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新緑のころは、何年か続けて八ヶ岳の阿弥陀岳に行った。正規の南陵ルートでなく、立場川の源流にわれわれだけの幕営地を設け、日陰にはまだ残雪の詰まった沢やルンゼを登った。必ずしもいつも登頂を目指したというわけではなかったから、気楽な山行だったような気がする。東京でさんざん桜を見て、再び山で同じ花を愛でるというくらいの、祭り気分だったかも知れない。
目的の山桜の花もあちこちで目に付いたが、何よりも早春の生まれ変わったような暖かな日の光がまぶしかった。目に沁みる落葉松の新緑の森を抜け、広々とした枯草の生い茂る草原を横切り、さらに山懐(ふところ)深く立場川を遡行していく。あたかも広大な八ヶ岳の裾野に融合し、埋没していくような快さがあった。
しかしその後、別荘開発が進むにつれて、あの辺りの雰囲気も行く都度に変わっていった。優美な山裾を、えぐるようにして進む開発に、次第にわれわれの足も遠ざかった。
同じころ、稲子湯から雪解けのぬかるんだ登山道を確か3人で、まだ芽吹いたばかりの危うげな新緑の森の中を進み、稲子の南壁の下でキャンプしたことがあった。あの時は、何処へ行こうとしたのか、今ではもう思い出すことができない。初日短い壁にひとしきら遊び、上からわれわれが食事の支度を大声で促すと、それを聞き取れないNKさんが当惑して独り言(ご)つ声が、上昇気流に乗ってこっちにははっきりと聞こえてきた。その可笑しかったことを、眼前に見えていた爆裂した硫黄岳の山容とともに思い出す。
あのころは、一緒に山に来る女性も何人かいたが、いつしか一人、二人と去っていき、ついにはだれもいなくなった。山行が登攀に偏るようになって、仲間も減り、ついには板橋のNKさんのアパートで会の解散をした。山の歌にあるような恋愛譚はついぞなかったが、NKさんがKI氏に仄かな思慕のようなものを抱いていたのは気付いていた。しかし、知らぬふりをして通した。
山を去った後の彼女らの消息は聞かない。妻となり、母となりもう長い年月が過ぎたことだろう。それでもたまには春の夕暮れの雑踏の中で、あるいはどこかの住宅地で、桜の花を目にしながら夢幻のように過ぎたあのころのことを、ふと思い出すことがあってほしいと思っている。いつも大騒ぎしていたアイツの顔など、忘れてしまっていてもいいから。クク。