入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’21年「春」(41)

2021年04月22日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 好天が続いている。そのせいもあって今朝は5時起きして、弁当を自作し、朝風呂に入り、6時少し前には家を出た。オイデエラの枝垂れ桜は「3,4日すれば」などと開花の予想をしたのが初日、ところがその日の帰りにはすでにチラホラと花が目に留まり、今朝などはもう充分に花見ができそうなまでになっていた。

 春霞の中にあった北アルプスの山並みも、昨日ときょうは薄青色の空の中にくっきりとした白い峰々を見せ、就中乗鞍岳は女王と呼んでも差し支えないくらいその優美な山の姿を、朝の光溢れる中に際立たせていた。
 座頭沢の枝沢を大きく曲がったと思ったら、今度は中央アルプスの駒ヶ岳や空木岳が視界に入ってきて、光の当たる角度が微妙に違うせいなのか、同じ純白の雪ながら絹のような光沢を帯びて輝き、引き立ち、槍や穂高などの名峰と比べても全く遜色なく堂々として見えた。
 
 意外にも昨夜、気温は零度以下まで下がったようだ。台所には薄氷が張っていた。水回りや小屋の準備はほぼ済んだが、キャンプ場や露天風呂はこれからで、特に下にある炊事場の傍の電柱が倒れた際にどこかが断線したらしく、煙突などの準備は終えたものの風呂は着火できないでいる。
 それに、一冬の間に自慢のヒノキの風呂桶もすっかり乾燥し、水を張ってみたがまだしばらくは漏水が止みそうもない。ただこれは例年のことで、それほど気にしているわけではない。
 問題の倒れた電柱は昨日、東部の所長が来たので力を借りて、取り敢えずの処置だけは済ませてある。断線も、修理の目途が立った。
 
 こうしていると、絶えずどこからか鳥の声が聞こえてくる。聞き慣れた声だが、名前は思い出せずにいる。朝日が眩く、目を細めても鳥の姿までは見えない。柔らかな風がの音がする。勿体ないような爽やかで美しい朝、早起きして来ただけのことはあった。
 山の一日いちにちは早いから、そのうちにまた生活の場をここに移そうかと考えている。
 本日はこの辺で。


 



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     ’21年「春」(40)

2021年04月20日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 仕事始め。朝6時起床、天気は申し分なく、気温は少し低めか。せめて最初の日ぐらいはと、弁当を自作する。そう決めているわけではないがなぜか初日の主菜は鰻となり、卵焼き、きんぴらごぼう、おから、それにミニトマトとアスパラという内容。中身はどうあれ、こういう支度を済ませ一路春まだ浅き山の牧場へ。誰に見送られるわけでもなく早や15年目、こうした境涯にも当然、複雑神妙な感慨が湧いてくる。
 
 山室の谷に入る。弘妙寺(ぐみょうじ)の桜はすでに時季が過ぎ、芝平の分校跡でようやく満開の花と出会えた。例年ならば、あの寺が花に埋もれるのはまだ先のはず、今年は季節の進み方が早過ぎるのだ。第1堰堤のオイデエラの名花、紅花枝垂れ桜はこれからだが、赤い蕾の色がさらに濃くなってきていた。3,4日すれば咲き出すだろうが、これもかなり早い。
 上に来ると、春霞の中に先日雪化粧をやり直した数々の名峰が浮かぶように見えていた。きょうは、北アルプスは霞んですっきりとせず、御嶽山や中ア、その中でも空木岳の雄姿が目を惹いた。
 貴婦人の丘の手前で2頭の鹿、さらに進むと道路を挟んで両側の斜面にそれぞれ10頭くらい、2群の鹿を確認。あれだけの頭数を目にしたのは久しぶりだ。それでも、いつもなら必ずと言っていいほど鹿の群れを目にする第2牧区の斜面にも、第4牧区の放牧地にも全く姿はなかった。

  Photo by Ume氏 (再録)
 
 毎年ながら、小屋開きは水回りから始める。前回来た時は水量が少ないと思ったが、案ずるほどのことはなく、今こうしていても台所から水の流れる音が聞こえてくる。管理棟も小屋も窓を全て開け払い、早春の風を入れ、冬の沈鬱でよどんだ空気を一掃した。ここまでが終わると、まずは一安堵。
 それから、第1牧区、第3牧区を見回る。見慣れた風景だが、枯れた牧草を薄っすらと緑の色が染めるように見えている。今はまだ風景は不愛想だが、今年の入牧頭数が分かるのころになれば、あたり一面が鮮やかな緑色に変わり、周囲の森や林も思いおもいの緑の衣装を纏うようになるはずだ。

 さてさて、山の中の小屋やキャンプ場の話である。そこへ来る人の数など知れているし、飲食店などと比べれば換気は充分にでき、密集なども避けることができる。受付人数も大幅に抑えている。
 それでも、covid-19及びその変異株の感染の現状、毎日奮闘してくれている医療従事者のご苦労を思えば、少なくも今、こちらから是非お出掛けくださいとまでは言えない。今年の営業案内のリンクを解いたのは、そういう理由ですのでご理解ください。
 本日はこの辺で。
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     ’21年「春」(39)

2021年04月19日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

            昨日上は雪が舞った

 荒れた時代を通過してきた者として、偉そうになど言えない。若者のcovid-19に対する昨今の対応に対してである。しかし、土曜の「NHKスペシャル」を見て深く考えさせられた。感染にあまり頓着しない世代と同じ若い人々が今、悩み、苦しみ、疲弊し、懸命にこの感染症と闘ってくれている。医療看護に携わる人々である。
 NHKはなぜもっと早く、医療現場が直面しているあのような困難な状況を報じなかったのかと、そう思ったほどだ。あの番組を見れば、政治家が、専門家が、警戒を呼び掛けるために万の言葉を尽くすよりか何倍も、この感染症に対するわれわれの考え方は変わり、行動に影響を与えただろうに。蔓延が第4段階に入ってしまった今だけに惜しまれる。
 
 飲食を中心に、20代、30代の若い人たちの行動が蔓延拡大の一因になっているのは、すでに種々の調査、統計で明らかになっている。それでも、自粛の呼びかけに抗うように繁華街に人の群れができ、酒場では大口を開けて会話している。知らずしらずに感染を広げても、都会では発生源の追跡調査が難しくなっている現在、.彼ら彼女らは、恐らく加害者意識を持たないですむ。
 感染させられた高齢者が生命の瀬戸際に立たされても、発生源が特定され、追跡調査が行われない限り、自らの行動が惹き起こした重大な結果に気付くことはない。そしてまた別な場所で感染を拡げていってしまう可能性がある。こんな理不尽な話があるのか。
 
 頼りのはずの政治家は、政治的な思惑や立場と、感染の状況を秤にかけて、できもしない両立に苦慮し、有効な対策を打てないでいる。
 政治家の対応と比べ、NHKが報じたあの医療従事者の連日連夜の奮闘は尊い、胸を打つ。戦場での負傷兵に必死で向き合った医師、看護師たちの姿、態度と重なる。あの人たちはまるで檻の中のような医療現場で、時には患者の生命を救えず、無力感を感じ、悩む。使命感が揺れる。報われるべきは彼ら、彼女らである。それなのに、賞与が大きく減っただと。
 飲食店の危機ばかりが報じられている。しかし、それだけではないだろう。国が救出に乗り出さなければならない分野は、まずこうした医療に携わる人たちであるべきだ。

 大型連休を控え、この呟きを聞いてくれる人の数が増えてきた。しかし、当牧場の山小屋やキャンプ場も、すでにこれまで予約を受け付けた人々は別にして、今後しばらくの間の営業をどうするか考えなければならない。   連休を楽しみに訪れる人に応えるのも、逆にそれをお断りするのも、どちらも難しい判断だが、状況は悪化するばかりだ。ささやかな数でも、人の流れを助長するわけにはいかない。
 
 5か月の休みがきょうで終わる、本日はこの辺で。
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     ’21年「春」(38)

2021年04月17日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 きょうは雨。一昨日の目的を果たせなかった「風越峠」のことを思い返している。何の準備もせずに、急の思い付きで出掛け、余裕のない思いをした。夜這いに拘るわけではないが、そのために往復した峠道だともいうから、もっと簡単に行けるものと勝手に考えていた。とにかく、今年はもう無理かも知れないが、次に行く機会が楽しみになった。やはり、あの古(いにしえ)の山道を行くには一昨日のように季節は春、山桜の咲くころがいいだろう。
 
 峠への行き方を教えてくれ、ウドをくれた人のことは一寸だけだが呟いたが、実はあの日、その人以外にも親切な人に出会った。
 蟹沢の集落を過ぎ、さらに林道を進んでいくと、伐採した材木を重機で積み上げている作業者がいた。現場は一段高い所で、声が届くか分からないまま問いかけてみると、重機を操作していた人はわざわざエンジンを止めて降りてきてくれた。生憎その人はそんな峠のことなど知らなかったが、こっちの詮もない関心、興味に作業を中断してまで相手をしてくれ有難かった。恐縮もした。
 
 最近の沢山(さわやま)では各所で伐採作業が行われたらしく、林道のあちこちに伐り出した材木の山が目に付いた。材木運搬中の大型トラックなどと出くわしでもしたらと、未知の山道をヒヤヒヤしながら車を走らせていたら、やはり危惧していたことが現実になった。
 かなり急な山道だったが、相手は先の見えない大曲りから突然現れた。道を譲ろうにも、それをするにはかなり戻らなければならず、咄嗟に側溝へ車を乗り入れた。しかしそれでは充分な幅員が確保できず、やはり下がるしかないと、足場の悪い場所から脱出にモタモタしていると、その材木を満載したトラックが急な坂道を後進し始めた。そして、すれ違いのできる場所まで下がって、こちらの車が通行するのを待っていてくれた。
 入笠でもこういう経験は何度となくしている。しかし、材木を積んだ大型トラックが、未舗装の坂道を後進までして道を譲ってくれた経験などは一度とてない。頭が下がった。感動までした。

 後で分かったのだが、風越峠へは蟹沢の集落が終わる辺りに古道の入り口があり、その標識も備えられていた。にもかかわらず見落とし、そのまま林道を奥へおくへと行ってしまったというわけで、あの辺りだろうという勝手な思い込みがいけなかったと反省している。
 なお沢山(さわやま)に入ると、一般車両の通行できない林業関係者専用の道路が多く、簡単気楽に行けるような山道ではない。要注意。

 今年の営業案内は下線部をクリックして「入笠牧場の山小屋&キャンプ場(令和3年)」をご覧ください。明日は沈黙します。
 
 
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     ’21年「春」(37)

2021年04月16日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 陽気が良くなると、家の中にじっとしていることができなくなる。昨日は以前から気になっていた峠を探しにいってきた。その昔「蟹沢」の集落とひと山超えた「黒沢」の集落とを結んだ、人の往来もかなりあった峠だと、郷土史関係の本で知っていた。
 こう呟いても、土地勘のない人には分かるまいが、高遠を抜け左右を山に挟まれた杖突街道(R-152)を北上していくと長藤の中条に至る。左手から1本の沢「黒沢川」が流れてきているが、その奥まった山懐にこの集落「黒沢」がある。以前に2回ほど行ったことがある。家々は日当たりの良い南向きの斜面に固まっていて、古くて立派な「鹿島神社」があるなど、かなり昔から人々の生活が続いていたと窺えた。口碑では、下駄が流れてきて、それでようやく沢の上流にも人が住んでいることを知って下流の人たちが驚いたとか。どこまで真実かは不明だが、今はさておき昔は、山を間にしても黒沢と蟹沢の人々の交流が、麓の人々とよりかもあったという伝承であるだけに面白い。その背後の山を越えて、さらに下れば手良の蟹沢へ至ることになる。

 蟹沢の集落の背後にある山はかつての御料林で、「沢山(さわやま)」と呼んで何度も足を運んでいる。そこまで行けば分かるだろうと高をくくって行ったのが間違いだった。それらしい山道に入っては行き止まり、引き返しを繰り返し、信大演習林内の管理棟に立ち寄っても、屋根から煙が見えていたが応答なく、その挙句にはその先で行き手を阻まれ、ついに諦めるしかなかった。
 それでも、春先の山の中を行ったり来たりしたお蔭で気分転換になったから良しとし、蟹沢の集落まで下ってきた。そこで野良作業をしている人影を見掛けたので、念のため峠のことを尋ねてみると、田を1枚挟んだ向こうの道がそれではないかと言う。驚いた。あれこれと話し、礼を言って帰りかけたら、親切にも畑に育てたウドをわざわざ掘り出して分けてくれた。年齢は同じぐらいだったろう。
 気を取り直し、急な山道を一心に車を走らせ登っていくと、途中で目指す峠の案内板を目にした。そして、初めてその峠の名前を知った。「風超峠」というのだが、正しい読み方は急いでいて記憶にない、「かざこしとうげ」で良かったか。
 結局、峠まで行くことはできず次回に期すことにした。どうやらこの峠の名前は黒沢の人たちが付けた呼び名で、蟹沢には別の名前があったこと、どちらの集落かは知れずも夜這いや、それが縁でか、婚姻も行われたらしいことなどなどが、読み飛ばした案内板に綴られていた。
 
 今年の営業案内は下線部をクリックして「入笠牧場の山小屋&キャンプ場(令和3年)」をご覧ください。

 
 

 
 
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