入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’23年「冬」(23)

2023年12月05日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 昨夜は冬の星空があまりに見事で、きらびやかな虚空に引き込まれそうな思いをして眺めた。ところが、今朝は雪でも降ってきそうな空模様、ちょっと裏切られた気がした。上に行ってみようかと思ったりしたが、その気がなくなった。
 
 われながらよく動くと思う。しかし、当然ながら運動能力や体力は衰えているはずで、走るなどということはもうすっかりしたことがない。いつかは、牧場へ侵入した狼藉者に胸を突き飛ばされて、自分でも驚いたが簡単に転んだ。
 それでも、日常生活ではそれほど年齢を意識することなく過ごせていて、身体の部位のどこかに不自由を感じているわけではない。血圧と尿酸値が高く、病院には簡単な診断と薬を処方してもらうため月に一度行くようにしているが、その際に3ヶ月毎に血液検査も受けるようにしている。特に問題はない。

 もしか身体のどこかに肉体的な苦痛があるとすれば、金の苦労と同じく精神的にかなりの負担になるはずで、それのないことを有難く感じ、常々念を押すように言い聞かせ、意識するようにしている。
 いや、金の苦労はそれなりにした。よく弁護士事務所が宣伝している例の過払い金の返還を請求すれば、かなりの金額が返ってくるだろう。ただ、高い利子を承知で借りたことだし、実際にその拝借した金で何度となく助けられたのだから、ここに来て手のひらを反す気などない。
 年を取っても金と性欲の亡者はいるが、清貧であればいいと決めている。ただし、達観などしないけれど。

 穏やかな晩年などと言う。だが、いずれこの平安は終わる。だからこそ、それをしっかりと味わい、記憶しておきたいと思う。
 冬ごもりの寧日が、もう半分過ぎてしまった。経ヶ岳の山頂が見えている。どうやら雪は降りそうにもない。
 
 本日はこの辺で。 
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     ’23年「冬」(22)

2023年12月04日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

                               
  県内の北部のある街にいた。4人だった。昼飯を食べようということで、車の中から携帯電話を使って、行ったことのないある店を予約しようとしたら、満席だという。それでも、しばらくすれば空席ができるだろうという返事で、30分ほどかけて行ってみた。
 思ったよりも狭い店で、10席もなかったと思う。あまり愛想のよくない、多分厨房で働いている料理人の女房、と思しき女性に案内されて席に付いた。
 料理が供されるまでビールを飲んで雑談していて、ふと、店内の中央に位置する二人掛けの席の男女の姿が目に留まった。ともに30歳前後と見た。昼休みを利用して食事をしながら楽しそうに会話していたが、その雰囲気が同じ勤めの同僚のようには思えなかった。
 
 二人が食事を終え、男が先に席を外して用を足しに立つと、女性の方がその間に会計を済ませた。戻って来た彼は会計が済んでいるのを知りちょっと戸惑い、しかしごく普通に礼を言ったように見えた。女性は嬉し気にそれに応え、そして二人は店を出ていった。それだけの話である。
 しかし、それだけのことなのに気持ちのいい印象が残った。彼女の容貌よりか、性格の良さが明るい顔に出ていた。先が細めの黒いズボンをはいていたせいか、これは余計のことながら、後姿の形の良い臀部が目を惹いた。

  愛しあえたかも知れない人よ 知らぬ顔に去った人よ

 詩の一節だが、偶々ある本を読んでいて、本の内容とはあまり関係のないこの部分に出くわし、あの時の女の人を咄嗟に思い出した。
 確かに二度と会うことはない。会えても、顔を覚えているわけではない。だが、あのわずかな時が、日常の諸々雑多の出来事中、一瞬だったが感情を波立たせてくれたことは明らかだった。たちまちのうちに去っていく、車窓から眺めたいい風景のようだった。

 朝はかなり寒くなってきたが、日中は外で作業をしていてもどうと言うことはない。家を留守にしていた間にフジヅルがやたらと増えた。根元からそれを切り、そこにスポイトで除草剤を見舞うという手の込んだことを、結構楽しんでやっている。
 
 本日はこの辺で。
 

 
   
 
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     ’23年「冬」(21)

2023年12月02日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 嫌なことはしないと決めて、冬ごもりに入ったつもりでいた。しかし、このごろ、何が自分のやりたくないことなのかもよく分からなくなってきた。
 
 一昨日も、庭と、草の茂るに任せていたモミジ、ウツギ、グミ、ボケしか生えていない空き地の草刈りをした。やる前はあまり気乗りしなかったが、始めてみたら結構気合が入って、嫌な仕事にはならずに終わった。
 たかだか100坪にも満たない荒れ地の草刈りなど遊びに等しく、ところがそれが遊びよりか面白く、身体を使った後の爽快感もあっていい仕事だった。

 子供のころから、単調な肉体労働はできれば勘弁してもらいたかった方だ。それほど不器用ではないつもりでいたが、面倒なことが嫌いで、忍耐という言葉とは親しくなれず、その傾向はずっと続くと思っていた。
 ところが、50歳のころになって、仕事の中に肉体労働が入ってくるようになり、それが田舎に帰ってから今に至るも続いている。牧守という仕事である。
 
 まさかこんな晩年が来るとは想像だにしなかった。しかし、実は一番向いていたのかも知れないと思っている。それも、迷い、行き先を失い、途方に暮れたその挙句ようやく辿り着いたというよりかも、こうなるべくしてなったような気がする。漂流を続けながらも、本人には気付かない海流に乗って流れ着いた結果、とでもいうような。
 
 よくある家庭、連れ合いがいたり、家族がいたりの暮らしはできなかったが、これは「深い哀しみの中の諦め」の一つであって、まさしく「諦め」るしかない。しかし、肉体労働に対する適正については前述のように少し考えが変わったものの、一人暮らしは、もしかすればこれも性に合っていたのかも知れない。
 
 焚火の燃えるのを眺めながら、そんなことを考えていた。昨日は松本平へ行き、きょうは約束が2件あり出掛ける。師走だからか、人並みほどではないにしても、最近は結構やることがある。

 冬期の営業について問い合わせがありました。ご希望に添えない場合もありますが、ご相談ください。
 本日はこの辺で。明日は沈黙します。
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