心が固いと苦労する。
完璧な人間なんていない。特に若い頃は、誰だって間違いだらけ、勘違いだらけ。
でも若いからこそ許される。だから、若いうちに沢山、失敗し、間違えて、勘違いに気づかされる経験を積むべきだ。内心の屈辱は、心の内に潜め、失敗から学び、間違えを繰り返さぬ工夫をこらし、正しい理解に努める。
この経験を適切にしてきた人と、そうでない人では、人生の晩節に大きな差異が出てしまう。
そんな実例を間近に見る羽目に陥った。
税理士試験に合格後、私が採用された銀座の片隅のS税理士事務所での引き継ぎの相手がAさんであった。私よりも10歳ほど年長であり、なんとなくベテランの経理事務職員の雰囲気を漂わせていた人であった。
私とは引継ぎの為に、3日間、数時間程度の付き合いであった。だが、途中から私には妙な違和感があった。
会計とは、事業体の経済活動を、会計ルールに従って数値化し、決算書として体系化するものである。現金出納帳も、手形帳もすべては決算書の作成を最終目的としている。
ところがA氏の話を聞いているうちに気が付いた。この人、業務の全体が見えていないと。瑣事に拘り過ぎて、業務が滞り、無駄な業務に力を入れ過ぎているのではないか。
そんな疑念を持ちながらも、引継ぎを終えた。その後3カ月ほどは、A氏が滞らせた月次業務の回復が私のメインの仕事になった。その後、他のスタッフとの雑談から、A氏が事実上能力不足からの解雇であると知った。
推測でしかないが、おそらくA氏は大企業の経理部門の出身で、その仕事の大半は領収証等の整理から帳簿の作成といった周辺業務に特化していたのだと思う。最終目標である決算書の作成に対する執着が薄かったのは、その経験が希薄だからではないかと思っている。
意地悪な見方をすると、瑣事に拘っていたのは、全体像が見えていないが故の逃避ではないか。大きな組織の中の歯車として、周辺業務も重要な業務である。しかし、若手の経理部員ならともかく、既に中間管理職から上の年齢になっても、周辺業務しか分からないのは問題がある。
周辺業務は、それなりに重要ではある。事実、A氏の作成した請求書や領収証の綴り帳、入力した仕訳伝票は丁寧な仕事ぶりであった。彼はこの分野に特化したプロであったが、その先のステップがお粗末であった。
おそらく自分の得意な業務に固執して、決算や税務調整といったより上のランクの業務を学ぶことを怠ったのだと思う。言い換えれば、新しい分野への挑戦を厭うたのだ云われても仕方ない。
どのような人生を送ってきたのか知らないが、若い時にもっとチャレンジして失敗して、そこから学び、成長するべきであった。知らないことは恥ではない。知らないままでいることのほうが、より恥なのだと知らなかったのだろう。
いや、気づいてはいたのだろう。でも気が付いた時には、既に若手ではなく、自分よりも若い同僚たちの前で失敗して、恥をかく覚悟がなかったのではないかと想像している。実際、S事務所では所長を除けば最年長であったせいか、自分よりも実力がある他の若いスタッフに質問することは稀であったようだ。
「訊いてくれれば、手助けできたのに」と他のスタッフがボヤいていたが、それが出来ないから解雇に至ったのだと今なら分かる。
あれから二十数年がたち、ある会社でA氏に再会した。なんでもベテランの経理社員が身内の事情で退職したので、急遽ハローワークに依頼したところ、A氏を紹介されて採用したそうだ。
A氏は私を覚えていなかったが、私はすぐに思い出した。そして内心頭を抱えた。A氏の経理の能力が二十数年前と同じ程度なのか、どうかが分からないので、私は無言でいるしかなかった。
でも、結果は一月持たずに判明した。やはり能力不足での解雇に至った。やっぱり進歩していなかった。
所詮、他人の人生ではある。しかし、若い時にもっと失敗に積極的であったのならば、まったく違った人生を歩めたのではないか。中高年になると、新しいチャレンジ、若い人の前での失敗はキツイ。
失敗を推奨する気はないが、失敗を恐れて挑戦することを避けるような生き方はしたくないと痛感した、A氏との偶然の再会でした。
日本人の良識とやらに消された小説家、それが大藪春彦ではないかと思うことがある。
私が大藪春彦の小説を読みだしたのは1970年代、まだ中学生の頃であった。あの頃、本屋に行けば、大藪春彦のコーナーが別枠で設けられていたぐらいの売れっ子作家であった。
でも、現在はかなりの大型書店でも、大藪春彦のコーナーがあればマシで、書棚に作品がないことも珍しくない。かつてはベストセラー作家であったのだから、現在の冷遇ぶりには驚くほかない。
だが、日本の文学界から、これほど冷たく遇されたのは、その作品が徹底的に暴力志向であったからだと思う。大藪作品の主人公たちは、例外なく銃や刃物で悪者と立ち向かう。
政府に対する不信感が根底にあり、自分の力のみを駆使して闘う主人公は、異端のヒーローであった。異端ではあったが、私が大藪作品に夢中であった70年代までは、そのようなアウトローを支持する読者が多数いたはずだ。
今にして思うと、大藪春彦の愛読者は学園紛争や安保闘争において夢破れた人たちではないかと思う。あの頃、自らが正しいと信じる政治が実現されないことに苛立った若者たちが、国会前に押しかけ大規模なデモを展開することもあった。
その数は百万人を優に超えていたと思うが、結局デモでは日本の政治は変わらず、挫折感を抱いた全共闘世代の若者たちは、大藪作品の主人公が暴力をもってして野望を果たす姿に憧れていたのではないか。
だがバブル経済が破綻しても、日本は大きく変わることはなかった。まだ60代であった大藪春彦が亡くなって以降、出版社は徐々にその作品を再販することを止めてしまった。
偶然かもしれないが、その頃から書店ではライトノベルが大量に置かれるようになった。もう読者は大藪春彦を求めていなかったのかもしれない。
不思議なことに、あれほどベストセラーを続発させた売れっ子作家の大藪春彦は、その後再評価されることなく今日に至る。話し合い至上主義の平和愛好市民たちにとって、大藪は触れてはいけない禁忌として、このまま静かに消え去るのを待っているのではないか。
これは私の妄想に過ぎない。それは分かっているが、それでもヒネクレ者の私としては、このまま大藪春彦を日本の文壇から消してなるものかとの思いがある。
先日、たまたま書棚を整理していた最中に発見したのが、表題の作品でした。熱いです、もの凄く燃える復讐譚です。テロに妻子を奪われた男が、燃えたぎる復讐の情念を燃やし尽くした傑作です。
私は大藪春彦を戦後の空想平和主義へのアンチテーゼであったと捉えています。困った時のお役所頼りとは無縁の無頼派の作家でもありました。男女の悲哀の描き、戦争の悲惨さを告発することが文学であると思い込んでいる日本の文壇界の天敵が、この作家であったと思っているのです。
ありきたりの文学に飽きたら、一度は読んでみて欲しい作家です。もっとも読むべき書は、この作品ではなく「野獣死すべし」ですけどね。そしてそれに満足できたら、是非ともこの一作を読んで欲しいと思います。
何事もない平穏な人生。
若い頃は、そんな暮らしは退屈だろうと思い込んでいた。ところが年齢を重ねると、その平穏な暮らしが貴重なものだと痛感するようになった。
我が家の隣の空室に、若い夫婦が引っ越してきたのは3年ほど前だと思う。気が付いたら引っ越して来ていた。もちろん引越しの挨拶なんてなかった。まァ当時、私は多忙を極め、家を早朝に出て、帰宅は深夜が普通だったので、挨拶があっても不在だったのかもしれません。
若い夫婦だけかと思ったら、何時の間にか2人の子供が増えていた。このあたり、私が日中、不在にしているので、単に私が気が付かなかっただけの可能性もある。まァ廊下であっても、軽く挨拶するだけで、世間話さえしたこともない。
だが、最近は体調が悪かったので、週末は仕事を控え、家に居ることが多かったので気が付いた。子供の声がしないことに。
以前、少し早めに帰宅すると、隣の部屋から子供の泣き声と、それを叱る母親の声が聴こえることがあった。鉄筋コンクリート造りの建物なので、それほど響くことはなく、外廊下にいなければ聴こえない程度ではあった。まァ、よくある話である。
ところが最近、気が付いた。子供の声も、奥さんの声も耳にしていないことに。夜半はともかく、夕方ならば大概、子供たちの声と、母親の声ぐらいは耳にしていた。しかし、最近はその気配さえない。
もしかして、誰もいないのかと思ったほどだ。でも、先週末、宅配便を届ける業者と、隣室の若い男性の声が聴こえてきたので、空室ではないことだけは分かった。ちょっと安心した。
実は隣室は十数年前、孤独死があった曰くつきの部屋なのだ。そのせいか、数年間空室のままであった。でも、引っ越してきた若い夫婦は知らないはずだ。知っているのは、公社の人間と、私を含め昔から住んでいる3軒くらいだ。
若い夫婦は、自治会にも顔を出していないので、古株の私らとは挨拶以外に接点がない。だから知らないと思う。
これは想像でしかないが、多分奥さん、3人目を妊娠して実家にでも居るのではないかと思う。私同様、早朝出社で深夜帰宅の旦那さんでは、二人の幼子の面唐ナれるわけがない。だから、子供を連れての実家帰りではないかと思っている。
まァ、これは良い方への想像だ。もちろん世間ではよくある、夫婦げんかの結果としての別居だってある。以前、孤独死された方は、離婚の末の独居であったから、私としては嫌な想像も考えなくはない。
でも出来たら、妊娠里帰りであって欲しいとも思っている。日ごろ全く関わりのない隣人ではあるが、この閑静な住宅街では、子供の声ってけっこう大事。うるさいと思う人もいるらしいが、子供の声がしない住宅地って寂しいものです。
私がここに住み始めた頃は、子供の声は喧しいレベルであり、子供の姿を見かけない日はなかったものです。当時は自治会も活気があったし、雰囲気も明るかった。今じゃ老人会はあっても、子供会は自然消滅している始末です。
人口減少と高齢化社会の到来により社会の停滞を防ぐ最良の手段は、若い層の増加であることを痛感した週末でしたよ。
日頃ほとんどTVを視ないのだが、週末はその分視るように努めてる。
もっとも未だTVはアナログなので地上波は視れない。でもCS放送は契約しているので、こちらで十分というか、海外のBBCやCNNを視るには、CSで十分である。
日本のTVだと、国際ニュースは韓国との軋轢がメインになるが、欧米ではほとんど報じられることはない。当然であろう。極東の島国と半島国家の争いなんて、世界にはたいして影響がないのだから。
先週末だとアメリカ南部を襲う大型台風のニュースとイランがニュースの大半を占めていた。欧米と日本では報じる視点が違うので、これは致し方ない。
ただ、ネット上であれこれ国際ニュースを検索していると、地味だが無視できないのがドイツ銀行のリストラである。
実は数年前から、このドイツ最大の銀行の経営悪化は問題視されていた。詳細は省くが、その抱える負債は250兆円と言われている。もしドイツ銀行が破綻したのならば、リーマン・ショックを上回る財政危機が、世界経済を襲うとまで言われている。
これは決して誇張ではない。世界経済の三極のうち、ヨーロッパの中心であるEUは、ドイツ経済により支えられている。そのドイツ経済を危機に追いやるドイツ銀行の破綻は、EUのみならず世界経済に甚大な被害を与えると予測されている。
現在、日本と揉めている韓国経済が破綻しても、世界経済に与える影響は少ないことは、過去(IMF管理等)の実績から分かっている。しかし、ドイツ銀行の破綻が現実化すれば、その影響は欧米だけでなく遠く日本にも及ぶ。
かつては堅実な経営をしていたドイツ銀行であるが、東西統一以降、急速にその業績を伸ばしてきた。ただ、その内容が問題となっている。収益を異常なほどに株式、債券部門に頼り過ぎていた。
先日、行われたドイツ銀行のリストラは、この株式部門の大規模な縮小である。かなり大胆かつ強硬なリストラであるため、これを評価する声は大きい。だが、それでもその抱える巨額な負債を賄えるほどではない。
日本は関係ないと思う方もいるだろうが、決して他人事ではない。日本でも、このドイツ銀行絡みの債権、投資信託などの金融商品を購入している投資家はかなり居る。
厭らしいのは、日本で販売された金融商品の内、どのくらいがドイツ銀行絡みなのかが分からないことだ。債権が分割され、他の債権との持ち合い、混合などが進んだ(一応、リスクヘッジのためであるけど・・・)金融複合商品であるために、完全な把握が難しくなっているからだ。
だが、どれほどリスクヘッジをしても、ドイツ銀行の破綻を補えるほどの余力は、停滞気味の今の債権市場にはないと予測されている。実際、リスクの見積もりは算定不可だと断じる経済学者もいる始末である。
日本のマスコミは、もう少し世界の動きを正確に報じて欲しいものです。
言霊とは 声に出した言葉が、現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良いことが起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた。そのため、祝詞を奏上する時には絶対に誤読がないように注意された。今日にも残る結婚式などでの忌み言葉も言霊の思想に基づくものである。(wikiより)
言葉を大事にし、それを歌として、あるいは詩として文章に残すことは、世界各地で古代より普遍的にあったこと。ただ、日本ほど極端な例は珍しい気がするのです。
オリエントでもヨーロッパでも吟遊詩人が市井のみならず、王の間近にいることは決して珍しくなく、その国の英雄譚や悲劇を高らかに歌い上げて、時の権力者や大衆を楽しませていたものです。
ところが日本では、その権力者自らが歌を詠むことは珍しくない。どこの国でも歌や詩が教養として尊重されることは普通だが、権力者など政府高官が歌を詠みかわす習慣があったのは、古代の日本ぐらいではないか。
しかも、日本ではその歌を詠むのは、教育ある権力者だけでなく、名もなき市井の民も嗜む。そして、その歌の内容が優れていれば、それは国選の歌集にも残される。歌の前では、人は皆平等だと考えていたのだろうが、これは世界的にも珍しいと思う。
その上、女性の歌人が珍しくない。その代表的な一人が、表題の主人公である額田王であろう。
中学生の頃に、万葉集の暗記をさせられたことを思い出す。最初は嫌々というか、古代の日本語にイライラさせられたが、暗記してしまうと、その文体というか文章のリズムも不快ではなくなるから不思議。
「あかねさす紫野行き標野しめの行き野守は見ずや君が袖振る」
今でも覚えているから不思議、不思議。もっとも中学生の頃は、その歌に秘められた想いにまでは、到底思い至らなかった。先生が解説していたと思うが、まだガキだった私にはピンと来なかった。
でも、歌だけは覚えている。私がこの歌に込められた情景を思い浮かべることが出来るようになったのは、多分二十歳過ぎてからだ。具体的には、就職活動を終えて、ゼミの卒論をのんびり書いている頃に退屈して表題の書を読んだ時だと思う。
当時の私は、古代日本史に関してはあまり詳しくなく、教科書程度の知識しかなかった。それでも、額田王がとんでもない、モテ女であることは分かった。よりにもよって、古代日本史上、もっとも危ない兄弟を相手にしている。
なにせ権力欲しさに蘇我氏を滅ぼし、孝徳天皇を死に追いやり、母親を再度天皇に持ち上げて、自分は裏から政治を仕切る危ない奴、中大兄皇子だけでも大変な相手である。
しかし、元を質せば先に手を出した(?)のは、その弟である大海人皇子だが、これまた武闘派の皇族であり、兄の子を殺して天下を手に入れた危ない奴だ。
こんな危ない兄弟相手に恋の歌のやり取りをしていたのだから、たいした玉ですよ。いったい、どちらが本命なのか、それともどちらも本命ではなかったのかは、本人のみぞ知る、でしょうね。
いささか情けないかもしれませんが、あたしゃ、こんな妖艶な女性、手に負えません。