朝が来た。鳥の声がするが、今まで聞くともなく耳にしていた鳴き声とは違うような気がする。外に置いてある寒暖計を見れば18度、権兵衛山は見えているがきょうも梅雨の延長のような天気だ。
きょうから3連休だということも知らずに、実は昨日4,5日分の食糧を運び上げ、しばらくは上で生活することにした。ところが、たった一夜が過ぎただけだというのに、どうもしっくりとしない。理由は、このはっきりとしない歯がゆいような天気のせいでもあるが、片道1時間15分、38㌔の通勤がなくなったためでもあるような気がする。
この通勤にかかる負担がなくなれば、大分楽になると思って始めた山の生活も、一日3食の食事を1食減らしたような何か暮らしの中に大切なものが欠落したようなもの足りなさを感じている。無意識の裡に根付いていた山室川の狭小な谷の風景が今の生活にはないことが、意外なほど大きいことを知った。HALがいなくなったわが陋屋の玄関のようだ。
前にも呟いた通り、あの山道の行きと帰りの"正気の時間"こそが、多くの妄念をも含め、ものを考えるという点において貴重な時間だったたような気がする。そう思えば、辛うじて野生化の進行を遅らせてくれていたのも、特に帰路に味わう諸々の感慨のお蔭であったのかも知れない。
東京暮らしのころ、勤めていた会社から歩いて10分ほどの距離にあるアパートに住んだことがった。この時も、混雑した通勤電車から解放されたと思って喜んだが、すぐに時間を持て余すようになった。習性というのはこんなもので、1時間くらいの無為と思えた通勤時間も、生活の一部として成り立っていたのだと納得した。今、そのことを思い出した。
30年、いやもっと昔のことだ。コロナ、炎暑に喘ぐ都会暮らしの各位に、こんな昔話がいささかの慰安にでもなれればいいのだが。
星の狩人かんとさん、TB井さんも入笠行を中止した旨の連絡が入った。赤羽さんは今もテレワークの日々だとか。国は明確な指針も示せず各自の判断に任せるという逃げの一手、「GO TO トラベル」も継続するという。顔は真面目そうだが、政治家の言うことは滅裂。専門家と言われる人たちの話も何を気にするのか歯切れが悪い。
本日はこの辺で。明日は沈黙します。