また週の半ばになって雪が降るようだ。平地でも降るという予報だから、山ではさらに積もるかも知れない。見送ったと思っていた客が、もう一度戻ってきたようなものだから、折角だからもうしばらく留まるようにと言うべきか。
昨春は、少し野鳥に興味を持った。しかし続かなかった。入笠にはいろいろな野鳥が来るが、中には谷川の水音に和してほれぼれするような鳴き声を聞かせてくれる鳥もいる。そんな時は、どんな名前なのかと関心が湧いてくる。山桜の咲くころになると、山の中はいっそう賑やかになり、枝から枝へと忙しく飛び回る鳥を目にする機会も増えてくる。野鳥の本を車に積んで、お馴染みさんになった鳥の名前を覚えようとするのだが、必死で目に焼き付けたはずのずの鳥の姿を本の中の写真で特定するのは、目の前を飛び去った鳥の姿を記憶するのと同じくらい難しかった。そのうちに、注意して見ていれば顔見知りの数も増えてくるだろうからと、いつの間にか名前を覚えようとする努力も止めてしまった。
そこへゆくと、Ume氏は日本野鳥の会の会員だから鳴き声で鳥の名前を言い当てる。そうやって、撮影で立ち寄った折などに何度も名前や鳴き方を教えてもらったが、残念ながら氏のそうした知識は身に付くまでに至っていない。氏は鳥ばかりでない。分からない草花を見付けたりすると、ここにいてもすぐ図鑑を見付け手に取って調べようとする。
そういうふうに図鑑までを使って鳥や、花の名前を調べようとした経験が殆どないのは、育った時代の違いもあったと思う。音響機器どころかテレビでさえも、まだ一般家庭には普及してなかったころに幼年時代を過ごしたのである。自然は当たり前過ぎて、もっぱら関心は何であれ食べられるか否かに集中したものだ。カブトムシも蝶も、アリやトンボ以上の地位・価値を持ってはいなかったのろう。
苦しい言い訳だったかも知れない。やはり、未熟な好奇心しか持ち合わせてなかったことが一番の原因だと言うべきだったろう。野鳥ばかりか草木とも、なかなか懇ろな付き合いができないまま、「今春もみすみすまた過ぐ」という結果になるかも知れない。