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今日で 震災から「5年を迎え」と新聞は報じている。正確に言えば、そうだろう。記事が出稿された段階では、まだ丸5年は経っていないから「5年が過ぎた」とは書けない。しかし、分かりにくい。
あの時と同じ部屋で、同じように炬燵に入りながら、地震発生時偶々いたT君が「この家は大丈夫か」と不安気に聞いてきたことを思い出す。続いて、5年という年月がスッポリと抜けてしまったような鮮明な記憶が甦る。
あの時、津波による被害が刻々と写しだされる映像を見ながら、それがまさに日本のある地方で、現実に起きていることだと納得することに苦労した。船が流され、家が流され、波にのまれて多くの人の生命が絶たれた。そして原発事故へと・・・、日本中が動転した。
あれ以来、今なお遺体の捜索は続けられている。それも誠意だ。しかし批判を覚悟で書くが、過ぎた年月を考えれば、海に同化し、大地に同化した人たちにはそこを「永遠の臥床」として、静かに眠ってもらうわけにはいかぬのだろうか。残された者たちの、そういう誠意もありはしまいか。
今日ぐらいは、思わせぶりな名残りの雪に付き合いながら、じっとしていよう。