入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’21年「春」(4)

2021年03月06日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 雨の降る渋谷駅や新宿駅、そこを傘を差して足早に通り過ぎていく人たちの映像で見ていて、ふと、懐かしさのようなものを感じた。東京も、そこで過ごした40年近くの暮らしも、そんなふうに感じたことなどなかったはずなのに、一瞬の気紛れな感情だったとしても思いがけないことだった。あの雑踏の中の、かつては一人であったことを忘れることはないまでも、それは濡れそぼつなんとも不快な記憶でしかなかったはずなのに・・・。
 考えてみるまでもなく、東京は人生の約半分を過ごした所で、それなりに思い出せばいろいろな出来事が甦ってこないわけではない。しかし、時がカンナ(鉋)のようにあれこれのことを平滑に削てしまって、良いことも悪いことも辛みの消えた唐辛子のように、あまり感情を刺激することはなくなってしまった。
 昨夜も、そんなことを考えながら夜の散歩をした。その間に、これだけは、というものを記憶の中から探し当てようとしたのだが、やはりできないまま、いい加減で止めておいた。そんなだから、あれだけ世話になった東京を、恩人のように思い返せないのだろう。
 強いて思い出す風景ですら、半蔵門の辺りから桜田門へと下っていく堀端からの眺めというのは自分でも意味不明、気落ちする。赤坂界隈を東京らしいとは思ったことはあるが、銀座、新宿、渋谷、何の感興も湧かない。それくらいなら上野公園の方が親しみがある。しかし、これは歌の世界のことかも知れないが、東北から来た人たちが上野駅に抱くようなものを、われわれならそれに相当する新宿駅に感じることなどはない。

 いつか、入笠牧場も記憶の中でそうなってしまうのだろうか。辛さの消えた唐辛子のように、スの入った古リンゴのように、辛みも味気もなくなってしまうのだろうか。否、振り返る時はそれほど残されてはいないにしても、入笠は違うという思いがある。夜毎、昨夜のように小雨の中を歩くのも、入笠牧場につながる思いがあってしていることで、そうでなければ足腰の衰えなどさして気にしてはいないはずだ。
 また同じことを呟くが、自分の人生が最も平安であったのは60代だと思っている。そして、それは今も続いている。その支えになっているのが、あの牛たちのいる牧場の風景と、周囲の自然で、それ以外であるはずもない。
 本日はこの辺で、明日は沈黙します。
 
コメント
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