入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’21年「春」(2)

2021年03月03日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 あの人、室生犀星が「ふるさとは遠きにありて思ふもの・・・」と詠ったその切ない思い、事情は分かるけれども、やはり、ふる里は近くにあっても遠くにあっても尊く、生まれ育った土地への愛着についてはどこにいても変わらない。そういう意味では、あの詩人、作家よりも少しばかり幸福かも知れない。
 ということを、先日の散歩の折にも思った。満月を過ぎたばかりの大きな月の光に照らされた雪の山、その裾を光の川が緩やかに、蛇行を続けながら流れていく伊那谷の夜景を見下ろしていたら、現在ばかりか過去も、そして未来にまでも思いが至った。
 自分が生まれる前からずっと存在していた山河、いつも視野の正面に座る経ヶ岳と天竜川を眺め育ち、都会ではその風景を思い出しながら生きてきた。そして今はそのふる里に暮らし、この後の天地長久にこの郷土をずっと託すのだという気持ちも湧いてくる。
 光の集中している街、あるいは東山の麓の闇の中に見えている心細げな2,3軒の灯り、どんな家族がどんな暮らしをしているかはもちろん知る由もないが、遠くから眺めれば、どれも平和そうに見える親しみの湧く光ばかりだ。

 ボツボツと野良には人の姿が見えるようになってきた。いつまでも夜景に拘ってばかりいてはいけないと、きょうの写真は南アの仙丈岳にした。この3千㍍を超える山は集落の背後にあって、開田に上がらなければ見ることはできないが、独立峰を思わせる山の姿は他を圧しているといつも感ずる。牧場の仕事が始まれば、朝な夕なこの山を見ながら日を過ごすことになるわけで、この風景で一日が始まり、終わると言ってもいい。牧場はこの写真には見えていないさらに左手に位置し、約1千㍍の高度差を行ったり来たりする。
 春から初夏にかけて自然の生気が日毎に増していくのを感じながら、同時にまた標高差が季節を逆行させてくれるという特典もあり、就中花の季節はそれを存分に味わい楽しむことができる。1時間を超える通勤もそれほど苦にはならない。
 昨日などは突然「鹿のキンタマが欲しいという人がいるけれど」と、よく分からない電話まで頂戴した。そんな物をどうするのか知らないが、山の話は何を持ち込まれるか分からないという一例である。この時季の上の様子などまるで分っていないから、説明にも苦労する。撮影の問い合わせにも、残念ながらまだとても応じられるような状況ではない。
 山小屋やキャンプ場の営業のことも気にしている。できたとしても、covid-19の影響を考えると昨年同様、かなり抑制を強いられることになると覚悟ししなければなるまい。その点牛なら大丈夫だから、せいぜい入牧頭数に期待するしかない。
 本日はこの辺で。

 
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