
昨日の話をもう少し続けたい。串田孫一だとか彼の代表作「山のパンセ」を持ち出し、あげく横道に迷い込んでしまったが、この本について特に何かを語りたかったわけではない。書き方はあまり好意的でなかったかもしれないが、当時の山とか登山者の雰囲気のようなものが伝わる1冊かと考えたからで、ついでにまたこの本の愛読書たちの横顔でも想像してもらえたらと思ったという、それだけのことである。
なぜ1960年前後の山のことに触れようとしたかというと、そのころから山も人も大分変ってきたような気がするからだ。特に地域の活性化などという名のもとに、観光地化が方々で進んでいる。かつてあちこちにできたスキー場ブーム、一過性の賑わいの後閉鎖され、放置されたままの錆び付いたスキーリフトを目にしたことはないだろうか。ああいう結果が物語っているのは何か。
にもかかわらず観光目的で、相も変わらず交通の利便性が重視され、その方面の開発が止まらない。結果、観光客と登山者の間の境界が曖昧になり、区別がつきにくくなってしまった。そういう山や観光地が日本中に増え、人気の場所には人が溢れ、一層の猥雑化が進んでしまった。
人が人を呼び、それ以前の景観や自然、静けさが傷付き、失われる。そうでありながら、そういう負の面の検証がされているという話をあまり聞かない。耳に入ってくるのは手遅れになって、何か社会問題になったような場合だけだ。
観光事業は難しい。人が来なければ成り立たないが、来過ぎてもそれはそれで問題となる。美しい自然の景観を、牛やタヌキに見せているだけでよいとは思わないが、そうなれば最低でも施設が必要となり、人が増えれば人工的な物が拡大する。入笠牧場もやがて変わっていくかもしれない。だが、とりあえず今は、来てくれた人に喜ばれ、キャンプ場や山小屋が少しでも牧場の支えになってくれればと思っている。
そしていつか、変わる日が来たらその時は、今の牧場が先人たちのお蔭でそうであるように、何世代も先の人々にも受け入れられ、喜ばれるような観光地になってほしいと願っている。それまでは当分、時代遅れの山小屋「農協ハウス」を細々とでも守っていきたい。
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