入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

       ’16年「春」 (21)

2016年03月23日 | 牧場その日その時


  座頭沢の日の当たらない山道には雪がまだ残っていたが、例年に比べたら大したことはなかった。この10年の間ほとんど毎年のように、初日から数日は、ど日陰の手前で車を捨て、そこから1時間以上をかけ管理棟まで雪の上を歩いて行ったものだ。決してそれがいやだったり、面倒だとは思わなかったが、しかし今年はどうやらそうしなくても済みそうだ。
 北門を過ぎていつもの癖で大沢山の西斜面を見ると、まだ枯草色の素っ気ない風景が見えているだけだった。右手遠くの第1牧区のある御所平は雪に蔽われていて、そこにも鹿の姿がないのに安堵した。もっとも、普段見慣れていた眺めに何かが欠けているような気がしないでもなかったが、慌ててそんな気持を否定した。貴婦人の丘の前で一応車を停めた。しかし、写真も撮らずすぐ通り過ぎた。
 大曲では、初の沢の雪解け水がさわやかな瀬音を立てて流れ、さらに雪解けが早まれば、それにつれて水量ももっと増えるに違いない。そのころになれば、まだ冬の眠りの中にあるらしいあたりのダケカンバの芽吹きも始まる。まだ春はやって来たばかりだ、気長にもう少し春の陽射しが暖かくなるのを待とうと言い聞かせ、そこを去った。
 
 雪解けが進んだ黄土色の草地の奥に、色彩のない雑木林を背負って建っている管理棟は、春の日の光が明るい分、いつもよりも古びて、ようやくひと冬を越した疲れた老人を見るようだった。日当たりのよい入口に椅子を出し、コーヒーを飲みながら半ば呆けて目にしている見慣れた風景は、そこで働くようになった10年という歳月の経過を少しも感じさせない。しかし、想像してみるだけでしかないが、おそらく古女房に対するそこそこの愛着のようなものと似た気持ちが、目の前の自然に対してあるとは言える。
 大沢山には車で行き、第1牧区へは管理棟裏の急な斜面を歩いて登った。ゆっくりゆっくり、一歩いっぽ歩いていると、妙な嬉しが湧いてくる。登行には当然苦しさもあるが、同時に喜びもそこに潜んでいる。山を登る、攀じるということは、それを感ずることであり、それの分かる人が山に行けばいい。登山と観光は、似て非なるものだと思う。
 そして登りつめた先に、この日も、豪華過ぎるほどの自然の接待が待っていてくれた。雲ひとつない真っ青い大きな空、いつもの白い長大な山並み、無風。どこかですでに小鳥の声も聞こえていた。(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする