朝の早いうちは青空が広がっていた。それがいつの間にか徐々に雲の領域が拡がり、今では見えなくなってしまった。午後には天気が崩れるようだ。
この部屋から見えている囲いの中の牛たちは、山側の柵沿いに一列に並んだまま、大分長いこと動きを止めている。あんな姿でも反芻ができるかと疑いたくなるが、あの動作の説明はそれくらいしかない。
その列の中で、1頭の和牛と2頭のホルスがさっきから対面状態でじっとしたままでいる。その様子がなんとも滑稽に見える。まだ動かない。もっと草のある所へ行けばいいと思うのだが、そうしないで柵の際に生えた草ばかりを揃って食べ、今は立ち尽くしたまま何を思うのか。
と、突然1頭のホルスが動き出した。するとそれに釣られるように他の牛たちも追随し、囲いの中の小島の周囲に走って移動した。「小島」と呼ぶのは、草原を海になぞらえると、囲いの中にある5,6本のコナシの大木が生えた小さな島のような丘のことで、風雨の激しい時など牛たちはここへ難を逃れようとする。盛夏の日射の強い日なども、ここのわずかな日陰を求めて集まることがあり、特に暑さにあまり強くないホルスには救いの場所であるようだ。
里にいれば狭い牛舎に押し込められ、あまり自由などない。餌は草ばかりでなく栄養価の高い物が与えられるからその点は不満はないとしても、行動はここのようなわけにはいかない。生まれた時からそんな環境で育てられるからそれが当然で、人間が傍から思うほど牛たちは苦にしていない、という見方もできようが、さてどうか。
わずか4か月に過ぎないが、ここでは野生本来の行動に近い暮らし方ができた。再び綱に繋がれトラックに乗せられ、狭い牛舎の中で変化のない暮らしが始まると知れば、牛は何も言わないがやはり嫌だろう。入牧して、検査を終えた後、放牧された途端に見せたあれほどのはしゃぎよう、飛び跳ねて、走り回り、牛たちは初めて与えられた自由に驚いてさえいた。
それから今まで、ここの牧場での暮らしは野生の本能を甦らせ、一度覚えた奔放な牛本来の生き方を、その味を、きっと記憶のどこかに、もう残したはずだと思う。畜主の飼育の手間を省き、元気な子を産むために足腰を鍛えさせようと上がってきた牛たちだが、こんな日々がづっといつまでも続くと思っているのだろうか。
いつの間にか群れ割れた。自分たちがどういう役目を担い生まれ、どれほどの間を生かされるかも知らず、ただ無心に草を食む小気味のいい音がここまで聞こえてくる。
本日はこの辺で。