入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’19年「晩夏」 (7)

2019年08月26日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 ずっと気になっていた第4牧区の牛たち、下からの支援を受けられないことが分かった。それで、種牛を含む36頭を一人でBの牧区へ移すことにした。豚コレラなどの問題があって、畜産課の面々も忙しかろう、仕方ない。
 AとBの間には約500メートルほどの森があり、牛はここを抜けて初めてBの草地に着ける。本来なら、牧区の中に入って、森の中を牛を先導するのだが、例の性質(たち)の悪い種牛がいるから、それができない。思案の末、取り敢えず道路上からクラクションを鳴らし、それで反応を試してみることにした。牧柵はほぼ道路に沿って設置されている。
 すると上手いことに、和牛5頭とホルスが2頭がつい先ほどまではあった電牧の仕切り線まで降りてきた。すでに、電気牧柵は10メートル位を取り払って開けてある。しばらくためらっていたが、まず和牛が動き出した。その上有難いことに、その中に問題の暴れ種牛は、どこかで"仕事"でもしているのかいなかった。
 軽トラの中から声を掛けながら誘導し、途中からは牧区内に入り先導した。いつ動きが止まるかと気を揉みながら、普段よりか長く感じる500メートル余りを引っ張った。Bの放牧地が目の前に広がって見えると、牛たちは小躍りして喜び、走り出した。褒美に塩をやると、これまた喜びを精一杯に見せてくれた。まずまずだと、日ごろの調教の効果に満足した。
 もう一度AとBを区画している境まで戻ると、今度は種牛も含む牛の群れがいた。軽トラを反転し、そこでマッキー奴に声をかけながら誘導を始めると、すぐに牛の群れは動いた。種牛にとって、確かその森の中を通るのは初めてのはずなのに残臭ででも分かるのか、最初の7頭の誘導の時よりもかなり積極的に動く。今度は牧区の中には入れないから、終始車の中から声を出す。途中で数えたら14頭いた。これだけ移動させることができれば、もう万々歳である。後は種牛に任せればいい。長い間の胸のつかえが取れた。

 営業案内 「入笠牧場の山小屋&キャンプ場(1)」およびその(2)です。下線部をクリックしてご覧の上、どうぞご利用ください。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     ’19年「晩夏」 (6)

2019年08月25日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 高遠を過ぎ、杖突街道を離れて笠原という古い集落まで来ると、伊那谷の夜景が一望できる。今では一面、黄金色に色付き出した水田が広がっているが、王朝の時代、ここは「笠原の牧」と呼ばれた牧場があった土地だと伝えられている。そのずっと西の一段低い天竜川の流域に人々の暮らしの中心があり、これから日が短くなれば、そこで暮らす人たちの多様な営みが生み出す夜景を目にしながら帰ることになる。
 そんなことを考えていたら突然、経ヶ岳の中腹に当る闇の中に、大きな光の輪が拡がった。南箕輪村の大芝高原から打ち上げられた夏を送る花火だろう。次々と夜空に煌く光の花を眺めながら家路につくということになったのだが、やはり去年も同じ光景に出くわしたことを思い出し、その偶然を喜んだ。
 真夏、浴衣を来て、団扇でも扇ぎながら見ればまた別だろうが、秋風の吹く中で眺める花火は、何とも儚く、寂しく見えた。短い夏を送り、ひたすら秋の来るのを待っていたつもりだったが、夏が逝くのを惜しむ遠い記憶が、消えていく寸前の花火の光芒のように、まだ残っていたのかも知れない。




 
 ようやく何日ぶりかで青空を拝むことができた。澄んだ深い空に見えるのはすじ雲だろうか。成層圏に近い1万メートルを超えるあの高空には、マイナス20度の薄い大気があるようだ。空ばかりではなく、もうどこにも夏の気配はない。コスモスが咲き、虫の声がして、間もなくサンマが食卓に上るようになる。
 この夏、入場数最大だったJALNECが帰る。

 営業案内 「入笠牧場の山小屋&キャンプ場(1)」およびその(2)です。下線部をクリックしてご覧の上、どうぞご利用ください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     ’19年「晩夏」 (5)

2019年08月23日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 昔ここは牛たちのお気に入りの場所だった。それが今では倒木が行く手を塞ぎ、マルバタケブキが繁茂し、あのころの面影はあまり残っていない。わずか4,5年ほどのことだと思うが、放牧地は牛を出さなければここまで変貌してしまう。
 早くこの牧区へ牛を出そうときょうも雨の中、昼飯も抜いて奮闘した。誰もいない森の中で馬鹿らしくなることもあるし、腹の立つこともある。それでも、仕事を終えた後の充実感はあり、今それを感じている。これが肉体労働の良さだ。
 電牧の不調のため点検と修理、牛の誘導路の整備と倒木処理、そして小入笠の鞍部にあるズタズタに切られた牧柵の補修と立ち上げ、こういうことを何日もかけてやってきた。そして、ほぼそれらのことが終わった。牧区一つ作ったような気分がする。
 
 昨日も家に着いたのは8時近かった。それから大体2時間ぐらい起きているだけだというのに、それでも片道1時間15分かけて山から帰る。日本酒1合か2合、500ccの缶ビールの1本か2本、それがあの陋屋でしみじみ飲む量だ。その楽しみだけに帰るのだが、一日を平安の裡に終えるのにこれ以外の方法を知らない。
 きょうは充分に働いた。独り言もさんざした。もう帰ろう。

 営業案内 「入笠牧場の山小屋&キャンプ場(1)」およびその(2)です。下線部をクリックしてご覧の上、どうぞご利用ください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     ’19年「晩夏」 (4)

2019年08月22日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 撮影関係者に今朝、天気は良くなってもこれ以上は悪くならないと言った。そしたらその言葉をあざ笑うかのように、1時間もしないうちに雨が降ってきた。まあそれでも、撮影が中断するほどにはならないだろうとこれも予測だが、さてどうか。

 今朝芝平の集落を通った時、コスモスの花が目に留まった。それで、比較する意味でオオハンゴンソウを背景にこの清楚な花を写そうと思ったところ、肝心なiPhoneを忘れたことに気付いた。きょうは写真を撮ることができないので、1年前の8月21日の写真からでも選ぼうかと探してみた。すると、驚いた。ナント、ちょうど1年前のきょうも、松倉の集落に咲いていたコスモスの写真を撮っていたとは。
 


 ついでにと、そのころの写真を見てみたら、どっかのオヤジが仕事をさぼって露天風呂の中で缶ビールを飲んでいる写真まで出てきた。はなはだ不謹慎だが、ご機嫌なよう。
 この写真には記憶がある。ブログにも載せた。そしたら、しばらく音信不通だった人から沙汰があった。その後また、いつともなく途切れてしまって長いこと経つが、元気にしているだろうか。
 そうか、コスモスの花はいろいろなことを思い出させてくれる。昨年も呟いたが、貧しい異国で一生を終えたあの修道女のAさんも、この花が好きだったという。写真では知っているが、見たことはうしろ姿しかない。それだけの縁に過ぎなくとも、ある小説のモデルになった人で、それを読んだことで親しさとか、懐かしさには充分で、不足はしない。
 コスモスの花と、灰色の修道服を着たその人のうしろ姿とが重なる。
 
 白い雲の間から真っ青な空が見える。台風、その後の幾日かの雨で、秋色はさらに一層深まった。木々の葉の単調な濃い緑の色も、何度かの雨が洗い落としたかのように薄れてきた気がする。牧草の色が変わり出した。

 T代さん、9月2,3日の予約確かに受けました。

 営業案内 「入笠牧場の山小屋&キャンプ場(1)」およびその(2)です。下線部をクリックしてご覧の上、どうぞご利用ください。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     ’19年「晩夏」 (3)

2019年08月21日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 芝平の谷間を流れる山室川が、今年もこの黄色い花で埋まりそうだ。外来種のオオハンゴンソウだと梅氏に教わったが、誰がいつ、こんな山奥に持ち込んだのだろう。。 
 それにしても膨大な数に圧倒されてしまう。かつての住民は、この光景を見てどう思うのか、昨夜、北原のお師匠とも電話で話したが、そのことに触れることを忘れた。師は一昨日、孫のS君の運転で本家・御所平峠に来ているから、当然目に触れたはずだが。

 気にかけていた入笠山の登山路に沿って続く牧柵の補修が大体終わった。現在種牛を含め36頭の牛がいるのが第4牧区のAと呼んでいる放牧地で、できれば牛が山を下りる10月までこの場所に置いておきたかった。しかし、まだ放牧期間は1ヶ月以上もあるというのに草が不足してきた。
 これまでAの北隣になる放牧地Bには何年も牛を出さなかったが、今年はこの牧区にも牛を出すしかないと思っている。ただ、とりあえずこれで万一牛がAからBへ貧弱な電気牧柵を切って出たとしても、牧場の外へ行く心配はほぼなくなった。
 牧柵の補修をしていると、場所によっては幾年も前に同じ作業をしたことを鮮明に思い出す。有刺鉄線の切断箇所はそれほどではないが、殆どが支柱から外れ、落ちてしまっている。鹿の仕業に加え、人が雪上を歩いて上から力を加えたせいである。
 ある人は「あんな雪のスロープだから、まさにスノーシューズで歩きたくなるだろう」と言ってたが、こういう仕事をしていればとてもそんな物分かりの良いことを言う気にはなれない。どこかの山岳会らしきが得意気にその辺のことを何かに発表していたが、今後は断固たる対応をするつもりでいる。何卒ご理解を。

 来る時に目にする稲田は、少しづつ黄色味を帯び始めた。ここだけでなく里も今年は、秋の色に染まり出すのがいつもよりか早い気がする。

 営業案内 「入笠牧場の山小屋&キャンプ場(1)」およびその(2)です。下線部をクリックしてご覧の上、どうぞご利用ください。
 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする