入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’20年「夏」(54)

2020年08月04日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

photo by Ume氏

 昨夜も上に泊まった。鳥の声が向こうの森の方から聞こえてくる。キャンプ場から朝食の支度を始めたらしい人の声もする。薄雲を破って鋭い朝の光がこの部屋にも入ってきて、この時季の典型的な牧場の朝を迎えた。長かった梅雨の終わりをまだ信じきれないまま、一日が始まる。
 
 きょうは中間検査の日で、牛たちは入牧してから約2ヶ月が過ぎたことになる。それにしても早い。第4牧区の牛たちを集め、検査後には追い上げ坂から第1牧区へ移すため、きょうばかりは、入牧と下牧の時のように、下から畜産課の職員や他の関係者も上がってくる。
 昨日の夕方、ほぼ全頭の牛が塩場に集まっていたため、その機をとらえてついでに囲い罠に誘導しようとしたが、思い付くのが遅かった。すでに塩にありつけた牛たちは、不安を押し切ってまで囲いの中に入ろうとしない。にしても、囲いの入り口で牛たちが中に入るのを必死に抵抗するその理由というのがよく分からない。考えられる理由としては、囲いから出た際には、そこから始まる電気牧柵の洗礼を受ける牛が多く、あの辺りを漠然と鬼門とでも思っているのだろうか。

 忙しい一日だった。牛の思いがけない抵抗もあり集牧、移動も苦労の連続で、きょう上がってきた和牛3頭の中2頭は5人がかりで下から作業道を引っ張っていくことに。その他市の行政関連、CMの下見、1年ぶりの遠方からの懐かしい顔等々。
 牧場の夕暮れ、もう呟く言葉が出てこないと思っていたが、あった。実は北原のお師匠91歳がきょう、次女の運転で来てくれた。
 実は師と弟子は、芝平からオオダオ(芝平峠)の道を舗装にすべきかどうかっで長年意見を異にして来た。舗装にしたら、交通量が増えて、狭い道路は格好の抜け道となり芝平の集落が大変なことになる、というのが弟子の反対の理由だった。
 確かに、諏訪神社まではバスが来ていたことは知っていた。しかし、問題はその先だと思っていた。ところが2年間、峠を通ってなんと入笠まで、バスの運行があったのだと、きょう師はこともなげに言って弟子を驚かせ、黙らせた。かつての地元の人々、そしてその一人であった師の思い、そこまでかと泣けた。
 
 平沢真希さんの「森のピアノ」も、全てが終われば詳報できるので、是非ご期待いただきたい。

 赤羽さん、通信多謝、きょうはそんな一日でした。松茸は少し標高が高く、またこの辺りは落葉松が多く、赤松は少ないです。
 本日は混乱の中で、明日また。



 
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