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先日呟いた家の西側のなだれ、シタハバにも蕗の薹が芽を出した。長い冬に耐えてようやく姿を見せた折角の小さな生命である。それを待ち構えたように摘んでしまうのもいかがかと、蕗味噌とみそ汁の具一回分だけにしておいた。この傾斜地、なだれは自然の蕗畑で、春の日に暖められた大地から次々と生えてくるはずだ。
それと比べ、庭のボケの花の頑なさには呆れてしまう。まだ蕾は開こうとせず、たった一輪だけ咲いた花はまだ散らない。もう、半月以上にもなる。
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東日本大震災から10年が過ぎた。関連する報道、記事が多い。その中には「日本は」とか「日本人は」とか、あの時のこの国の対応を高踏的にあげつらう人もいる。竜宮城へ行っていた浦島太郎でもあるまいに、あの未曾有の災厄の最中この国にいて、ご本人も地震におののき、原発事故に震えていた一人ではなかったのか。
もとより難しいことは分からないが、あの地震と原発事故について確かに反省点はたくさんあると思う。今もあの被害に苦しむ人たちは少なくなく、終わっていない。しかしこの10年の節目だからこそ、あまり抽象論でなく、実際的、科学的に検証した内容のものを読んでみたい。
原発事故とcovid-19とを関連させ「いずれの場合も、備え(preparedness)が不充分だったことが、危機の際の対応(response)の選択肢の幅を狭めた」と当たり前過ぎることを言う。そうだろう。しかし、なぜここで横文字が必要なのか分からない。そうかと思えば「リスク管理とはリスクをいかに取るかのアート(芸)なのだが」と、今度はカタカナになり、多分「art」と言いたかったのだろうが、それを「芸」と括弧でくくってる。さかしら口をきくようだが、この言葉の原義は「技術」だったと思っていたが、それなら意味が通る。リスク管理がいつから芸になったのだ。誰かが書いた英論文の剽窃、なんてことはあるまいが。
止そう、蟷螂の斧を振るうのは。それより首都直下型地震が心配されている。日本人の不得手な「備え」について是非、ご教示願いたいものだ。今度は事後でなく、事前になるが。
昨夜散歩の帰り、天竜川の土手から、澄み渡った夜空に今年初めて牛飼座の主星、アルクトゥールスを見た。懐かしくもあり、気の引き締まる思いもした。
本日はこの辺で。