入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’24年「春」(5)

2024年02月23日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 また雪の心配が出てきた。里のことは措いても、上の積雪量のことが気になる。3月2日、あと10日ばかり先のことだが、上に行くつもりでいるからだ。
 その日何とか焼き合わせまで車で行ければ、そこからなら約5㌔の距離、何度も歩いているから雪道でも問題ない。食料などの荷物のことを考えると、今回は法華道は避けておきたいが、さてどうなるか。

 日の経つのが早い。それを知るのがメモ程度の日記の空白と、冷蔵庫の中の食材で、前日のことなら何とか思い出せても、それ以上のことになると手に負えなくなるし、食材はすぐに賞味期限を過ぎてしまう。
 それでも1年前のきょうのことならよく覚えている。メモ程度の日記にそのことが書いてあったのを幾日か前から気付いてしみじみしていた。
 何があったかはもう繰り返さないが、ついこの間のことのようにも思えば、また遠い時間へ行ってしまったとも思う。

 最近はすっかり散歩をご無沙汰している。どうも外へ出る気にならず、閉じ籠ってばかりいる日が多い。
 その代わりではないが、座ることは毎日やっている。大体午後の3時とか4時ごろから3,40分、1本の線香が燃え尽きるまで座る。用事などがあれば、寝る前にすることもある。
 心のラジオ体操ではあるが、いくら座っても短気は治らないらしいし、精神世界に何ほどかの変化が生まれることも期待していない。座っている間、極力雑念を抑え、呼吸に集中しようとする以外には、ただただ時間の長さを意識するだけで、そのためにやっていると言ってもいいくらいだ。

 ただ座っている時、雑念、妄念の類をあまり気にしないことも大事で、日によってその辺は一定しているわけではない。時には10まで数え、それを繰り返すこともあれば、1で吸って、2で吐く、これを繰り返すこともある。全く数えないこともあるし、とにかく、このきっかけを作った本には、鼻呼吸に集中せよ、というだけでそれ以上の説明はない。
 上手くいったという日もあれば、雑音ばかりがしていたという時だってある。ただ、冬ごもりの間はどうであれ続けるつもりで、それは、たちまちのうちに一日が終わり、夕暮れがやって来る単調な日々の中、過ぎていく時間に対する唯一の抵抗だと思っているからだ。

 案じていた雪だったが、里は薄っすらと積もった程度で大したことなかった。上はどうなのか気になる。日、月曜日とまだ降雪が心配され、気を揉む日が続く。あっ、こんな天気だというのに今、今年初めてヤマバトの鳴く声を聞いた
 本日はこの辺で。

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     ’24年「春」(4)

2024年02月22日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 今月の15日で狩猟期も終わった。今冬はどうだったかと親しい猟師に尋ねたら、いつもの年とあまり変わらないという答えが返ってきた。2月の10日、11日に上に行った時は1頭の鹿さえ見なかったから、気になっていた。
 狩猟では、狙いは鹿よりかイノシシ、クマ、ということはすでに呟いたが、禁猟期に入ったこれからは有害駆除の名目で狩猟が認められ、捕殺した有害獣には報償費が支払われる。鹿は数が多いだけに、猟師らの関心はそっちに移るだろう。有害獣は他にもイノシシ、ハクビシン、アナグマなどが指定されている。
 
 行政、学識経験者、猟師、いろいろな人が関わり、有害獣の中でも鹿の問題や対策はすでに牧で働く以前から始まっていた。牧場に大型の囲い罠を設置したのは、ちょうどこの仕事を始めた年の冬で、17年になる。
 里の猟師らの間では、ここ何年か鹿の頭数は「減少」ということで固まっているようだが、牧を預かる者としてはあまりそういうふうな実感はない。
 仮に本当に頭数が減っていたとして、それが獣害対策の効果であるのかどうか、感染症などによる自然の調整作用も考えられ、早計なことは言えない。
 とにかく、一喜一憂はまだしばらく続くという気がしている。

 庭のユキワリソウと呼んでいた花が今年は咲かなかった。.それだけでなく、細く長い茎の先に葉も2枚か3枚、岩の影にすっかりと生気をなくし瀕死の状態である。
 毎年、春に先駆けて雪の中でも桃色の花を咲かせた。1年が経てばそうやって見る者の目を楽しませてくれた草花でも、ついに寿命の尽きる時がきたのだろうか。
 植物図鑑で改めて調べてみたがあの花、ユキワリソウよりかもっと控え目、清楚可憐と思えたが、まぁ、名前など知らなくても、それはそれでもいい。

 そのうち、梅の花が咲き、またカタクリで一喜一憂する日が来る。そのころには、明るい日差しを浴びて野山に様々な春を歌う草花を目にするようになるだろう。イヌフグリ、タンポポ、イカリソウ、ミヤコワスレ、カタクリ・・・。
 春の日を浴びた西山の暖かそうな山懐、イワアナやヤマメの泳ぐ清流、渓、いつの間にかカタクリが目的ではなくなったけれど、今年もあの花が咲く峠が呼んでいる。
 
 M田さんブログ拝見しました。頑張っていますね。
 本日はこの辺で。
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     ’24年「春」(3)

2024年02月21日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 しばらく寒暖の変化が激しいらしい。まだ2月、暖かければ温暖化が気になるし、寒ければそれも体に応えるという厄介な時季だ。すでに上には来年度の仕事の話が来ているが、毎年のことながら先ずは現地の積雪状況が今後どうなっていくかにかかっている。
 
 昨年は正式に牧場を開くまでに3月に2回、4月にも2回上がっている。雪掻きや、打ち合わせのためだ。
 最初の時は「ド日陰」から歩いているが、その後は例年になく雪が少なく、仕事始めの20日には問題のド日陰は林道に雪はなく、すっかり乾いて驚いた記憶がある。
 例外的な年もあったが、17年間ではほぼ毎年のようにこの場所が関門になって、ここで車を捨てて3,4キロの山道を歩いたというのにだ。

 この独り言、時には入笠や牧場と関係のないことを呟くと以前から断ってある。冬ごもりの最中であれ、世の中のことは目や耳に入ってくるし、牧に暮らす日々であっても新聞は届かないが、鹿やアナグマを真似て人間社会との関りを断つことはできない。ウクライナへも行くし、パレスチナへも行けば、時にはボイジャーが孤独な飛行を続ける宇宙へも行く。今は20万年前のアフリカにいるし、それこそ「後期高齢者 その日その時」である。
 
 年を取っても、いろいろな欲求はある。酒、美味い物、好奇心、恥ずかしながらご婦人に対してもだ。好感を持つ女性もいれば、そうでない人もいる。ただし、金銭、物的要求は枯れた。
 ありふれた後期高齢者が、と言えばありふれた人がどう思うか分からないが、山と里での暮らしの折々に好き勝手に呟くことで、それだけのことに過ぎない。

 先日、部活動の顧問をする教師らが、自分の生活や家庭生活を犠牲にすることが多く、組合を組織して改善を進めていこうとする様子が報じられていた。医は仁術ではないし、教師も聖職だとは思わないが、どうもこういう合理的(?)な考え方をする教師が増えたような気がする。
 学校登山に専門の案内人を付けようとするのも、依頼された案内人は責任を押し付けられても困ると言ってるが、これも学校側や教師らの責任回避のための保険のようなものではないのか。少なくも、そう解されることに忸怩たる思いはないのかと問いたい。
 本日はこの辺で。
 

 
 
 
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     '24年「春」(2)

2024年02月20日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 昨日は雨、そしてきょうはまずまずの天気になると思っていたら、曇天が空を覆っている。ただし気温は高い。雨後の水分を含んだ雪は重くなり、さらに気温が上がれば融雪雪崩の発生する確率はより高くなる。入笠はどうだろうか。ここにいて想像する限り、雪はそれほど積もっているような気がしない。
 
 まだ半月ほど先だが、3月の第1週の週末は例年通り上に行くつもりでいる。そう思って、1年前はどんな様子だったかとこの呟きを聞いてみれば、呆れ返ったことに、寝過ごしたとかなんとか言って行ってなかった。
 すっかり忘れていたが、昨春は東京へ行き、帰ってきて間もなかったこともあったのだろう。その後には、牧場が始まる前に、雪掻きや撮影の打ち合わせなどのために3、4回ほど行ったとある。

 昨年の早い春・・・、あれからたった1年の間に、思いがけないことが幾つも続いて起こった。
 昨年2月、友人Sada君に彼の会社の集まりで講演を頼まれ、大方の反対、心配を無視して強行し、やはり失敗した。気合を入れるため、事前に飲んだアルコールのせいだと弁明したが駄目だった。
 その後、その講演を案じて東京から駆け付けてくれたFMZ君を中心に友情耽溺の日々が続き、「福島村騒動記」ともいうべき騒ぎに発展した。
 そのFMZ君の車で上京し、都では悲喜こもごもを経験し、帰ってきた。

 4月、牧場が始まる前にSada君夫婦、TDS君を加えて4名で、大切な「大日本湯渡党」の活動として万座温泉に1泊で出掛けた。同じく11月にも、また4名で今度は2泊3日で福島、栃木へも足を延ばしている。

 今春も、「福島村騒動」は起こす予定だが、しかし、その中にFMZ君とSada君の姿はもうない。このたった1年の間に、二人とも次々と世を去ってしまったのだ。こんなことが本当に起きるものかと、あまりのことに愕然とし、うろたえた。年齢は二人とも同じで、2歳年下だった。
 
 昨年から今年にかけては訃報の多い年で、まずOZWさん、いやその前にM君がいた。この二人とも親しく付き合ったが、この何年かは会っていなかった。それが悲しみの緩衝材に少しはなったかと言えば、そうかも知れない。二人とも同年齢で、後期高齢者になったばかりだった。その後も友人、知人、親戚を含めると何人になったのだろう。
 OZWさんの奥さんは、思い出を携えて入笠まで来てくれた。
 
 日常から消えた人たち、入笠から消えた人たち、遠くで去った人たち、近くで去った人たち、その都度に帰らざる日々を惜しみ、喪失感を深めた。
 本日はこの辺で。

 
 
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     ’24年「春」(1)

2024年02月19日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

       ハバキ当て付近のクヌギの林を振り返って
 
 近頃は散歩にも出掛けず、終日家の中にこもったまま過ごしている。相変わらず睡眠は9時間を超える日が多く、入浴も湯治気分で複数回入っている。

 土曜日のDue Euthanasia、これは日本語にしにくい。二人安楽死、連れ添い安楽死、同伴型安楽死、心中型安楽死・・・、いっそデュオ安楽死ではどうか。ともかくこれについては、あれだけで済ますつもりはなかったが、ことがことだけに迂闊なことは言わぬほうがいいという声もどこかから聞こえてきた。
 
 もう半世紀以上前に読んだ文庫本、確かツルゲーネフだったと思うが、自殺について、生から死への過程で肉体的苦痛を伴わなければ、人はもっと自死を選ぶだろうと書いてあった記憶がある。そうだろうな、というより、当然だと思った。
 そこで「安楽」な死ということになる。長年連れ添った者同士が、重篤な病の進行により次第に人格崩壊する。それを避け、その前に充分に現状を考え、理解し、手を取り合って死ぬ、結構で幸福な最期と言えるではないか。
 
 そもそも自死について法令がいかように定めても、する時はする。それでもこの安楽死の場合には第三者、医師の手を借りるため必要な要件がある。例えば、二人どちらもが望み、同意していること。それを一人づつ別々に別の医師が確認する。回復の見込みのない病に二人とも罹っていること、苦痛の回避も大事な要件である。
 こうした他国の制度、先例を、高齢化社会を迎え、宗教的縛りの比較的少ないわが国の国民が、よく検討し、研究してみることは必要だと思う。
 
 500円の保険料値上げがどうしたこうしたと国会で論争するのもいいが、終末医療、それに費やさねばならない膨大な費用の観点からも、目をつむっていてはいけないと思う。もちろん、どんな状態であっても、生きたいと願う人の気持ちを尊重することが大前提、ではあるが。
 
 アメリカでは10州以上が安楽死を認めているし、スイスもそれができる。ベルギーもそうだ。さらにそれを一歩進めて、オランダのような安楽死(Due Euthanasia)の方法すらも実行されるようになった。当然、こんな終末への向かい方は誰でもがとはいかぬも、世界に拡大していくだろう。個人にとって生きるか死ぬかについては、最も根源的なそれぞれの権利である、と言って反論する人がいるだろうか

 生に尊厳があれば、死にも尊厳がある。穏やかな終局を誰もが迎えたいと思っている。
 本日はこの辺で。きょうから題名を「春」にしました。

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