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昨夜も8時ごろに家を出た。大分西に傾きかけた眠たそうなオリオンを眺めながら道中、昼間に読んだ本の内容を思い返していた。ちょっと知りたいことがあって再読したのだが、今度はこの本や著者に対しての読後感が大分変わった。初めて読んだときは本の内容よりか、冗漫、ひけらかし、気負いばかりが鼻に付き、読み続けるのに苦労した。本の中に残る主に著者に対する批判的な書き込みも、一部誤読したり、知識不足であったことも分かり、そういう過所は消しゴムで消す羽目になった。
新しい本に跳び付くよりも、以前に触れた本を読み返すということは、いろいろな意味で発見することが多かった。そういうことを、夜の散歩の間に思い出したりするわけで、昨夜は特に気になっていたことが分かって、散歩中も気分が軽かった。
きょうも別の以前に読んだ本を読み返しているのだが、これも面白さには不満はない。しかし、最初に読んだころに比べたらその後に多少は関連した雑学が増えたらしく、以前のように読み飛ばすことができず、立ち止まったり、記憶をたどったりと、なかなか前に進まない。しかも、かなり疲れる。
7世紀とか8世紀の時代、と限ったわけではないが、日本列島の姿形を知らない人々が、都のある関西から関東はおろか東北までも、それこそ「山野を跋渉」しながら、長い苦難な旅を続けた。さらには荒海をものともせずに波間に乗り出し、朝鮮半島に足掛かりを維持したり、大陸との交流を続けた。この時代の人々の距離感覚というのは一体どうなっていたのだろうかと思う。竹取物語ではないが、月へ歩いて行けたら、きっと行っただろう。
当時の人たちにとっての、時間の観念も気になる。1日、1年、一生については、現代人の感覚とは大分違っていたと思うが、それを考えたりするほどの知識は持ち合わせていない。聖徳太子は実在しなかったらしいが、仏教はあの頃の人々にとって、どれほどの救いになったのだろうか。豪壮絢爛な寺院仏閣に比べ、ふすむれた竪穴式住居同然の家で、か細い生命を繋いでくれたわれわれのご先祖さまのことだが。
毎夜1時間半、距離にして7キロ少々の散歩。ひたすら歩くしかなかった時代を想像しながら、あまり急がず、転ばず、轢かれず、遠ざかっていく冬の星座を眺めながら歩く。やはり、夜がいい。昨夜の睡眠時間9時間、いい夢も見れた。
本日はこの辺で。