牛に興味のない人には「またか」になるが、悪しからず。もう少しだけ。
今朝は6時に家を出て、朝露が残っているうちに第3牧区で草狩りをした。そして、それを持っていったら、いつもの場所には1頭の牛しかいない。例の愛想のない37番は、今朝も少し離れた草地にいたから、白樺の林にいる牛は足を痛めた36番で、35番はどこかへ出掛けているのだと思った。ところが、いたのは何と35番で、ろくに歩けもしないはずの36番の姿がそこにはなかった。
どこかで倒れてでもいないかと周囲を見たがそれらしき姿はない。そうこうしているうちに、近くにいた牛の群れがトラックを見付けてやってきた。もちろん、折角持ってきた草をその牛たちにやるわけにいかないと、急ぎ3回に分けて35番のいる場所まで運んでみたが、遠慮のない牛共はそこまでも押しかけて来た。奴らもしつっこい、普段自分たちが口にできないご馳走でもあるのかと、追い払ってもすぐに戻ってきてしまう。
そんなことを繰り返していたら、驚いた、背後のかなり足場の悪い斜面を36番の耳標を付けた牛が下って来るではないか。それも、さほど苦労でもなさそうに。そして平地に下りると、その様子を見て驚き呆れている人間に気付き、まるで仮病を隠すかのようにまたひどい歩き方に戻った。37番をちょっと気遣ってから、35番のいる林によろよろと帰ってきた。呆れた。
これではっきりしたことは、36番は確かに足を痛めている。他の牛のように牧区内を自由に移動はできない。しかし、食べること、水を飲むこと、これら生きていく上での最低限のことは不自由ながらも何とかできている、ということだった。
もちろん、それができなければ、半月近くも生きていられるわけはない。しかし、ではあの覚束ない足取りで、どのようにしてこれまでやりくりしてきたのか、一度はしっかりとその様子を見ておきたかった。それが、やっとできた。ただし、まだ気は抜けない。また、給塩に関しては、これまで通り特別の計らいが必要だろう。
Nzaki君、素晴らしい天体写真です。順次ここでも紹介させてもらいます。
3日ぶりに無人の陋屋に帰り、しょぼしょぼと感じたこと、ぼそぼそと考えたこともなかったわけではないけれど、それらのことはまた別の機会に譲り、明日は沈黙します。