2月3日、晴天。9時、諏訪神社で種平小屋の高橋氏と合流、今冬初の法華道を登る。雪は少なく、牧場の近くまではツボ足で行けた。特筆すべきは、雪の法華道に、幾日か前の先行者の足跡があったこと。こんなことは11年目にして初めてのことだった。最初は猟師かとも思ったが、足跡は本家・御所平峠に向かって続いていた。北原のお師匠も知れば、さぞかし喜ぶことだろうと思った。
御所平で高橋氏と別れ、スノーシューズを履き、できるだけ足跡を目立たせないようにして牧場内の点検のため場内に入る。驚いたことに、HALは高橋氏と一緒に行くことを選んだ。
4頭三角点のある小山周辺は地肌が露出していて、遠く霧ヶ峰や、美ヶ原もいつもの冬の眺めにしては白い色が物足りなかった。しかし、大きな青空に浮かぶようにして見えていた中央、北両アルプスの遥かな白い威容はさすがに裏切ることなく、懐かしくもあった。
9時15分出発、12時00分の到着で、所要時間は2時間45分。それからの長い午後と夜は、いつもの通り変わらず愉快に語り、飲む。
2月4日、午前7時の気温は零下12度C、晴天。深い青空のそのまた奥の奥まで見えているようだった。
種平小屋の高橋氏は9時、クマとの遭遇などを案じつつ帰っていった。夫妻で来るはずが奥方に用事ができ、それで帰路は単身となり、その後ろ姿をいつものようにHALが見送った。
氏は帰りの法華道を、登ってきた諏訪神社口に下るか、夫婦で整備を続けている赤坂口にするか決めかねていたようだったが、さてどうしたか。知らなかったが種平小屋夫妻は、赤坂口ばかりか、諏訪神社口との合流点まで、道標を付けたり整備をしてくれていた。
御所が池との合流点に設置された案内板、種平小屋労作
好天を無視して薄暗い室内で、老人を真似ていてはと思いながらも動かずにいた。ふた組ばかりの登山者が林道を行っただけで、あとは周囲は静まりかえったまま風の音もしない。不機嫌なことの多い権兵衛山もこの日ばかりは霧も吐かず、雲もまとわずじっと青い空のもと、まどろむネコの背中のように安閑として見えた。
宿泊者が到着したのは2時ころだっただろうか。ふた組がほぼ同時で、MRI隊4名、ISKW隊は未就学児2名を含む25名の大世帯だった。(つづく)
赤羽さん、気にしていました。そうですか。山もそういうことにしましたか。身軽になって、いろいろ大いにやりましょう。