ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

コラボカフェ

2023-06-23 09:22:33 | 日記

あまりこの手のコラボ・イベントには興味がないのだが、ちょっと欲しい小物があるので、行くか、行くまいか迷っている。

神田は淡路町に事務所を移転してはや一か月が過ぎた。実は近所に白泉社という出版社がある。私にとってはアニマルという漫画雑誌の発行元としての印象が強いが、実は「夏目友人帳」を連載している雑誌の発行元でもある。

現在、私は事務所界隈の散策を日課としている。お昼を美味しく頂ける店を見繕っているのだ。有名な老舗の「藪そば」や「いせ源」「ぼたん」などがある。西原、神足の「恨みシュラン」で悪名高き名店である。まぁ私はそれほど酷いとは思っていませんけどね。

一方、海鮮料理や焼肉、麺類など小さいけれど、なかなか美味しい店が多く、昼休みの楽しみとなっている。既に何軒か美味い店を見つけて幸せな私である。ちなみに何故だか行列ができちまう店が多く閉口する。昼時に並ぶの大嫌いなので、暖簾はくぐっていないが、いつかは試してみたい。

そんな最中、見慣れた妙な猫のイラストがあったので、よくよく見たら「夏目友人帳」の人気キャラである、にゃんこ先生であった。なんと白泉社の傍の建物の地下で、コラボカフェが期間限定で営業していたのだ。

しかし、人気作だけに予約しないと入れそうもない。平日の昼ならばと思ったが、秋葉原が近いこともあり、アニメ好きが多いようだ。さて困った。わざわざ予約をとってまでして行くべきかは、さすがに悩む。

過去にガンダムカフェとかに無理やり同行させられた経験からして、飯が美味い可能性は低い。しかし、にゃんこ先生のストラップはちょっと欲しいぞ。私のスマホは黒皮風のカバーだけで、いささか地味すぎる。いや地味はいいのだが、落とした時の対衝撃性能を重視したせいで、音がしないのだ。これだと落としても気が付かずに紛失する可能性がある。

そこでストラップを付けようと考えていたのだが、その手の小道具はさっぱり持ち合わせがない。だから、そのコラボカフェで見かけたにゃんこ先生のストラップに一目ぼれである。なかなかお茶目で宜しい。可愛げがないところが好ましいのだ。

さて、どうしたものか現在思案中です。

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役割終了

2023-06-22 09:21:34 | スポーツ

キリンチャレンジカップの歴史は長い。

弱すぎて話題にもならなかった頃、日本サッカーの強化を目的にキリンが冠スポンサーとなって開催された大会である。その意義は十分果たされたと思う。

もう十分だよ、だから国内で親善試合をやるのを止めて欲しいと本気で思う。

特にワールドカップが開催された翌年は、どの国でも代表チームの再構築に試行錯誤を繰り返す時期である。我が日本も新しい代表監督を迎えた時は、この大会で散々な結果を残している。

カタール大会で目標こそ達成できなかったが、予想外の好成績に浮かれた日本サッカー協会が森保監督の続投を決めるという暴挙をしでかしたため、日本はわりとチームがまとまっている。

だからこそエルサルバドルに6-0、ペルーには4-1での快勝である。サッカー音痴のマスコミが提灯記事を書いているが、私はいささか悲観気味。

新しい若手の登用などもあり、まったくすべてを否定する気はない。でも、今のままではベスト8は遠いと思う。

強豪ペルーはもちろん、エルサルバドルだって母国で試合をしたら、その強さは桁違いだ。遠征というよりも親善旅行に近いキリンチャレンジカップでは、手抜きこそしないが、怪我も恐れないような果敢なプレーはするわけない。それが他国でやる親善試合というものだ。

当然に今回大勝したエルサルバドルだって、ワールドカップ本選で戦えば真逆の結果となる可能性が高い。これがサッカーの怖さであり、面白さでもある。実際、キリンチャレンジカップの常連国であるコスタリカにはいつも勝っていた。しかし、カタール大会の予選リーグでは、日本はそのお得意様であったコスタリカに敗れている。

もう、キリンチャレンジカップは当初の役割を終えたと思う。次のステップを考える時期は、とうに過ぎていると思いますよ。

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女性ソロキャンパー

2023-06-21 11:52:17 | 社会・政治・一般

昨今、女性ソロキャンパー(何、この用語?)に関しての議論をネット上で目にする。

以前にも書いたが、私にとってキャンプとは山から山へ渡り歩くための手段に過ぎない。だから自然を満喫するとか、都会の喧騒を逃れての憩いとか言われると、違和感ありありで共感できずにいる。

どうも問題の発端は、独りでキャンプを楽しみにきた女性に執拗にまとわりつく男性がいることらしい。それを嫌がる女性側と、親切に声掛けして何が悪いと開き直る男性側の対立が問題らしい。

正直言うと、「はぁ~」とため息でちゃう。そしてくだらねぇと吐き捨てたくなる。

そもそもひ弱な人間が自然の中で生き延びるのは難しい。たとえ男性であっても単独での登山は、あまり推奨できるものではない。。山の中で暮らすことの不便さ、危なさは街中とは別次元である。

人が出す残飯目当てに猪やクマが出没するのは定番だ。また平地ではただの大雨も、山の中では恐ろしい豪雨となることも珍しくない。都会にいて強風に怯えることは稀だが、山の中ならば身体が浮き上がるほどの突風だって実際にある。

人間よりも体の小さな犬や猿だって実は怖い生き物だ。野犬に集団で襲われたら武器を持たぬ人間なんぞ、ただの餌でしかない。小柄な猿でさえ、その腕力は成人男性を上回るし、噛みついたり引っかかれたりしたら、危険なばい菌に感染する怖さもある。

そして何よりも恐ろしいのは、狡猾で卑劣な人間だ。私自身、それとは知らずに泊まったキャンプ場そばの山小屋で、女性を狙った殺人事件が起きていたこともある。悪名高き秩父の富士見平小屋の事件である。

この時は22歳のOLさんが被害に遭っているが、他にも被害者はいたらしい。単独での女性登山者は危ないというのも、決して誇張とは言えない。

実際、この年、私たちは女性だけのパーティを組ませて、秩父に上る企画を立てたが、反対も多く、結局サブリーダーに男性を一人付け、そのうえで同じルートを追うように一パーティ、交差するパーティを二つ付けて合宿をしている。

その翌年には女性だけのパーティで縦走も敢行している。実は当時の登山界では、重い荷物を持てるものが偉いといった脳みそ筋肉的な発想が蔓延しており、必然的に背筋力の劣る、つまり重い荷物を持てない女性を軽くみる風潮があった。

でも実際に女性と共に登山をしていると、確かに筋肉量の少なさからくる男女差はある。特に岩稜帯での行動速度に差が付くのは確かだった。しかし、環境の激変に対するストレス耐性などは女性がはるかに勝る。同じ苦痛ならば、男のほうが根を上げるのは早く、むしろ女性は体を故障するまで耐えてしまう。

決して男性優位とは言えないと私たちは思っていた。だからこそ女性だけのパーティを成功させて、実績を作りたかった。そんな学生時代を送っていた私であるが、正直女性だけの単独行動は、やはりお勧めできかねる。いや、男性だってあまり勧めたくない。

山は人が精いっぱい努力し、皆で力を合わせねば生きることさえ許してくれない過酷な世界だと認識しているからだ。

ただ、車でキャンプ場そばまで行き、椅子や机を持ち込んでのキャンプは、別物というか私の知るキャンプではないので、そこまで厳しくある必要はないと常識的に考える。だから女性のソロ・キャンプを楽しむ人が出てくるのも理解は出来る。

同時に、そんな独り身の女性に、下心を隠して近づきたがる男性も続発するだろうとも予想できる。善意を前面に出しているだけに、いささか厄介なお節介にも思える。

正直、キャンプに限らず普通の旅行でも独り身の女性は、女好きの男性のターゲットになりがちだ。さぞや鬱っとうしいだろうと思う。だって、声をかけてくる男性の多くは、日ごろ女性との付き合いの乏しい連中だろうから。

女性とお話がしたいのならば、キャバクラやスナックに行けよと言いたくなる。多分、多少は登山歴、キャンプ歴があり、マウントを取れると思ってのキャンプ場でのナンパなのでしょうけどね。

キャンプを明日の登山のための準備と休憩だと捉えていた私には、いささかアホらしい話題ですよ。

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中禅寺先生物怪講義録 原作・京極夏彦 作画・志水アキ

2023-06-20 09:26:12 | 

誰がなんと言おうと、京極夏彦の本は重い、重すぎる。

その点、表題の作品は軽くて読みやすい。以前から京極堂の作品の漫画化を手掛けていた志水アキだけに上手くやっていると思う。

でも、なんなのだろう。この物足りなさは。一連の百鬼夜行シリーズに相共通する重厚さの欠片もない。だからこそ読みやすいし、漫画化とはそういうものだと言われればそう思う。

実際、さほど重厚で難題な事件が登場するわけではない。第一、主人公は女子高生だ。この位の軽さでいいのではないか。そう思わないでもない。

この作品、中禅寺秋彦がまだ古本屋を営む前の物語であり、陰陽師ものではない。むしろ偏屈な国語講師が、お転婆な女子高生に引っ張られて、止む無く事件解決をしてしまう軽妙な作品である。

もちろん榎木津や関口、木場といったお馴染みの面々も登場する。気軽に楽しめる京極堂ものと割り切れば悪くない。

でも、ほぼ確信している。きっと近いうちに重厚な京極堂本編を再び読みたくなると・・・こりゃ参ったね。

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甘ったれ選挙

2023-06-19 09:36:48 | 社会・政治・一般

過保護に育った坊やたち、それが最近の自民党の若手政治家に対する私の印象だ。

自民党が与党であるため、公明党と連立を組んで久しい。創価学会の組織票を選挙で活用できるからこそ連立政権は長く続いた。まともな野党が存在しない日本の政界では、宗教を抜きに考えれば、公明党は疑似自民党であり、連立を組みやすい相手であろう。

しかし、自民党は創価学会以外の宗教団体とも付き合いは多い。その最悪の付き合いが、旧・統一協会であった。ここからの組織票の支援及び資金提供は強烈だ。

民主主義の下での政治家にとって、選挙での確実な応援と資金援助ほどありがたいものはない。だが、甘い蜜には毒が含まれていた。

亡くなった安倍首相には申し訳ないが、統一教会などというカルト団体との付き合いを容認したことが、結局は日本憲政史上稀な暗殺事件を呼び込んだ。さらに付け加えれば、宗教団体の支援により自民党の議員、特に若手議員は脆弱になった。

異常なほど選挙に強かった故・田中角栄は、常にどぶ板選挙を率先して行っていた。舗装されておらず、雪と雨でドロドロの山村をゴム長靴で歩き回り、汗をぬぐうタオルを一日に何本も真っ黒にして、選挙区を挨拶して回った。

私は田中角栄が金権政治家であることを確信しているが、新潟の山村を足を棒にして歩き回った角栄がトップ当選するのは当然だと思っていた。

それに引き換え、今の自民党若手政治家の選挙姿のお綺麗なこと。高そうなスーツに埃がつかないよう気を使いながら、選挙カーから手をふるだけのボンクラの多さに呆れてしまう。

角栄はただ歩き回っただけではない。たいした言葉は交わしていないが、支持者の家庭を自分の目で見て、その周囲の道路や橋を我が目で確認して、有権者が望むものを察していた。だからこそ、おらが村を綺麗にしてくれた角栄が有罪になっても新潟の有権者は慕い続けた。

今の自民党に有罪になっても、支持者が付いてきてくれるだけの力量をもった政治家がいるのだろうか。

宗教団体の組織票に助けられて当選した自民党の若手政治家は、本当の意味での草の根選挙が分かっていない。自民党を長く政権につかせた原動力であるドブ板選挙を戦った経験はない。いわば温室育ちのひ弱な花に過ぎない。

解散がいつになるか知らないが、公明党の組織票の力を借りずに果たして選挙を勝ち抜けるのか。私はいささか疑問に思っています。

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