
きょうの写真は牧場内の初の沢の大曲りを少し過ぎたあたり、この先、緩やかな傾斜が第2検査場へと続く。まだ日陰にはかなりの雪が残っていて、気を抜けば待っていましたとばかりに春の重い雪に身動きできなくなってしまう。いつだったか一冬、この付近に1台の乗用車が放置されていたこともあった。
それにしても、温暖化は確実に進みつつある。3月のこの時季に、車で上がれるとはとても考えられなかったし、例年なら仕事始めの日でさえ、ド日陰の手前から3キロほどを歩くのが毎年の行事だった。まだその日までには1か月もあるというのに・・・。
木の間から見えた霧ケ峰は雪がすっかり消えて、一昔前に流行ったラクダの肌着に似たような枯草の原が、明るい青空とは対照的に見えていた。
ラクダの肌着などと言っても、今の若い人たちは多分知らないだろう。その名がラクダの毛に似た茶色の色から来たのかどうか、年寄りが寒くなると着ていた古い記憶しかない。いつだったか山の用品を売っている店で見たことがあったが、結構の値段だったことを覚えている。冬山に向いているかはともかく、保温性は優れているはずだ。
あちこちに依然残雪が目に付く冬枯れの山にも、確実に春は近づきつつあった。なによりもあの日は雲一つない青空が明るく光り、そこから降り注ぐ暖かい日の光が春を振りまいていた。遠くの沢からは水音が聞こえていたし、鳥の声もした。
まだ芽吹くには早いコナシの大木には、寄生した一抱えほどの丸まった緑色の葉が目を惹いた。あれも常緑樹だったのかと驚いた。そうでなかったら、いくら春が来たからといってあそこまで、という気がしたのだったがいつものことながら分からない。断定はせずにおくべきだろう。
草花や野鳥に関心がないわけではないが、どういう人かと訊ねたいと思いながらそれをついぞ果たせず終わるようなもので、名前となるとからっきし駄目だ。いや、教えてもらっても覚えられない。特に春は毎年のように、鳥でも草木でも少しでも知り合いを増やしたいと思いながら今に至り、ほぼ諦めてしまっている。
そもそも、今から心待ちにしている山桜のおよその開花日さえも、タラの芽の生え出すころも、ヌメリカラマツタケの採れる時季も、冬の間にあっさりと忘れてしまう。アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコトなんて畏れ多い人の名前はまだ憶えているのに、何か、誰か、われわれの交際の邪魔をしているのだろうか。
赤羽さん、また会ったら話しますが、考えなければならないことは多くあります。特に、長期的な視点が不足してます。
本日はこの辺で。明日は沈黙します。ムー、もうまたこの科白、早すぎる。