入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’23年「冬」(28)

2023年12月11日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 穏やかな冬の日、縁側に腰を下ろし日向ぼこをしていた。午前10時、この時間だと、天気が良ければ外の方が暖かい。ひと夏の威勢を放った雑草が今は枯れ果て、みすぼらしさが目に付いた。
 きょうは柿の木の一番高い枝先に1羽のムクドリが来ている。青空を背景に細い枝の上にまるで浮かぶようにみえるその姿は、あっちはモズだが、宮本武蔵の描いた有名な「古木鳴鵙(めいげき)図」を連想した。

 きょうの写真は散歩の途中、二つの集落を分かつ山付きの峠越えをした後で撮った伊那谷の風景である。ごく一部でしかなく、写真では分からないが、この伊那盆地を造り、今もその低部を流れる天竜川の堤防へ散歩の最後は下る。
 ここの夜景が気に入って、昨年までの冬ごもりは専ら夜間ばかり歩いていたが、畑や森、他所の集落の端などとはいえ、今の時代にそんな所を夜なよな歩いていたら不審者扱いされて警察にでも通報されると注意され、それで止めるようにした。

 散歩は気分転換であり、暇つぶしである。仕事柄、冬ごもりの間でも、歩きたいという単純な欲求が湧いてきて、それに従っている。
 また、年齢を重ねると、この程度の体力や気力ならまだ保持しているゾ、ということをどこかで確かめてみたくなる。自己診断に近い健康診断結果を得て安堵するようなものだ。
 頭の方は日常の中で嫌でも何かと気付かされるが、特に物をよく落とすようになり、万有引力の無慈悲さを嘆き、腹を立てることが増えてくる。それと、やはり時の経過を早く感ずるようになる。
 
 考えてみれば、われわれには殆ど「今」はない。過去か未来で、「今」はたった1秒すらもないだろう。そういう不思議な時間の中で、「今」の速さを少しでも抑制し、その一瞬に退屈してみたくなって「座る」ということを始めた。
 だから、何か高尚なことを考えようとか、精神によい影響を与えようかとか、そんな大それたことを考えて始めたわけではない。ただ、現在も一日もかかさずに続いているということは、「心のラジオ体操」くらいにはなっているのだと思う。
 時には気が乗らなくて中断したくなる日もあるが、しかしそれをしてしまうと、その悪い癖がついてしまうようで、とにかく1本の線香が燃え尽きるまでは続けるようにしている。
「心のラジオ体操」、冬ごもりの今、悪くない。

 これから入笠へ行く、本日はこの辺で。
 


 
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     ’23年「冬」(27)

2023年12月09日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

                     Photo by かんと氏(再録)
 
 いい冬日和が続く。昨年の今ごろと違って、椋鳥の群れが来なくなった。柿の老木を大分伐ってもらったから、目当ての熟した柿の実にありつけなくなったからだろう。
 
 家を留守にしていた間に、頼みもしない留守番が住み着いた。いまそれに手を焼いている。ネズミである。どこから入ってくるのか分からないが、文字通りわが家は陋屋であるから、あいつらにとって侵入は鹿が牧柵を超えるくらい造作無いことだろう。お蔭で、安眠が破られるようになった。
 殺鼠剤と"ぺったん"はすでに試した。しかし、敵も然るもの、最初は効果があったけれども今ではどちらも無視を決めてしまい、どうしたら所払いを通告できるのか途方に暮れている。
 
 上でも害獣の鹿と闘い、さらにネズミとも闘って、里でもまたである。昨日は薬局で4錠で3000円以上する「最後の晩餐」などという、ちょっと笑いたくなる殺鼠剤を買ってきた。1錠800円もする代物で、麻布の高級チョコよりも高いことになる。敵の数も分からないのに、ウクライナの戦いではないが、弾丸の数がこれで足りるのか。
 で、昨夜も奴らの物音はしていたが、口を付けた様子はない。4週間で効果がなければ返金すると箱に印刷してあったが、そんな気の長いこと言っていては商品名が泣く。

 薬局の人には顔を覚えられ、陰では「ネズミの人」などと言われているかも知れない。昨夜、洋服箪笥の裏に一カ所進入口を発見したのでフタをしようとしたのが夜も10時過ぎ、適当な物が見付からない。思い余って石ころと薪割の斧で塞いでやったが、さすがにこの取り合わせには自分でも嗤うしかなかった。

 冬の星空が美しい。あの人が好きだったプレアデス星団は、じっと見ていると靄のような星団が一瞬星粒になって見えたりする。冬のダイヤモンド、オリオン座、言葉にならない深いことを語ってくれているような気がしてくる。

 本日はこの辺で、明日は沈黙します。
 
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     ’23年「冬」(26)

2023年12月08日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 放射冷却というらしいが、よく晴れた朝は特に寒くて布団から脱け出すのに苦労する。暖房器具をあらかじめ一定の時間に始動するようにしておけばいいと言われそうだが、その方法が分からない。炊飯器も同じようにわざわざコンセントを差し込んでからスイッチを入れ、空腹を我慢して米が炊き上がるのを待っている。
 便利になればなるほど何であれ扱い方が複雑になり、取り残されていく。そういう物がいつの間にか身の回りに増えた。
 
 昨日もそんなことがあった。自分の車のラジオの操作方法が分からないため、FM放送を聞くのをこれまでずっと諦めていた。もう10年以上になるだろう。ところがその時は何かの拍子で突然に雑音が入ってきて、すっかり機械にからかわれているような気になってきた。どうせ使えないのだから壊してもいいと、腹立ちまぎれに適当にボタンを押してみた。
 すると、いとも簡単に目当ての8500Hzの周波数に合わせることができ、わがことながら驚いた。もう一度やれと言われてもできるかどうか分からないが、こういう時は厄介な牛をようやく捕縛できたような気になり、しばらくは浮かれる。

 やればできることは、こんなことばかりでなく、もっとあると思う。にもかかわらずなぜやらないのか、となるが、どうも自分が我慢して済むならそれでもいいと決めているのだと自己診断している。要するに面倒がりで根気がないのだ。ただしその責は自分で負うから、放っといてくれ、と。
「習い性になる」、今さらその習いを変える自信もなく、先述した車のラジオのように、時代遅れが極めて稀にでも現代に追い付ければよしとするしかないようだ。

 冬日和の穏やかな午後。越年、そして年が明ければ2組ほどの予約が入っている。さて、今冬は暖冬だろうか。
 本日はこの辺で。

 

 
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     ’23年「冬」(25)

2023年12月07日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 イカリソウの花の時季は4月だが、すぐに続く旺盛な葉の成長に譲り、開花している期間はそれほど長くない。赤か白い花が咲くが、主役は花よりも葉なのかと思うほど元気で、いまだ枯れ尽きず、散らない。山野草の生命力に感心している。
 モミジの葉は大分落葉し、はてその処理をどうするかと迷っている。これから迎える寒い季節、あの落葉が来春に芽吹いてくる草木に一役買っているかも知れないと思うからだが、特に、ようやく片葉を脱したカタクリのことが気になる。

 こんなふうに、もう春のことを考えたりすれば、始まったばかりの冬は気を悪くするだろう。しかし、とっくにこの季節に対する思い入れがなくなってしまったのだから仕方なく、長い冬ごもりの間には越年も含め、せいぜい雪の入笠へ行くことぐらいしか考えていない。
 いやそれに加え、もうひとつあった。今冬は、もしかしたら最後になるかも知れないスキーを是非やろうと考えている。もっとも、もっと寒くなればそんな気も失せて、炬燵の虜囚で終わるかも知れないが。

 そういえば、星の狩人かんとさんが冬の星々を求めて来るはずだ。通信を調べてみたら、12月の13日から3泊となっている。しかしこの予定は、今から半年も前の4月15日に送られてきた年間予定で、それが生きているのかは分からない。
 それに迂闊にも13日には別の予定を入れてしまっている。出来たら1日延ばせるか、この場を借りて都合をお聞きできたら有難い。
 
 上は寒い。しかし、寒いからこそ、冬の星座の魅力はまた一段と増す。一番近い星の瞬きでも40兆キロ余の彼方にあって、「悉く皆」はそれ以上に遠い。
「冬の星きみなりき」と言い、それも「ひとつをば云ふにはあらずことごとく皆」と言った歌人はそのことを知っていたのだろうか。
 夜道の散歩はまだ控えているが、冬のダイヤモンドを頭上に仰ぎながら歩くぐらいの元気なら、まだある。

  冬の夜の星君なりき一つをば云ふにはあらずことごとく皆  与謝野晶子

 本日はこの辺で。
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     ’23年「冬」(24)

2023年12月06日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 冬の日射しが暖かい。空は晴れ渡り、風もない。
 
 家の西側の傾れ(なだれ、傾斜地)に生えていた灌木、雑草と、昨日来ずっと闘ってきた。今年の春から繁るに任せ放置したままだったからかなりの量になった。風のない朝早いうちならいいだろうと、それらを少しづつ燃やすことにし、ついには大方を片付けてしまった。
 その昔はこの辺りまで暴れ天竜の支流が流れていたと聞いたことがあるが、今では大型の量販店が幾つか来て、かつての田園風景を変えてしまった。
 
 野焼きは原則禁止であるとは承知している。だから昨日は、集落の背後にある一段高い里山に持っていって捨てた。
 もちろん他人の土地ではなく、地目は「原野」ながら、ここに小太郎とHALが眠っている。先祖の墓には行かずも、この2匹の犬の墓には散歩の折には必ず立ち寄ることを欠かさない。将来はここへ来てもいいな、などと言ったりして。
 きょうは早く片付けてしまいたいという思いに負けた。それに昨日は生け垣のサワラだったが、きょうの大半は枯れた草や灌木だったから、それを言い訳にした。
 
 このなだれには春になると蕗の薹がよく生える。それを2,3株採ってきて、蕗味噌を作るのを毎年の楽しみにしている。しかし、それ以外は牧の仕事も始まるし、ニョロが出たりするから近付かない。
 蕗が伸びて食べごろになると近所の人もやって来るようだが、その中には北原のお師匠もいて、3キロ以上の道程をわざわざ自分で車を運転して来るほどだった。

 両親は満州からの引揚者だったから、戦後の食糧不足を補うため、このなだれに作物を植えたこともあったし、ぶどう棚を作った記憶もある。今は排水溝になっているが、かつてはここで魚をとったり、ホタルを追いかけたりしたものだ。
 遠いような、近いような子供のころを思い出しつつ、この時季としては思いがけない小春日和のような一日を過ごすことができた。満足。
 本日はこの辺で。
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