入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

”Full of stars!"

2014年07月26日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

    これぞ氏の新兵器(左)

 明日28日は、梅雨明けして最初の新月。ということで、やってきましたかんと氏。愛用の観測機器に加え、最近入手した高性能の望遠鏡、カメラを携えて昼少し過ぎに到着。朝登ってくるときはまだ怪しかった空模様も、日没とともに完璧な観測条件を備えた。
 今夜は当然泊りと決めたから、夕焼けの写真も撮ろうといつもの場所で待機してみたが、期待したような夕暮れがやってこなかった。天気がよすぎた、と言うのも変だが。
 現在8時11分、気温17度C。今夜の天文薄明は8時40分。かんと氏は撮影準備を始めた。まず、われわれの銀河、天の川を狙うようだ。
 天文薄明とは、観測者のいる場所が太陽の光の影響を受けなくなった状態で、太陽が地平から18度以上沈んだとき。これに対して市民薄明は、一般の人が夜の帳の降りたことを感じるようになったときで、天文薄明よりも1時間ほど早い。航海薄明という言葉もあり、これは航海中船乗りが天測に必要な幾つかの星を観測できるようになったときをいうのだと。以上知ったかぶりは、かんと先生からの受け売り。
 早くこれを仕上げて、底なしの宇宙へ転落していこう。

 北原のお師匠よりクレイムあり。昨日のブログ、「85歳の老人でなく、85歳の青年に訂正するように」と。まこと仰せの通り、大変な間違いでありました。お師匠は、このブログもちゃんとご自分でPCを操作してご覧になっている「オントシ85歳の青年」でした。平伏。
 最近のブログはアップアップながら、多くの方からコメントいただいています。ありがとうございます。励みになります。これからもよろしくお願いします。

 山小屋「農協ハウス」とキャンプ場の営業に関しましては7月9,13日のブログをご覧ください。
 
 
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     夕暮れ雑感

2014年07月25日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 放牧牛の頭数は少なくとも、後からあとから用事は絶えない。
 昨日は北原のお師匠が本家御所平から高座岩までの山道を草刈していたので、少々その手伝いをする。そうそう、その前に、富士見町のジオパーク関連の人たちが8名来て、いろいろ難しい話もした。
 草刈を済ませて師匠より一足先に帰ってくると、東門ゲートに伊那市の職員がいる。すでに下からの連絡で知ってはいたが、これまで間伐作業のため通行止めになっていた小黒川林道を、7月25日から8月17日まで開けるというのだ。
 ようやくオフロードバイカーの間でも、小黒川林道の通行止めが知られるようになった矢先、それも彼らの活動が一番活発になるこれからの時期に、なぜまた一貫性のないことをするのかと感情的になる。間伐作業を休止するわけではないから、ならばこれまでの、そして8月17日以降の通行止めをどう説明をするつもりだろう。
 市としては寄せられる苦情に抗しかねての処置だという。しかしそんなことを言う者は、大方オフロードバイカーと入漁料も払わない魚釣りに決まっているのだ。登山者には、何の影響もない。



 すべてのオフロードバイカーがそうだとは思っていない。しかし、中には10台以上ものバイクが轟音を上げ、林道だけでなく森や林を爆走する。言い分は、彼らにもあるかも知れない。しかし、85歳の老人が、今年も炎暑の中草を刈り、道を整備している古道なのだ。その法華道を、これ幸いと走った跡が昨日もあった。古い轍ではない。もちろん車輌通行禁止であるにもかかわらずだ。



 NHKのロケハンに立ち会う。伊那フイルムコミッションの斡旋である。感触よし、かなり期待できそう。

 牧場を元気にするには、1頭の雄の和牛がいれば足りる。結果、伊那ブランドの牛肉もできる。星の牧場を天文ファンにアッピールするには、かんと氏やTBI氏、あるいはUme氏や物理学者K氏のような人にここでよい作品をものしてもらい、専門誌に発表してもらうのが早道だろう。「市長への手紙」には、ついでに天体望遠鏡の常設も提案しよう。

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草刈り布団干し、お疲れさまでした

2014年07月23日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 男女総勢16名のJA職員が、キャンプ場の草刈りと山小屋「農協ハウス」の清掃及び布団干しに上がってきてくれた。
 これだけの人員をかける割には、この少し時代遅れの山小屋「農協ハウス」とキャンプ場の利用者は、いまいちの気がする。しかし、まず思い浮かぶ主因を云々することは、しない。牧場側も最近は一時ほど、それほど観光に力を入れてこなかったのだから。それに今の雰囲気を気に入ってくれてる人は多い。



 ともかくも、今夏も10年も20年も続けて来てくれる団体やグループの予約は入っている。願わくば、このブログを見てくれている人々にも、旅人になって来てほしい。
 
 広大な草原が、緑濃い森が、大きな空の下にある。清冽な渓も忘れてはいけない。
 夕暮れの牧場では、美味いビールを飲んでみるといい。きっと久しく忘れていた山の歌を思い出すはずだ。
 夜になればまた、県内屈指の美しい夜空が旅人を詩人にする。羊飼いになり、哲学者になって、深い宇宙の果て
 に落ちていけ。 



 19日からの3連休、山小屋「農協ハウス」は2グループの来訪あり、賑わう。

 山小屋「農協ハウス」とキャンプ場の営業に関しましては、7月9、13日のブログをご覧ください。




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     森へ

2014年07月21日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 最近、というかこの10年の間に他所の山に登ったことはわずか4,5回しかない。森林限界を超えたことは、2年前に早春の中央アルプス駒ヶ岳に行ったときの単独行、1度だけだ。
 1日歩き続けた長い縦走路を振り返り、こみ上げてくる満足感や、終了点のクマ笹の中に埋もれながら味わったあの登攀のあとの幸福感や達成感を、忘れたわけではない。しかしもう、そういう感動がなくてもやっていける。
 いつの間にか、年を取ってしまったのだ。「もう登らない山」という串田孫一の本を目にしたときの反撥心が、今は共感に変わり、納得もできる。そして、若いころは感じなかった森への愛着が生まれ、深まった。



 春の森は明るく軽快である。木の種類によって異なる緑の多彩な色合いに写真家は感動し、画家は戸惑うだろう。梅雨の時期、雨をたっぷり溜めた森は均一な深緑色に埋もれ、重く暗い。それでも渓の白濁した奔放な流れや鳥の囀りが、森の中の活気を忘れさせない。時折風に乗って現れる気紛れな霧も、森をより幻想的にする。
 夏の森は乾き、虫の声はまさしく喧噪の域だ。無くした物でも探しているかのような1頭のクマが、小黒川の対岸をゆっくりと川下に歩いていったのは、昨年の夏のことだった。
 秋の森はツタウルシの燃えるような赤い色で幕を開け、やがてつられるようにして森の中は絢爛さを競い始める。森の中では雄鹿が、あらん限りの精を1頭でも多くの雌鹿に射出する営みの季節でもある。吹く風に教えられ、アナグマやキツネ、あるいはタヌキも収穫の時期がそう長くはないことに気付くころには遠くの山に雪が来る。
 冬の白い森は眠ってはいない。動物たちの足跡はそこらかしこにあるし、次の季節のために木々は固い蕾をいつの間にか用意して待っている。
 突然銃声がして、猟師が走り、犬の声がする。森が久しぶりに沸く。今冬、芝平の谷から2頭のイノシシと1匹の犬の命が消えたときだ。
 降ったばかりの粉雪に潜りながら、登行を再開する。雪に覆われた疎林を勘だけで行く。1時間が1年、ひと晩が一生のような深い長い夜が、その森の先には待っている。

 山小屋「農協ハウス」とキャンプ場の営業に関しましては7月9,13日のブログをご覧ください。
 
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   続 幻の「石堂越え」を訪う

2014年07月19日 | 入笠にまつわる歴史


 しかし、期待は呆気なく破れた。落葉松の林とクマ笹と、それに夥しい蚊の大群が迎えてくれただけの山頂だった。踏み跡も何もない。特徴もないどこにでもある藪山の、さして広くもない頂である。しばらくは、吹く風にまで馬鹿にされているような気がしながら、立ち尽くしているしかなかった。
 使用した地図は昭和50年測量、平成8年に修正測量、使用した空中写真は平成7年9月とある。こういうことはままある。地図上は登山道と記されていても、実際に行ってみれば獣道とも判別できないような踏み跡で、敢えてそのまま辿っていくうちにそれさえも見失ってしまう、ということが。
 後から思い出したことだが、初めてヒルデェラ(大阿原)を訪ねたときは、まだ昭和も昭和ウン10年も昔のことで、そのときのことはほとんど記憶から消えている。が、湿原を歩いたことは覚えている。また、辿ったコースはテイ沢を下流からで、標高2000メートルを超す無名の藪山を高巻いたはずもない。
 もうこのころ、すでにこの登山道は廃道と化していたのだろうか。普通だったら木の根っこなどに、人の通った跡が残っていそうなものだが、それすらもない。
 テイ沢両岸の夫婦岩にはあれほど石仏や石塔が残っている。いたるところに人の歩いた跡もある。そのことからしても、もしこの山頂を踏む山道が実際にあったなら、なんらかの痕跡がないとおかしくはないか。幻の石堂越えは文字通り幻のまま、その存在を肯定も否定もせずにひとまずおいても、これだけはっきりと記されている登山道までもが、幻だったというのだろうか。

 今日、明日は富士見町とS社協賛の大自転車祭りが行われている。可愛い顔したチビッ子たちが、一流ブランドの自転車に乗ってここにもやってくる。いくつかあるクイズの場所になっているらしい。もしかしたら、ここのキャンプ場や山小屋のことも、参加者に知らせてくれようとの”あの人たち”の配慮なのだろうか・・・ウーン。
 
 
 
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