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昨日の続きだが、彼は何故携帯電話を使わなかったかという疑問は当然ある。使えたのに使わなかったとは考えにくいから、何らかの事情で使えなかったのだろう。寒冷地でのバッテリーの消耗もその理由として考えられる。それとも、突然の体調不良が彼を襲ったのだろうか。この可能性も無視はできない。
ともかく、駒ケ岳の山頂(2956メートル)に等しい吹き曝しの高所で、彼の行動を奪い動けなくし、そこに留めた原因は何だったのだろか。
この「西駒」と愛称する中ア・駒ケ岳は、故郷の山である。中学生の時から数えれば、30回以上は登ったはずだ。山頂のすぐ脇にある祠は、村はずれの産土神社と等しいほどに愛着を持って思い出すことができる。その同じ場所にうずくまり、風雪に身をさらしながら、寒さや死の恐怖におののきつつ息を引き取るまでに、どれほどの時間が流れたのだろう。
冬の上高地で一人ウロウロしていて、暇を持て余した挙句、テントを残して西穂へ登ったことがあった。その夜泊まった西穂山荘のおかみが、どう思ったのか、冬の独標で自殺を図ったある登山者の話をしてくれた。一応救助されたがその人は、凍傷のため両手両足を切断する羽目になってしまい、思い通り死なせてやった方が良かったのかと、ずうっと思っていると話してくれた。「文字通りのダルマサマになってしまってね」と。
昨日、新聞の遭難記事を見てそのことも考えた。遭難の原因は、もっと違う事情があったはずだと思いつつも、あの西駒の頂で動くことを止めてしまった遭難者の行動について、今だに合理的な説明が見付からないでいる。
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