入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’24年「冬」(36)

2024年02月13日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 1泊2日の短い入笠行のことを思い出している。行かなければならないような格別な用事があったわけではないのはいつものことながら、毎冬の行事なっているから止めるわけにはいかない。2泊を1泊にしたのは、登山口が工事中で、邪魔をしたり面倒を避けるためには、日曜日の確実に作業をやってない日に下りた方がいいと考えたからだ。
 
 山椒小屋跡から林道へ出て、途中、いつものように1,2度蛇行を繰り返す道を無視して、緩やかな林の中に登路を求めた。再び林道へ出たら、先行者の足跡が往復どちらか一方になっていた。御所が池に下る所まで来て、足跡は池に続いていたから、減っていた理由がそれで分かった。往路か復路かそこまでは確認しなかったが、池を経由したのだろう。


 
 御所平峠に着くと、その足跡は高座岩へと向かっていた。道中考えたが、もしかすればこの登山者は日帰りだったかも知れず、だとすれば、体力も気力もそれなりにある若い人だっただろう。少なくも、70を半分以上も過ぎた者ではなかったに違いない。
 峠には牧場を通ってきた別の登山者のスノーシューズの足跡があった。これも単独のようだった。いつものようにお師匠の地蔵尊に頭を下げ、写真を1枚撮った。
 小黒川の林道へ下ったら、テイ沢方面からの足跡がないのは意外に思えた。好天の3連休を当て込んだ登山者が当然いるものと決めていたが、そこまで足を延ばした人はいなかったようだ。

 ゴンドラを利用し、入笠山の山頂から360度の眺望を楽しむだけでも充分に訪れる価値がある。特に眼前の広大な裾を引く八ヶ岳、あの眺めは格別だ。恐らく山頂が目的なら、道は踏み固められているから、ワカンやスノーシューズがなくても大丈夫だろう。
 いや、雪の入笠山に登ったことは多分2度位しかないと思うから、いい加減なことは言わない方がいい。現状がどうなっているか分からないし、考えてみたら、昨年はすっかり無沙汰を決めてしまって、山頂には登っていない。

 小屋の近くの集水場で、氷よりも冷たい水を一杯飲んだ。厳冬期でもこうして水を使えるようになったのはいつの冬からだったろう。10年以上前のことになるが、この水源の確保と維持には、忘れることのできない苦労をした。
 ほとばしり出る透明な水、長い年月を地中で濾過され、磨かれ、ようやくにして地表に出てきた。体内に入る物の中では最も純なものだと思って、尊いものを飲むように飲んだ。
 本日は今辺で。

 

 
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     24年「冬」(35)

2024年02月12日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 明日の今ごろは上か、と思って上に来て、上に来たと思えばまた、明日は里かと・・・。
 よく知っているつもりでも雪道の3時間、平らな道を歩いたわけではないし、歩いているその間は短かったわけではない。単調な尾根筋を、ひたすら登って来ることに専念したはずだ。
 小屋に着き、しばらくはその入り口に椅子を出し、昨日もそこにいたような錯覚をしながらビールを飲む。その後、スノーシューズの踵を固定するバンドが切れたのを修理した以外は、ここにも無為な時間が流れ、そういう時間を求めてきたつもりだったが、呆気なかった。

 

 幸い、スノーシューズのバンドが切れたのは御所平峠を下りかけた時で、右足の方だった。もう、長い登りはなかったから、サンダルをつっかけるようにして下れば何とかなった。
 
 以前、スノーシューズなどないころは、ツボ足が当たり前であった。Kさんと初めて法華道を登った時だって登りも下りもツボ足で、おまけに、下りでは道を失い2キロも下方に降りてしまった。
 初めての冬山は阿弥陀の南鐐だったと思うが、その時も、アイゼンの世話にはなったが、ワカンは使ってない。夕暮れの中を3人で、立場川の川床を帰ってきた写真なら、多分まだあるはずだ。

 もう、現役ではないから、できるだけ楽をして歩く。冬山の過酷さなど、今更知らなくてもいい。ただ、登攀の、登山の、あの濃縮された時間を思い出すには、やはり身体を使って雪道を歩いてみないと、とは思う。
 日が昇ってきた。今朝7時45分の気温は零下12度。(2月10,11記)

 里に帰って、さて登行中に考えた諸々を思い出そうとするのだが、衣服に付いていた雪のように融けてしまったのか、見事なくらいに消えてしまった。いや、もともと山を歩いていて考えたことなど、そんなもので今回に限ったことではない。
 
 帰路は素晴らしい天気に恵まれ、登山道を離れ、以前に脱柵した牛を探して歩き回った森の中を通ってきた。そんなことをして、応急処置で済ませたスノーシューズが外れはしないかという不安と、気儘な森の中の雪中行の楽しさとを交互に抱き、味わった。
 雪は充分な浮力があり、そこかしこに残る動物たちの足跡にも後れを取らずに歩けたような気がして、大分気分を良くした。ただ、鹿は足跡だけで、その姿を目にすることはなかった。
 本日はこの辺で。
  
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     ’24年「冬」(34)

2024年02月10日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

        開田から眺めた今朝の仙丈ガ岳
 
 上に行くのだからしっかり眠るつもりだった。ところが目が覚めたら午前2時、それからどれくらい夢と現の境を彷徨っていたのか分からないが、再び眠ったらしい。わずかの時間と思って時計を見ると、午前6時だった。予定では出発する時間だったがやむを得ず、急いで支度をした。
 家を出たのが7時少し前、寝不足というわけではないはずだが、いまひとつ気合が入らない。雪道を歩くより、ずっと車を運転していたい気持ちを抱え、法華道の登り口に着いたのが1時間後の7時50分、登り出したのは8時を若干回っていたと思う。

 意外なことに、古道には登山者の足跡があった。登りの足跡はそうでもなかったが、下りの足跡は昨日と思ってもおかしくないほど新しく、しかもツボ足だった。
 これまでの18年間、法華道を誰かの踏み跡を辿ったことはなかった。記憶にない。ようやく古道法華道も、少しは人に知られるようになったのだろうか。
 北原のお師匠亡き後は、「法華道を守る会」の会長は名刹「遠照寺の」松井住職が担ってくれている。
 
 自分の意志というよりか、自動運転に近いような気分で登っていく。「龍立つ場」、「門祉屋敷」、「爺婆の石」と過ぎて「厩の平」の手前で、足跡はツボ足からスノーシューズに変わっていた。お蔭で登路は未舗装と舗装路ほどの違いになった。この辺りはクヌギの木が多くて、クマさんも秋にはドングリの実を目当てに出没しそうに思うが、そういう話は耳にしない。
 いつものように、「はばき当て」で休憩にした。時計を見ると1時間30分ほどで、早くもなければ遅くもないといったところか。

 実は、今回はここまでの所要時間を気にしていた。もしもいつもよりかあまり時間を喰うようなら、それは体力が衰えた証拠である。よく色々な人から、75歳はその境目だと聞いていたから、それをまさに身に沁みて知らされる機会になるかも知れぬと構えてきた。
 とは言え、もしも悪い結果がでたとしても、これは加齢から来ることだからどうするわけにもいかない。諦めるしかない。西洋のご婦人のようにいくら厚化粧しても、カツラを被っても、てんてんてん、それと変わりない。
 幸い、それほど体力の衰えは認められないと自己診断を下した。そのせいか、ぬるめのレモンティーでも美味かった。

「はばき当て」からはようやく自動運転を止めた。時間のことは気にせずに、1年ぶりの雪の古道を楽しむ気になった。道中いろいろ考えたことは、もし明日まで覚えていたら呟くことに。

 赤羽さんいいことをやってますね。相変わらずバイクですか。三頭山は奥多摩で初めての山でしたが、かつてロープウエイがあったとは知りませんでした。検索して、見ました。昨日URLを載せたピアノコンサートも是非見ておいてください。
 本日はこの辺で。



 
 
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     ’24年「冬」(33)

2024年02月09日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 明日の今ごろは雪の古道を歩いているのだろうか。荷物は極力持たず、羽毛服と若干の食料だけにしておくつもりだが、ビールがまだ上に残っているかどうか気になる。確か、2,3本は残してきたつもりだが、用心のため少し担ぎ上げた方がいいだろう。
 
 以前は荷物に決まって煙草が加わった。嵩張るし、濡れないようにするため、長い山行ではその扱いに工夫が要った。今では煙草の値段は上がるばかりだし、喫煙者は肩身の狭い思いをしなければならない。さぞかし気苦労もあるだろうと思っている。
 煙草を吸い出したのは高校の1年くらいだったから早かった方だ。しかし、30代の半ばでは止めた。その後、40代と50代に短い間ながら少し吸った。
 こんなことを考えたこともなかったが、煙草を吸っていたのはわが人生の中では意外と短く、せいぜいが20年かそこらだろう。
 
 山をやって良かったことといえばいろいろあるが、禁煙を決断したことは中でも大きい。周囲の友人たちも殆どが禁煙している。いまだに止められず口から紫煙を吐いている人たちを見ると気の毒に思うほどだ。
「オレは酒が飲めないから」なんて言ってごまかしているのもいるが、酒も飲まず、煙草も吸わない者はいくらでもいる。まぁ、気分を落ち着かせたり和らげる効果はどちらにもあり、そのうちのひとつぐらいはということだろう。分からぬでもない。
 
 しかし、防衛費を増やすために、たばこ税を上げようとする安易な策には賛成しない。今でも喫煙者からしっかりと税をふんだくっているではないか。弱い者いじめのようなことはしなさんな。もっとしかるべき所があるし、しかるべき人たちがたくさんいるだろうに。

 禁煙ができるのだから禁酒もできるだろう、といわれれば肯うにやぶさかではない。前から呟いているように、できる自信はある。しかし、煙草とは違い今現在、そうする必要を感じてない。
 最近、身体にはあまりよくない日本酒は止めて、焼酎に切り替えようとしたが、これはすぐに断念した。やはり徳利から盃につぐ、あの行為、あの気分は捨てがたく、焼酎には、どうも日本酒のような情緒がないような気がする。
 日本酒の空瓶がますます増えることになるが、それでも一日を閉じる大切な行事だから仕方ない。


 上記のURLは昨年7月当牧場で開催されたピアノコンサートの動画です。是非、ご覧ください。
 本日はこの辺で。

 

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     ’24年「冬」(32)

2024年02月08日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 昨日の続きになるが、今と比べてあの時代の何が良かったのか考えてみた。貧しかったことは事実だったが、それでも全体の雰囲気がおおらかで、今より窮屈ではなかったと思う。父兄が教師と対等、いやそれ以上の態度で学校側に苦情など言ったりしたのだろうか。
 今はやってはいけないことが教える側にも、教えられる側にも多過ぎる。不登校になる子供が出ても不思議ではない。
 
 よく問題になる鉄拳制裁をしたからといって、あるいはしなかったからといって、それが子供にどれほどの悪しき影響を及ぼすのか。無論、無い方がいいが、それで教育者の首が飛ぶなどと言うことは行き過ぎだろう。
 飲酒運転と、生徒への性的暴行は庇いようがないが、情状の余地のある問題については全力で教師を守る、と言った気概のある校長もいたことを知っている。
 
 宗教法人を所管する役所、そこの一番偉い人が起こした問題については、その本人にも呆れるが、任命した総理大臣は相も変わらず塩気も熱もない言葉を音に出しただけ、それで終わらせようとする。教育行政のみならず、社会までおかしくしてしまったと、なぜ国民に詫びないのか。
 高校球児さえ不祥事を起こした場合、そんな必要は全くないと思うけれど、「汗と涙で戦ってきた」甲子園出場を辞退しているというのにだ。

 もう止める。懐かしい時代を思い出しているうちに今の世の中が、段々と冷えた、塩気のない料理にでもなるような気がして、つい脱線した。
 
 今朝も良く晴れて、雪は表面が凍っている。もし土曜日もこういう状態なら、スノーシューズは潜らず、快適に進むだろう。
 森閑とした雪の古道、一息付ける厩の平の辺りではあれだけ雪が降ったのだから、その上にきっと、ウサギや鹿たちの奔放に立ち回る足跡をたくさん目にするに違いない。山椒小屋跡から先の落葉松の林の中は雰囲気はいいが、早く林道へ出ようとして気の急く登りが続く所でもある。
 御所が池へ下る手前、毎冬、雪の重みでたわんで、道を塞ぐ厄介なツルとコナシの木は、昨年のうちに伐ってあって問題はない。御所平峠のオタマジャクシの池から先の短い旧道は、やはりクマササを刈って歩けるようにしておいた。そっちを選んで行ってみてもいい。
 ウーン、呼ばれているぞ。
 本日はこの辺で。

 
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