入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’23年「冬」(33)

2023年12月16日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 きょうは友人の家に午後から10人ほどの人が集まる。若干ではあるが料理を作るように頼まれ、それはいいが食材は魚介類で、実はあまり得意とは言えない。
 信州は海のない県、それに冷蔵庫がまだそれほど普及してなかったころに育った身・・・と、早くも逃げ口上を呟く。しかし、食材を送ってくれた人の気持ちを考えれば、「徒疎かにはできないゾ」と言い聞かせてはいる。どんなことになるか。
 冬ごもりの日々、今冬は結構いろいろなことがあって、里の生活も巡行運転に入ったとは言えないまま、新しい年を迎えることになるかも知れない。

 K君、便りをありがとう。驚いた。あの年齢、そろそろ80歳に近いだろうに、「あの人」は自分で建てて15年ほど住んだ小屋を捨て、また新しい土地へ移っていったとは。まあ、新天地、ならばいいが、は冬でも温暖だから、きっとこれまでよりかは暮らしやすいだろう。
 誰とでもすぐ仲良くなるけれど、そこから先がなかなか上手く行かないのが困った人だった。ダルマのようなあの体躯で、「日本のトニー・ザイラー」などと言って、1956年も昔に開かれたコルチナダンペッツォ(イタリア)の冬期オリンピックの金メダリストを引き合いにしてスキー自慢をしていたが、そんなことなど君は知るまい。因みにその時、銀メダルを取ったのが日本の猪谷千春だった。
 そういう67年も前のスキーヤーを語るくらい、あの人の時代感覚は特異で、定まらず、その癖が今度は住まいに出たということなのか。

 それにしても思う、あの山奥で隠者のようにして過ごした時間はあの人にとっては何だったのかと。人里離れた新しい土地で、また一人暮らし。今度は、何を楽しみに過ごすのだろう。もう、残された時間は少ないはずなのに。
「仏の顔も三度まで」とか言って、何を怒っていたのか説明しないまま、忽然と姿を消したことになる。いくらなんでも仏は、大酒飲んで失禁などしないだろうと言ってやりたい。
 こんなことを耳にすればまた激怒するに違いないが、何か気の毒な気がする。それに、もうあそこにいないのなら二度と会うこともないだろう。それなりの淋しさも感ずる。
 仲を修復できないまま別れた「百姓山奥いつもいる」は、もういない。
 
 K君、知らせてくれてありがとう。春になったら是非顔を出すように。
 本日はこの辺で、明日は沈黙します。昨日のPH、撮影者はかんと氏でした。失念をお詫びします。
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     ’23年「冬」(32)

2023年12月15日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

                        Photo by かんと氏(再録)
 
 雨が降っている。やはり天気は下り坂のようだ。それでも気温はそれほど低くないようだし、微妙なところだが、恐らく上は雨だろう。
 
 ふたご座流星群は見られなかったし、かんとさんも来なかった。赤羽さんはベランダから眺めると便りをくれたけれど、さてどうだっただろうか。
 流れ星と言うのは、太陽の周りを公転する地球が時速10万キロ以上の高速で星のかけらだか、ゴミ(ちり)の浮遊している空間に飛び込んでいった時に起こる現象ではないだろうか。
 彗星や小惑星が残した微細な氷の粒などが地球の大気へ「突入」してなどと解説されるが、実態はむしろ、そうした残留物の浮遊する宇宙空間へ超高速で進入していく惑星が地球であり、流れ星をつくる主体はこっちではないか、と言いたくなったりするのだが。

 この宇宙に生き物が誕生するには水やアミノ酸がどうたれこうたれとか、われわれレベル、それがどの程度かはさておき、知的生命が誕生するにはああだこうだと、聞いたり読んだりした。子供のころから、天体望遠鏡で月のクレーターを見たいとまさに熱望したが、その夢がかなったのはずっと後のことだった。
 そして今、もともと流れ星に対してはあまり興味がなかったが、もう大方そういうことに対する関心は失せてしまった。昨夜も、一昨夜も一応ふたご座の方向の夜空を眺めてはみたが、流れ星には出会えなかった。

 そう言いながらも夜の散歩に出て、冬の星空を眺めて思うことは、われわれが暮らす宇宙はなぜこれほどまで広くなければいけなかったのか、ということだ。また、われわれの生命は(おそらく)1回性であり、その寿命は100年にも満たないというのに、陽子は10の33乗年もの寿命を持ち、宇宙は無限とも思えるような時間を持っているらしいということへの疑問だ。
 自分が住む場所のことは知りたい。できれば、探訪してみたい。しかしその隣の星でさえあまりにも遠く、光の速度でも万年どころか億年の単位に至る星、天体まである。それどころか、このごろは複数の宇宙の存在すら語られる。
 
 われわれが生まれてくるには、なぜこんな途方もない世界でなければならなかったのか、つくづくそう思う。神話や宗教が説明するようなもっと分かりやすい世界では、なぜいけなかったのか。神がいた方が良かったかも知れないと、そんな事を今さらながら、ふと、考えたりする。

 本日はこの辺で。


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     ’23年「冬」(31)

2023年12月14日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 天気は下り坂に向かっているという。ここで大雪が降れば、越年のために車で上へ行くのが難しくなる。昨年がそうだった。確か12月に2回雪が降り、下から法華道を歩いて登った。
 年が明けぬうちににあれだけの雪は珍しく、だいたい1月の中旬くらいまでなら車で、少なくも牧場までは行ける。ただし、貴婦人の丘の見える辺りに大きな吹き溜まりができることが多く、そこで車を捨てて雪道を小屋まで歩くこともある。
 
 まだビール以外は荷揚げができていない。せめて20日ごろまでに雑煮の材料、鮭、山芋くらいは車で運んでおきたいと思っているが、明日雪でも降ればそれもできなくなるかも知れない。
 こういう心配をするのは越年だからだ。普段は食事の提供は原則していないが、正月に訪れる人は馴染客で人数も限られている、ついでと言っては悪いが、例年、素泊まりの料金で、それなりの対応をしてきた。
 
 2年だか3年続けて騒ぎを起こしたあの人はもう来なくなった。新鮮な刺身は食べられなくなったが、以来お蔭で平和な年越しができている。
 本当は親切でいい人なのだが、山の中の一人暮らしが嵩じて野生化が進み、酒のせいで頭を病んで、ついには自ら自らを隔離してしまったようだ。
 夏のころ、彼の慰問に来たK君と第2堰堤で嬉しそうに焼肉をしている姿を見掛けたが、その後の消息は分からない。元気ならいいのだが。

 法華道の話をしようとして、またしても脱線した。歩いても3時間半くらいの距離だから、昨年のようにスノーシューズを履いて登っても構わないと思っている。
 HALがお供をしなくなって何年が経つのだろう。
 本日はこの辺で。

 
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     ’23年「冬」(30)

2023年12月13日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 寒空に救急車の鋭い音が反響するように聞こえてくる。カーテンを閉ざしたままだから外の様子は分からないが、天気は良さそうだ。
 やはり雲一つない青い冬の空が拡がっていて、わずかながら笹を慣らす風が日向ぼこを長続きさせてくれなかった。再び家の中に戻り炬燵に入り、何もない一日を、お客さんのように迎えることにした。今朝は例の柿の木の小枝に、2羽のムクドリが来ている。

 昨日は小雨の降る重い一日で、本当は何もないとは到底言い難い幾日かがその前にも過ぎていった。しかしそれは措いて、敢えて何もないと嘘をつく。そして、詮無く放心している。それしかできることは何もないから、そういう意味では「何もない一日」と言い、それを繰り返すことしかできないでいる。
 誰かが言ったように、こうやって、来る日も来る日も世間のできごとを遠くに感じ、「鈍痛で耐えていれば」、時間は過ぎていくのは分かる。取り返しのつかないこともそこに置いたまま、容赦なく。
 穏やかな晩年とは、そういうことなのだろうか。物の分かったふりをして、小賢しく振る舞い、それでいて、小石のような小事に躓いただけで大騒ぎする人もいた。

 例えばあの人は晩年、もういい歳だったのに少しでも長生きをしようとして禁煙を決意した。ところがその苦しさに耐えれず癇癪ばかり起こして、周囲を困らせたと聞く。かと思えば、重篤な老人性鬱病に罹った人もいた。
 演技は上手にできても、小心は隠せない。それよりか、妻に先立たれ、記者会見で涙を流しながら「最後まで夫婦生活がありました」と叫ぶように言った、あの老映画監督、新藤兼人にこそ共感し、敬意を表したい。

 脱線か、脱輪か、これ以上この列車は進みそうにない。本日はこの辺で。

 

 


 
 
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     ’23年「冬」(29)

2023年12月11日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 風はなく穏やかで、灰色の空の下に見えていた銀色の峰々は、穂高であれ、後立山であれ、かなりの凄みを見せていたというのに、冬枯れの野ずらは哭いていた。
 いつも目にする生き物の姿が消えてしまったせいだろうか、久しぶりの牧に、そんな殺風景な印象しか持てなかった。
 
 今回も芝平から荒れた山道を上った。第2堰堤を過ぎた所に通行止めの看板が、「わたくしたちは役目上通行止めにしますが、どうぞ勝手にお通りください」とでも言うように置かれていた。
 オオダオ(芝平峠)に出ると、千代田湖から「枯木の頭」に至る林道も、12月の20日過ぎまで予定していたはずの工事が終了したらしく、通子止めの標識はなくなっていた。わずかな距離でしかないのに、工事予定の期間がいい加減なのは今回だけでなく、いつものことだ。
 雪は「池の平」手前の大曲り、ついで焼き合わせを過ぎたばかりのやはり大曲り、そしてド日陰と3カ所ほど根雪になっていたが、通行に差し障るほどの量ではなかった。とにかくこの時季、通行止めの看板さえ出しておけばいい、ということなのだろう。
 
 牧場の北門を入って少し行った所で車を停め、そこに残しておいた一抱えほどの薪を積んだ。実生から群生した落葉松で、露天風呂の灯油と薪併用の釜に使えばいい燃料になる。
 来春に計画している道路沿いのコナシの枝打ちをあれこれと考えながら小屋に着いた。昼を少し回っていただろう。
 
 いつものように、小屋に入る前に、まず水源を見にいった。来る途中では水量が乏しくなった渓ばかり見てきたせいか、相変わらず豊富な水が流れ出ているのを目にして安心した。
 そして露天風呂の養生に異常はないか、キャンプ場全体に何か問題がないかを点検して、小屋に入った。
 
 今では里の暮らしにすっかり慣れたせいだろう、半年以上も過ごした部屋はさながら主のいない他人の部屋のようで、あまり長居をする気にはなれなかった。火を使うのを控え、湯を沸かすこともせず、それでも1時間ほどいただろうか。
 戸締りや、ネズミの餌になるような物をしまい忘れていないか確かめて、愛想を見せない小屋を辞すことにした。
 多分、荷揚げを兼ねて越年前にもう一度は来ることになると言い聞かせつつ、冬の山の侘しさを胸一杯に吸い込んだ。
 
 今週末から富士見のゴンドラの営業が再開される。本日はこの辺で。

 

 

 
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