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赤坂狭
以前なら、これだけ暖かくなると田圃に出て働く人の姿が見え、人の声も聞こえてきたものだ。しかし、今や農業の機械化が進む中、長年続いてきた人力に頼る農業は、この何十年かで一変した。もう、人々が横一斉に並んで田植をしたり、腰をかがめて一株ひとかぶ稲を刈る姿は目にしない。田圃の畔(あぜ)で休憩時に茶を飲みながら大声で話す声や、賑やかな笑い声が聞こえてくるような、かつての典型的な日本の農業風景は消えてしまったと言ってもいい。
これまでの農業は、過酷なな肉体労働だった。だから、過ぎた時代の農村の暮らしや風景を「長閑」などと言っては、当時を体験した人たちからは文句を言われるられるかも分からない。それに、われわれの文明を発展させてきた原動力は、突き詰めれば結局、人の暮らしからあらゆる分野にまで効率性と、利便性を追求した結果で、農業の機械化もそういう流れから例外ではなかった。
その文明がどこまで進んでいったらよいかは、誰にも分からない。しかしそれを見切って、そういう覚悟をした上で、ひと昔前の農業で苦労しようとしている若者たちがまだいる。煙で目を赤くして、薪で風呂を焚こうとする子供たちが今もいる。
そういう人たちをどう評価するかは、まだ分からない。成功するかどうかも分からない。余分な苦労だと嗤う人もいよう。しかしそういう迂遠な生き方を敢えてしようとする人が、アーミッシュを持ち出すまでもなく、どこかにかならずいる。もしかしたらわれわれの裡には、ご先祖さまである洞穴の住人の忘れかけた本能が、眠らずに残っているせいかも分からない。
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山室川へ流れこむ栗立川との合流点で、この辺りを土地の人は「赤坂狭」と呼ぶらしい。このすぐ下流に山室川を渡る橋があり、そこらから法華道の赤坂口が始まる。集落の一番奥に、最近高橋夫妻が始めた種平小屋(http://taneheigoya.ec-net.jp)がある。
TDS君、恥ずかしながら、そういうことです。ありがとう。