手間暇かかる作業をしていないからだ。
そのくせ、経済に関するスペシャリストを気取っている記者もいるのだから失笑を禁じ得ない。統計数値は嘘を付かないなんて幻想にすがりつくのは止めて、自分の足で動き、自分の目で見て、自分の耳で町の声を聞いてみろ。
それをやらない人間が記者だと名乗るなんて、おこがましいと思うぞ。