
風が樹々の葉を激しく揺らし、そのざわめきの音が聞こえてくる。雲の流れが速く、時折太陽の在処(ありか)を教えるぼやけた光が灰色の雲に滲むが、今はもう見えていない。午前7時、気温は15度とそれほど低いわけではなく、窓は開けたままにして森のうめくような声を聞くともなく聞いている。
いつの間にか、先程まで囲いの中にいた牛たちの姿が見えない。乏しくなった草にこれ以上執着できないと知って、これからは自力で生きていくことを決めたのかも知れない。
第5牧区は広い国有林の一部を占め、牛たちはすでに2度3度と下見に出掛けている。それでも囲いの中の方が安心できるのか、そこに留まることなく帰ってくる。昨日も午後になって、今のように囲いから牛の姿が消え、しばらくして様子を見にいってみたら、仕事を終えて退社する労働者さながらに、ゾロゾロとクマササの中を帰ってくるところだった。
この牧区は遠い昔に訪ねたアラスカの森を思い出させてくれる気に入りの場所で、長いこと人の手が入っていないモミやコナシ、それと落葉松からなり、アラスカのようにスプルース(トウヒ)の森とはそこだけが違う。最近はモミや落葉松の大木の倒れ森が少し荒れてきたものの、それでも森相の美しさから「アラスカの森」が愛称となり、今では一部の人の間にも定着している。特に今の季節、森閑とした森の中を歩いてみたりすると、極北のトウヒの森で過ごした記憶がさらに倍加して甦ってくるのだが、しかしまた同時に、もう、同じことはできないという諦めも、併せてこの森は教えてくれているようだ。
小黒川はこの森の中で生まれ、周辺の森の風景に絵描きの巧みな筆致が加えられたような趣を添え、見せてくれている。原生林をしばらくその流れに沿って下っていくと森が開け、狭い谷の中に草原が広がっている。生まれたばかりの渓流はそこで一服でもするように蛇行をしながら流れを緩め、そしてあたかもそれで準備を終えたかのように急峻な流れに変わり、白い飛沫を上げながら戻ることのない長いながい旅に出ていく。
また牛たちが囲いの中に戻ってきた。10頭近い乳牛の中に1頭だけ和牛がいる。多分30番だろう。それでも20頭を超える他の牛たちはどうやら風の影響の少ない森の中の方を選んだようだ。
第1牧区に残留している2頭の和牛も、あのままにしておけばますます野生化して手に負えなくなる。以前にもそういう牛がやはり2頭いて、結果的に1頭は生きて山を下ろすことができず、そうしないためにも、これからあれこれの策を練らねばならなくなる。
TDS君、昨日は有難う。O澤さん、赤羽さん、通信多謝。幾人もから連休の予約を受けているけれど、天候は味方してくれそうもなく心配。
本日はこの辺で。