入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’24年「冬」(31)

2024年02月06日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 あの程度の雪でも、東京は交通網に大きな影響が出たようだ。あれが雪で済んだからまだ良かった。もしも案じられている直下型の大地震にでも襲われた日には一体どうなるのか、夥しい数の住宅や、林のように蝟集する高層ビルを写した映像を眺めながら思ったものだ。
 中でも、限られた人にしか手の出せない高層住宅は、狭い東京の空をさらに狭くしているようだが、砂上の楼閣にならねばいいがと思う。首都移転の話も、今では横に押しやられたというよりか、話題にもしない政治家たち。

 雪はこの辺りでも15センチほど積もり、今も大分残っている。昨日は早朝6時からの除雪作業に遅れてはいけないと5時前から起きていた。小学生の通学路の確保のためで、それにしてもいつごろからこういう事が行われるようになったのだろう。
 子供を大切にすることはいいことだが、同時に、あの程度の雪で通学できなくなるというのはいかがなものかと、少々首をかしげたくなる。それに、雪掻きに出る人たちの中には80歳近く、いやそれを超えた人もいる。むしろ、この人たちの方が心配になる。

 また遠い昔の話をしてしまうが、われわれのころは県道の交通量も少なく、車をよけて歩く他なく、専用の通学路などなかった。長靴に穴が開けば藁を詰め、それでも元気に通ったものだ。
 あの頃の寒さは今の比ではなく、多分入笠並み、いや、そこまでは行かなくとも芝平くらいと言ったら間違いないだろう。何しろ、毎朝6時から校庭でスケートができた時代だ。今では考えられない。
 家に帰れば、それから裏山に行き橇遊びや、近くの田圃や水路でスケートをした。戸外で遊ぶことは今よりかもっとたくさんあったと思う。

 だから何か言いたいというわけではないし、そもそも今の子供たちのことも知らずに軽々にいってはいけないが、それでもどうだろう。やはり、70年近く前の、戦後も10年経つか経たないころ、あの頃に少年時代を過ごせて良かったと思っている。
 教室のダルマストーブに使える石炭は専用バケツ6分目、それが燃え尽きれば後は足踏みをして寒さに耐えた。あかぎれ、しもやけなど当たり前、授業が終われば用務員室に行って、五右衛門が釜ゆでにされたような大釜から、煮えたぎる熱湯を片腕を戦争で負傷した用務員のSさんから貰い、それに水を入れて温度を調整し、掃除をした。よく絞らないと、濡れた床はたちまち凍った。
 1クラス50人近かくいて、確か机は二人用、男女で座った。意地悪なM子さんが隣で、消しゴムを貸すのを嫌がったのを覚えている。教師のH先生はゲンコツの雨を降らしたが、それでも皆が懐いた。

 年に一度あるかないかの雪掻きが、また古き昔を思い出させてくれた。今週末上に行くかを明日までに決める。かんとさん、通信ありがとう、是非続けなはれ。本日はこの辺で。
 
 
 
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     ’24年「冬」(30)

2024年02月06日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 昨日、健康の秘訣などは分からないと呟いた。そもそも健康であるかも、よく分からない。前々回の更新時に運転免許証が「眼鏡使用」でなくなり、電線が二重に見えなくなったことは確かであるから、かつて緑内障を誤診された目は良くなっていると思う。この時は他にも誤診が重なり、以後この病院だけでなく、他の病院でも人間ドックへ行く気をなくした。もう10年以上が経つ。
 
 友人の中には連れ合いに先立たれたら後妻を貰うと言う者もいる。そんなことを今さらしなくも、男寡(やもめ)の身を甘受しろと言ってるが、恐らく食事、掃除、洗濯を気にするのだろう。しかし、そんなもの、今はかなりのことを機械がやってくれる。取り扱い説明書は読まないから充分に活用しているとは言えないが、最新式の洗濯機でなんとか洗濯もこなしている。
 配偶者がいたころは、家のことに関しては何もしなかった。させて貰えなかった。他のこともそうだが、それだけ信用がなかったのだろう。

 食べることは栄養も大事、味も大事だと思っている。栄養ばかり気にしていては味に対する創意工夫がおろそかになり、料理する張り合い、楽しみがなくなる。
 しかし、こういう清貧独居禁欲の味わいを分からない人は、気の毒だが後妻を貰って、食後の後片付けでもして相手の機嫌を取り、尻にひかれるのもやむを得ないかも知れない。
 問題は、一人だからといって買う時にアジの干物1枚、ブリの切り身一切れという訳にはいかない。さりとて、同じものを2度3度と食べた日には折角の料理が泣くに決まっている。しかし、解決策は、我慢するしかない。

 昨夜の主菜は前から考えていたブリの照り焼きオレ風、「オレ風」と言うのが大事、ミソ。しかしそれよりか、今は亡き丸元先生の教えを守り、出汁に使った昆布を冷凍しておき、ある程度の量になったら少量の醤油と酢で作る佃煮、これを強調しておきたい。
 これはチマチマしているとは思わないし、栄養を食べている気がする。ビールや酒にも合う。先生の料理、栄養に関する考えの一端も窺われよう。
 それにしても時々思う、肉であれ魚であれ野菜であれ、よくこんな物を食べて生きているものだと。もっとも、牛は草だけでも、あれだけの肉の塊を維持することができる。
 代謝の力、生命の不思議、よくできている。食べる、消化する、排泄する、これにおいては貴人も民草も、はたまた麗人も媼も皆同じ。
 
 昨日、はしなくも気分は60代半ばだと呟いたが、10年も昔にそんな時は仮借なく過ぎていった。これから10年先があるか否かは不明だが、過去、未来、その間にパラフィンの被膜のような薄い「今」があって、時が流れる。

 今朝は6時から小学生の通学路の除雪のため出動。
 本日はこの辺で。

 

 



 
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     24年「冬」(29)

2024年02月05日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 多分日曜日の深夜から朝にかけてだろう、雪が降った。水分の多い雪だったらしく、昼近くには日陰を残して屋根の上や庭も大概の雪は融けてしまった。それでもこんなスッキリとしない天気は火曜日まで続くようで、雪の予報も出ている。

 あと1ヶ月したら76歳になる。とんでもない年齢だと改めて思うが、気分はまだそんな歳とは思っていない。図々しいがせいぜいが60代半ばぐらい、日ごろ考えていることや行動も、ほぼそのくらいで止まっているような気がする。
 昨年、今年と、すでに親しかった友人や知人が鬼籍に入り、それほどのんびりと構えてもいられなくなったのだが、まだ、今生からおさらばする日がいつやって来てもおかしくない、といった気分ではない。
 
 以前にも呟いた通り、身体の不調は血圧と尿酸値が高いくらいで、健康診断は久しく受けていないが血液検査は3ヶ月に1回くらい受けていて、その上で知るのが今言った2件ほどの好ましからざる体調である。しかしこれにも実感はなく、根性で下げようとした血圧も今は月に1回医師の診断を受ける時に測定するだけで、家では測ったことがない。日に3粒服用する薬をもっぱら信頼している。

 みんなが面白がるように「長生きするゼェ」と言ってくれるが、それも他人事のように聞いている。そうかも知れないし、そうではないかも知れない。
 思うに、健康については殆ど頓着してないが、美味い物を食べたいという欲求は強く、滅多にしか外食をしないということが今の元気と関係しているような気がしている。
 作る楽しみ、食べる楽しみである。決して上等な食材を使おうとしたり、豪華な料理を作ろうとしているわけではない。ただし、南半球で獲れた鮭を買ったり、隣国の野菜などを食材として使うことはしないと決めている。



 3年間一度も黒字にならなかった店をやっていた時も、食材や料理の味に関しては誠意をもってやっていた。今はそれを自分だけにやっている。
 写真のように料理のノート「QUISINE(料理)」には「Based on Nutrition(栄養学に基き)」などと健気なことが書いてある。丸元先生の影響である。ただし、先生の教えをすべて受け入れては味に難ありで、営業にならない場合もあるから、そこは忠実な生徒たらんとはしなかった。
 ともかく、自分で作る、それを賞味する、嫌いな物は食べない、これだけである。これが健康の秘訣かどうか、本当は分からない。(続く)
 本日はこの辺で。 
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     24年「冬」(28)

2024年02月03日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 寒い。今朝も寒い。どんよりとした灰色の空、それでも経ヶ岳の山頂は見えている。室内の温度もストーブの設定温度までなかなか上がらずもどかしい。カーテンを閉めれば少しは保温効果が上がるのだろうが、外の様子も見ていたいので、恥ずかしながらエアコンの応援まで求めたりしている。
 
 庭の餌鉢には鳥が来て、その声がしていた。行って見ると、リンゴは皮だけになっていた。近くに鳥の気配がしたので、また四つ切にしたのを持っていってやる。今は姿も見えず声もしないが、そのうちにまた来るだろう。

 滅多に読まない小説、それも作者が女性の本を読んでいる。飲み屋の主から貸してもらったのだが、酔っぱらっていてその辺りのいきさつはよく覚えていない。友人の親しくしている人だ。文庫本でも600頁くらいある。題名は「類」著者は朝井まかて、初めて知る名前だ。
 普段、飲み屋になどへは行かないのだが、この時は親しい友人に誘われて、いつになく大酌した。どうしても外で飲むとこうなる。

 小説と言っても、主人公はよく知られた森鴎外の子息で、その「類」という人のことは知らなかったが、姉や妹の名前は知っていたし、本を読んだこともあった。
 これがいつも読んでいるような内容の本だったら、時々息抜きが必要になるが、小説の内容、書きぶりは好みではなくも、どんどんと読んでいける。鈍行列車から窓外を眺めるというよりか、急行列車か特急からのそれだろう。ということは、面白いという小説の要件は満たしているということか。

 こんな冬の一日、先程の譬えで言えば、鈍行列車は変わり映えのしない景色の中を過ぎていく。時に途中下車してみたくなり、時に路線を変えてみたくなるがそれを思い留まり、一日の大方を自動運転に任せ、貰い過ぎた時間を何に活用するというわけではなく過ごしていくのだ。
 昼近くになって風も止んだようだ。ストーブは風呂に入っている間に自動的に消えていた。エアコンもそれに気付いて切ったが寒くない。
 
 それから自動運転化した時間はちゃんと運行を続けて、いつの間にか太陽が稗蔵の屋根の向こうへ落ちていこうとしている。もう、散歩に出る気は失せたが、こうしていても空虚な気がしてこない。これから迎える空白にも同調できそうだ。(2月2日記)
 
 本日はこの辺で。あすは沈黙します。
 
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     24年「冬」(27)

2024年02月02日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 夢はよく見る。ただし多くは目が覚めればもう覚えていない。そして妙な時にその断片を思い出す。
 
 昨夜は珍しくその内容を引きずりながら目が覚め、まだかなり鮮明に覚えている。場所は入笠牧場だったが、後から思い出せば実際の風景とは大分違っていた。それでも追い上げ坂もあれば第2牧区も第1牧区もあることはあった。
 場面は多数の牛が脱柵し、あっちにもこっちにも牛の群れが勝手放題に散らばって手の施しようのない状態であり、その上、第1牧区には幾人もの不審者が侵入していた。
 
 牧守としてはこの牛の脱柵と、放牧地への闖入者が一番厄介な問題であり、それを夢の中でも手を焼かされるとあれば、脳のどこかにこの面倒な件はいつもこびりついているのだろうか。
 どちらの件も解決しないまま夢から覚めた。ただその前に、数人の招かざる者にはよく話し、脱柵した牛を牧区内へ追い戻すために協力を求めたところで映像がぼやけ、消えた。 
 夢から覚めた後も、まだ片足は夢の中にいてその対策を思案し続け、もう片足が現(うつつ)に戻った自分から、夢だと気付かされてようやく安堵した。



 これは鳥寄せ用の餌鉢、のつもり。米類では駄目だったのが、一昨日にリンゴにしたらやって来るようになった。こちらはスズメを待っているのだが、多分椋鳥だろう。そのうちには、米粒をあさりに、もっと鳴き声の上手な他の野鳥も来て欲しいと期待している。

 猟友会のAさんから電話が来て、最近入笠へ行ってるかと聞かれた。それで30日に焼き合わせまで行ったばかりだと話し、道路や山の様子などを伝えておいた。
 どうも、シカの姿がめっきり減ったと言うので、それには同意した。とにかく昨年の年末から殆どその姿を見ない。そっくりどこかへ行ってしまったという人もいるが、そこまでは思わないものの、近年では珍しい。牧守としては朗報であるも、それを全て良しとは考えない。
 
 鉄砲撃ちにすれば、相手にするならクマ、獲物にするなら肉の旨いイノシシで、牧守がもっとも手を焼く鹿はその次だろう。
 今冬はフトノの辺りで4頭もクマを捕ったというから、あの山域ではいなくなるかも知れない。1頭は半矢(仕留め損ない)だとか言っていたが、それも気になる。
 よく話題になったた西山のクマの話も近頃ではとんと耳にしなくなったくらいで、野生動物の生息状況はかなり急速に変化し、しかも危ういのではないか。
 猟期も今月の15日には終わる。まだ狩猟の成果を詳しく聞いてはいないがクマであれ鹿であれ、いなくなればそれでいいとは思わない。
 本日はこの辺で。
 
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