午前8時、気温5度C快晴。
昨日、電気牧柵の冬対策をしながらずっと気にしていたことがあった。ダケカンバの樹林帯を抜けた観音岩の近くには1頭の鹿が罠に掛かっていた。それをどうするか、気持ちが揺れていた。
週の初めに「NPO法人みろく山の会」のOZWさんの手を借りて、1頭の雄鹿を屠った。それで、この冬の間に要望されてる肉は間に合う。にもかかわらず欲を出して、さらに鹿を殺める必要があるのかという、およそ猟師らしくない疑問だった。
逃がすという選択もあった。罠は左後ろ足の先の方に掛かっていたから、足は傷付いていない。解放されれば、充分森の中で生きていくことができる。有害動物駆除と言っても、ここでたった1頭の鹿を殺すということにどれほどの意味があるのかという、いつもの疑問だ。そういう疑問を重ねてこの10年の間に、囲い罠とくくり罠で数百頭の鹿を捕獲した。今さらの疑問である。躊躇である。
何とかして、自分を納得させる理由が欲しくなる。初めのころはそれがあったが、この頃は段々と怪しくなってきた。特に思うように仕留めれないと、その思いはより強くなる。
「止め刺し」と言って、捕獲した鹿はナイフで止(とど)めを刺す。雄の場合は、銃を使わなければ格闘と言ってもいいような状況になることもあるが雌鹿でも、信じられないような生命力を見せ抵抗することがある。そういう場合、当然に少しでも早く楽にしてやりたいと思うが、半死状態の鹿にさらなる攻撃を加えることは、最初の一刺しよりも何倍もの意志が要る。
生殺与奪の判断を、誤ることがある。今回はどうだったのだろう。
みんなよく食べ、よく飲んだ。そして何より、思いおもいの発言。あれは会話というよりか、誰も聞かない演説のような主張と絶叫。ご苦労様でした。楽しかった。今ごろ、小黒川の美しい渓相を眺めながら、クマも逃げ出すような大声を上げていることだろう。ありがとう。
「海のおうち山のおうち」のChiyさん、見ています、読んでます。医者は、いい加減な人がいます。
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