四季折々、この3本のミズナラの木を眺め過ごしているうちに、いつの間にか牧守としての17年目の春が来ようとしてる。まだ先のことのように思っていても、そのうちコブシの花が咲き、初の沢の流域を中心にして複雑多様な緑の色彩が絶妙な共演を始めると、遅れまじと山桜の花が淡い桃色の花を咲かせ、ヤマナシ、コナシの白い花も季節の掉尾を飾るように咲き出すだろう。いつの年でも、牧を開いてからの短い春である。
温暖化が進む今、今年の春がなぜいつもより遅いのかと不思議だったが、2月の9日の夜から降ったこの辺りでは珍しい多量の雪のせいではないかと思い至った。あの雪が、目を覚ましかけた草花に、生態系に「もう少し寝ていろ」と余計なことを言ったのかも知れない。
白い花を咲かせるボケ、岩陰に可憐な桃色の花を咲かすユキワリソウ、まだ花の咲くのを見たことのない片葉のカタクリ、それに早春の日当たりの良い土手に顔を覗かす蕗の薹、それらを今年は今か今かとずっと待ちぼうけさせられている。
ところが昨日の夕暮れ時、「シタハバ」と呼んでいる西の傾(なだ)れに蕗の薹でも出たかと見に行こうとして、その前に何気なく庭の方に回ったら、朝は咲いていなかったユキワリソウが小さな薄桃色の花を咲かせていた。こういうこともあるのかと驚いて、開花を待つ者へのこの花らしい気遣いであるかのように喜んだ。それに、嬉しいことに昨年よりか花の数が増えている。
今夕は諦めた蕗味噌も、いずれ遠くないうちにはあの独特の苦みを口にすることができるはずだと、急がずに楽しみに待つことにした。(3月9日記)
夜中、春雷の音がしていた。珍しい、あまり記憶にないことだ。今朝の気温は10度を超え、暖房の世話にはなっていない。夜来の雨がまだ降っている。あっ、また雷鳴がした。
こんなふうにして、少しづつ春の季節が進んでいく。昔の人ならこの春雨を「いいお湿りだ」などと言っただろうが、春まだ浅き枯草色の野山にも、この「お湿り」が刺激となって緑の色を増やすきっかけとなるだろう。
今朝もこんな天気だというのに、春を告げる山鳩が近くまで来て鳴いている。いつの間にか雨は止んで、穏やかな春の日射しが生まれたばかりの子をあやすように、濡れた草木や大地に降り注いでいる。
本日はこの辺で。
温暖化が進む今、今年の春がなぜいつもより遅いのかと不思議だったが、2月の9日の夜から降ったこの辺りでは珍しい多量の雪のせいではないかと思い至った。あの雪が、目を覚ましかけた草花に、生態系に「もう少し寝ていろ」と余計なことを言ったのかも知れない。
白い花を咲かせるボケ、岩陰に可憐な桃色の花を咲かすユキワリソウ、まだ花の咲くのを見たことのない片葉のカタクリ、それに早春の日当たりの良い土手に顔を覗かす蕗の薹、それらを今年は今か今かとずっと待ちぼうけさせられている。
ところが昨日の夕暮れ時、「シタハバ」と呼んでいる西の傾(なだ)れに蕗の薹でも出たかと見に行こうとして、その前に何気なく庭の方に回ったら、朝は咲いていなかったユキワリソウが小さな薄桃色の花を咲かせていた。こういうこともあるのかと驚いて、開花を待つ者へのこの花らしい気遣いであるかのように喜んだ。それに、嬉しいことに昨年よりか花の数が増えている。
今夕は諦めた蕗味噌も、いずれ遠くないうちにはあの独特の苦みを口にすることができるはずだと、急がずに楽しみに待つことにした。(3月9日記)
夜中、春雷の音がしていた。珍しい、あまり記憶にないことだ。今朝の気温は10度を超え、暖房の世話にはなっていない。夜来の雨がまだ降っている。あっ、また雷鳴がした。
こんなふうにして、少しづつ春の季節が進んでいく。昔の人ならこの春雨を「いいお湿りだ」などと言っただろうが、春まだ浅き枯草色の野山にも、この「お湿り」が刺激となって緑の色を増やすきっかけとなるだろう。
今朝もこんな天気だというのに、春を告げる山鳩が近くまで来て鳴いている。いつの間にか雨は止んで、穏やかな春の日射しが生まれたばかりの子をあやすように、濡れた草木や大地に降り注いでいる。
本日はこの辺で。