入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’21年「春」(20)

2021年03月25日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 14年がここで過ぎた。結構長い時間だったはずだが、果たしてどれほど濃密であったかは分からない。昨日も、通い慣れた山室川に沿った道を走りつつ思っていたことは、当たり前の日常が再び帰ってくるというささやかな喜びと同時に、さらに先へ進むことへの漠とした戸惑いだった。納得と疑問、これからもそれを繰り返していくだろう。

 帰りかけたら珍しく、中年の男女二人の登山者に会った。テイ沢から来たのだろうか、二人とも何となく不安そうな顔をして車に道を譲ってくれた。小黒川林道に下る南門のゲートは相変わらず閉じられ施錠されていたが、2個あった鍵は1個だけになっていた。そこを乗り越えてきて構わないのだがもしかすればあの二人は、それを咎められるとでも思ったのかも知れない。そういう登山者がたまにはいる。通り抜けできる旨の案内を置いてあるが、気付かなかったかも知れない、多分そうだろう。

 帰り山室川で何カ所か車を停め、少し遊んだ。昨年はHALがいなくなってしばらく上で暮らしていが、そうしたら、朝夕の通勤で通るあの谷間を流れる川のことが、放ったらかしにした里の家以上に気になった。毎日の暮らしの中に、あの谷を通る時間がなくなったら塩気の足りない鮭を食べているようで、牧場の夕暮れに晩酌をしていても物足りず気になった。
 もしも、牧場から眺める広大な景色と、それに山室川の清流がなかったら、恐らくはこの仕事をこれほどまで続けることはできなかったと思う。そのくらいに慣れ親しんだ川だ。感謝もしている。
 かつての住人に置き去りにされた廃屋は時間の経過の中で、少しづつ自然と一つになろうとしている。変わらないのは山室川の流れで、大水でもない限り無数の枝沢から清らかな水を集め、いつの季節も透明な流れは途切れることがない。やがて今年も、季節とともに変わりゆくあの谷を眺めながら、行き来する日々が始まる。

 上に向かう時、しばらくそこにいる間、そしてまた同じ道を帰って来る時、もっと具体的なことをたくさん考えたり、感じたりしたはずだ。にもかかわらず、そうしたことが1日経っただけで遠くへ行ってしまう。というか、少しは感情の暴走へ抑制が効くということだろう。事実きょうは、最初に呟いたことを殆ど削除して、またやり直した。
 本日はこの辺で。

 
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     ’21年「春」(19)

2021年03月24日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 きょうもいい天気だ。しかも気温は昨日より2,3度高そうで、この陽気に誘われて上に行こうかどうかと迷っている。雪の量が前回行った3月3日の時よりも減っていてくれればいいのだが、さて。

 と、いうような思案をした段階で、半分以上はその気になっていたのだろう、行ってきた。
 きょうの好天はまさしくあれ以上望みようもなかった。雲一つない大きな青空が、錯綜する木々の鋭い枝の向こうに広がっていて、まず秀麗な姿を見せたのは乗鞍岳だった。その右手には穂高、左手には御嶽、そして西(木曽)駒ケ岳も競うように見えてきた(本日の写真はその西駒ケ岳、念のため)。山の位置は曲がりくねった林道を進むにつれ、近付いたり遠のいたりする。そういう、見る側の位置も影響はするが、それでも乗鞍の均整のとれた白い姿は高貴で、眺めるだけなら他を圧していた。
 ただこの山は写真に撮ってみても意外なほどつまらない。距離的に遠すぎて、独立峰に添えるものがない。牧場へ入る北門の少し手前、あるいはそこから300位も進んだ場所まで行って、灌木の上に浮かんだ上品この上ない姿を眺めるのが一番だと思う。それも、これから白樺の木々が芽吹き出すまで、なおかつ雪化粧を落とす前の短い間がいいだろう。

 オオダオ(芝平峠)から先も雪は殆ど融けていて、やはり、焼き合わせを過ぎてからの日の射さない西の斜面にはそれなりの注意が要る。ド日陰も用心してあまり回転を上げず1速乃至2速で、できるだけ一定の速度を保ち通り抜けるのがいい。その先にも、雪の量の多い日陰の道が続き、この辺りでスコップの世話になったり、車を捨てたことが幾度もある。
 一応、4駆で雪道用のタイヤが条件になるが、さらに乗用車よりか車高の高い車であれば、ほぼ通行できそうだ。ただ、こういう雪道が走りたくて来る車には、運転が下手なくせに荒っぽい走り方をして、その荒れまくった跡が轍となって残っているから迷惑千万だ。慎重な運転が求められる。腹を立てても詮無いが、車の中で一声「馬鹿野郎」と吠えるぐらいは許されるかも知れない。

 前回も同じことを思ったが、小屋が前よりか少しみすぼらしく見えた。主に屋根の塗料が色褪せたせいだろうか。しかし、あの広い三つの屋根を以前のように、一人だけで塗り替えるなんていう元気はもうない。また、キャンプ場の下の洗い場の電柱までも倒れていた。取水場の水量も雪解けのこの時季としては少ないような気がしたが、どこかで漏水でもしている可能性がある。
 
 などなどと、厄介なことをあちこちで目にして、少し疲れて帰ってきた。もう一つ予想外だったのは、今回は鹿の姿を目にしなかったことだ。
 明日もう少し上の続きを、本日はこの辺で。

 


 
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     ’21年「春」(18)

2021年03月22日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 庭の梅の古木が花びらを散らしている。一昨日の雨に濡れて、花弁は痛めつけられたのだろうか。これからいい季節が来るというのに先急ぎ、それに殉じるかのように根元近くに咲いたユキワリソウの花が綻びを見せ始めた。ボケの白い花が大分開花してきたし、イカリソウも八角蓮も芽を出し始めて、見ていればどちらも、その成長が分かるかも知れないというほど頼もしい。
 期待していたカタクリはまだ芽を出さず、諦める他ないのかも知れない。それでも、あの西山の迫りくる山腹を巻きつつ幾つかの峠を越えて、小横川の深い谷まで曲がりくねった山道を下っていくのが、この時季ならの楽しみである。冬の素っ気ない茶色の山肌が、控え目な緑の色に少しづつ変わりつつある時だ。
 昨年はTDS君と目当てのカタクリを、そして別の春には北原のお師匠と谷の奥の木地師の墓を訪ねたこともあった。それよりかもっと以前にも一度、まだ雪の残る小横川を何の目的もないまま源流まで出掛けたが、その時同行したあの人はもう、そんなことなど忘れてしまっているだろう。遠い春。


         イカリソウ

         カタクリ
 驚いた。今、念のために行ってみたら、写真の一株ばかりか昨年、TDS君に付き合ってもらい採取した3株が芽を出していた。たった1日であそこまで大きくなるとは思えないが、なぜ今まで気付かなかったのだろう。
 何年か前、最初に植えたカタクリはHALに踏まれたせいで、片一方の葉しか出てこないと思っていたら、昨春のカタクリも、どれもそうだ。里に移すとあの山のカタクリはそれが精一杯なのかも分からない。花は無理かも知れないが、それでもいい。
 
 昨日に続き、写真はきょうも天竜川の流れ。啄木が故郷の北上川を懐しんだように、天竜川はふる里そのもので、近くにあってもその思いが変わることはない。昨年はまだHALは生きていて、夜のここへの散歩にはいつも付いてきたがった。
 
 赤羽さん、その慶事については承知してました。遅ればせながら、お祝い申し上げます。また、なぜあそこがあれほど寂れてしまったのかと、同じことを感じていました。4月には白骨に行く予定です。鉄分や硫黄の含まれている湯がお気に入りなのでしょう。多謝。
 本日はこの辺で。
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     ’21年「春」(17)

2021年03月22日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 朝6時ごろ一度目覚めたが、寝直した。二度目に目が覚めた時は9時を過ぎていた。年を取ってからの過剰な睡眠は良くないと言われるが、それがどうした、という気でもっぱら快眠、惰眠を楽しんでいる。
 実は今朝、再度の眠りに就く前にあることを思い出そうとしていた。大分前のことだが、「あんな牛のような女」と誰かが、誰かを指して言ったのだが、どちらも誰かを思い出せない。それを聞いた時、その女性に対する評価があまりにも意外だったので、それで覚えている。(3月21日記)
 
 またしても、五輪と絡んだ女性蔑視の問題が世間を騒がせている。牛並みのことしか言えないが一言。
 
 女性を豚や牛に譬えれば問題になり、ウサギや鹿になぞらえるのは許容の範囲に入るらしい。Olympic を Olympig と言えば、それはやはりまずい。しかし、これは内輪の会話だったはずがこれほどまでの騒ぎになってしまい、言った本人は五輪関係の要職から身を引いた。消えたはずのボヤが大火事になったということなのか。
 こういう時、まるで芝居の科白のように、いかにもといった報道向けの正論、建前を発っする人がいる。いわく「こういう発想をする人に平和の祭典で重要な役割を担わせていいのか」などと。反論はしにくいが、TV広告に出演して、効くか効かないか分からない化粧商品だか薬を、使いもせずに宣伝するあの役者たちを彷彿してしまう。また、今頃になってこういうことを一部の週刊誌に告げ口するという、その魂胆、あまり問題にならないが、こっちの方も相当に卑しい。
 五輪憲章にあるような、そんな崇高な理念に燃えてこの祭典が行われているなどとは、今や大方の人は思っていない。商業化の問題はつとに語られているし、政治が介入しないなどということは嘘と言ってもいい。国際五輪委員会なるものさえよく分からない。それでも、こういうもっともらしいことを言って・・・。
 
 女性同士の間にも差別はあるし、世の中には、社会には、差別なら腐るほどある。人間が二人寄れば、差別に繋がるような違い、差はあるわけで、例など挙げるまでもない。「偽善」とは、本心からでなく、見せかけ、うわべだけの善事、善行のこと、と当然ご存知のはず。付け加えるなら、恥知らず。
 
 それにしても「多様性と調和」などと、ケロッと言ってのける五輪担当大臣の個人資産がたったの6万円、もう少し見栄を張っても良かったのでは。夫の衆議院議員が8000万円を超える土地、建物を所有しているそうだから。
 本日はこの辺で。
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     ’21年「春」(16)

2021年03月20日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


   やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けと如くに ー 啄木

 そろそろ、この啄木の歌に相応しい季節になったかと、天竜川の土手に行ってみた。遠目にはまさに緑の芽吹きが始まったばかりのようで、一叢の柳が薄い緑の靄のように見えたのだが、近付くとその淡い緑の色は薄れてはっきりとしなくなり、啄木が思い浮かべた故郷北上川の柳の色にはまだ少しだけ早かったかも知れない。
 夜の散歩でも帰路は卯ノ木の集落を抜け、この付近に流れ込む「瀬澤(沢)川」に下り、さらに天竜川の土手沿いに歩いて帰ってくる。瀬澤川の数百メートル上流には近年になって二カ所続きのしっかりとした橋「八つ手大橋」と「八つ手陸橋」が架けられ、行きにはそこを通るのだが、ひと頃は橋の両側にある檜の林の間から北斗七星を仰ぎ見たものだった。


 
 この「瀬澤川」、どういう字を書くのか、それと上流の二つの橋の正しい名前も確認しに行ってきた。子供のころから呼び慣れた川の名前は「セサガワ」で、この漢字を使ってそう読むのか、それとも「セサワガワ」が「セサガワ」に変化したのか、尋ねてみたくも思い当たる人もなく諦めた。

 きょうは土曜日とあって、天竜川には釣り人の姿もあった。土手の上を歩いている人もいた。健康のためなのか、気休めなのか、それとも散歩なのか、春になってよく昼間はあのような人たちを目にする。
 昨夜は来客あり散歩は断念したが、冬ごもりのあいだの唯一の運動であり、気分転換でもあり、昼間とは違って夜だから、星座を眺めながら季節の移ろいを知ったものだ。それにしてもよく続いた。あの夜景のお蔭だろう。そのうちには夜桜を楽しみながらの散歩となり、そうなれば福与城址まで足を延ばしてもいい。
 
 この冬ごもりも、とうとうひと月を残すだけとなった。来週には、来年度の労働契約を交わすことになっている。15年目ということになり、思いがけない長さになってしまった。「ご先祖様、牛守が稼業でござんした」ということになる。「恥ずかしながら」と言い添えるべきか否か、ともかくこれもまた思いがけないことだった。
 本日はこの辺で。明日は沈黙します。
  
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