岐阜/医大生が指導する明光義塾長良教室&芥見教室

医大生が個別指導する全国でも珍しい塾が明光義塾長良地区、芥見地区に登場。山県市、美濃市、関市からも通塾されています

★書き続けることに夢を見る

2021年10月17日 18時00分24秒 | 学習塾

★小説を書くという他者性

 今日は2週間ぶりにお休みを致しました。明日からまた2週間休みなしです。今月は2日間しか休めませんでしたがその間色々なことが起こり落ち着きのない日々でした。今朝は例によって喫茶店でお茶をして昼から関市の刃物祭りを見に行きました。かなりの人が出ていましたが係員が検温や手洗いを薦めていました。それでも人混みは凄く会場は混雑していました。私は友人と一緒でしたがどうも気が進まずそこそこに切り上げて帰ってきました。これでは落ち着いたところで中学生の日帰り修学旅行などがありますが何処も多くの人が出ているのではないでしょうか。第6波は来て欲しくありませんが心構えをする必要があります。私は今週病院に行きますがインフルエンザの注射もその時打つ予定になっています。
 寒さが一段と厳しくなるようですのでご注意ください。

 さて、本日は「小説を書く他者性」という少し難しいタイトルで話を進めていきます。お陰様でAmazon、楽天から電子書籍で「ワインと檸檬」が発売になりました。単行本はAmazonから発売になりますが現在調整中のようです。少し中身を読むことが出来ますのでネタバレしますがお話をしますと概ね以下のようになります。

 大学卒業直前まで主人公の近藤萌美と青山誠は同居をし結婚の手前でした。萌美は四国の出身で新進気鋭の美術界の期待の星でしたが大学祭の時に白川郷の油彩を誠が偶然にも見て涙したことから二人は知り合うことになります。しかし二人の共通の友人に高橋と瑞菜という裕福な女性が絡み話は意外な展開になります。萌美は高橋たちの計画に騙され結局誠と別れて彩夏を実家で産み育てることになる。一方誠は計画的に別れさせられたことも知らず瑞菜と一緒になるがその子供翔太が生まれ彩夏と翔太は何時しか恋人となり結婚まで約束をする中となった。その時彩夏は翔太の家で「ワインと檸檬」の絵がかけられていることで同じものが二つあることを知り不審に思う。
 この物語は萌美の同級生でルポライターが存在するが視点として各noteを纏めて進展していくスタイルを取っている。此処に他者性を感じるのだが「何故、萌美は結婚することが規定の事実であったのに誠に妊娠を告げなかったのか」その事実が次第に明るみになっては来るが非常に裏切りや死、血縁の問題が多くのしかかってくる。話の最初は曹洞宗瑞応寺の彩夏と翔太の別れから始まる。その後誠は四国の萌美の実家まで迎えに行くが彩夏に自分の体の中に同じ血が流れているのかと思うと悔しいと激しく誠を罵倒するが後日翔太は死を選択し自分自身を清算してしまう。
 葬儀が終わった後翔太は実は誠の子ではないことが瑞菜の言葉から話され二人は別れることになる。ここで萌美と誠が一緒になるはずであったがそのように歯車は回らず話は二転三転と変化していく。時系列と共に話のテンポは速くガンガンと状況変化に追い打ちをかけていく。全ては「ワインと檸檬」の絵が知っているのだ。

 私が今までこの作品を三年間かけて練って練りまくり完成させた作品です。初めてエンターテインメントの作品を書いてみました。前回の「午後3時50分僕たちは鉄橋を走った」の作品が発表すると同時に長編を出すということで話が出来ていましたので今回改めて出す機会を得ることが出来ました。元はと言いますと学生運動を横目に高校時代から受験勉強もそこそこに小説ばかり書いていました。私はペンネームは槍沢新太郎という名で社会人になって瀬戸内文学に在籍している間までそのペンネームを使用していました。今でも槍沢新太郎で検索していただければ私の作品が出てくるはずです。小松伸六先生が文学界同人誌評をされていましたが私の作品「明日の流行」という原稿50枚の作品を称賛していただきました。先生には「中間小説のツボを心得た面白い作品」と評していただきましたが私は純文学を目指していましたので結局それが逆に筆を折る結果になりました。当時の文芸春秋の編集者の方からも直接お電話を頂き小松先生の伝言も頂きましたが若気の至りで何時しか小説の世界から離れ転勤族になっていました。

 槍沢新太郎は石川啄木の小説「二筋の血」の主人公の名前です。高校時代は小説の前に短歌の世界に入り毎日単語を覚えるように三十一文字を覚えていました。しかし、大学に入る前国語の先生と非常に話が合い結局日本文学に傾注していくようになりました。外国小説は読まなかったです。それは日本が「戦争に負けた」ということが一つの事実として非常に外人コンプレックスになったのだと思います。今はあまり意識はしませんが当時はもう森鴎外や谷崎潤一郎、夏目漱石など兎に角読みました。朝まで読んで昼は授業では昼寝、遅れたらお休みという生活でした。私の母親はかなり正直優秀で総代を務めた人でしたのですが家庭的な問題や貧乏なために進学をあきらめたそうです。私の小学時代でも学校の先生は埼玉県の草加市からよく見えていたことを覚えています。父親も先生と意気投合しお酒を飲んでいた姿を思い浮かべますが母親は私が高校一年の1月に交通事故で亡くなりました。42歳でした。それまである程度優秀?だった私が変貌していくのです。母親の楽しみは私が六大学のWに行くことばかり考えていましたし私も合格基準はありましたのでかなり今でいう教育熱心な母親でした。父親は住友化学に努めていましたので経済的には恵まれていたのでしょうか。習い事は今では当たり前でそう不思議ではありませんが当時としてはかなり珍しい方でした。しかし、亡くなってからは成績は野球部も辞めて時間はたっぷりありましたが勉強はしなくなりました。当然成績は糸を引くように下がり順位もどうでもいいやという風なところまで落ちていました。学校から帰宅して夜中の12時ごろまで寝てそれから深夜放送を聞きながら朝まで勉強というのが生活でした。勉強というよりも正確的には読書、創作時間帯という方が合っていたかもしれません。大学受験は夏休みから必死になって挽回に勤めました。国語、日本史、英語の三科目でしたので殆んど英語をしていました。お陰で国語、日本史は大丈夫でしたが英語の足きりが60点でしたのでそこをクリアできれば問題はなかったのですがどうも最終的に引っかかったようです。何故なら合格点は楽にクリアしていたのですから。

 私の大学受験は失敗し母親の期待していた大学には行けませんでした。野球部も成績が下がると言って母親が直談判で結局退部しましたが先ほどの様な流れの中で私は他者性に脅えていたのです。受験少し前に父親が再婚することになり私は逃げるように家を出ました。このことは次の作品「グッドバイ・FURUSATO」という自叙伝で告白するようになっています。非常に波乱万丈な人生かもしれませんが今こういう職業に於いて他者性を小説の中でしか解決が出来ない悲しさのようなものがあります。私は社会人になって転勤18回の猛者でした。そのお陰と言っては何ですが体を壊し今の仕事を始めて22年になりました。もう第三の人生は小説家になるしかありませんし第一資金がかからないのですから一番です。世の中の流れはどのようになっていくのでしょうか。新自由主義というまるで我儘のような格差社会や勝ち組、負け組などのブッシュ政権からの大きな世界の潮流は今や中道左派に変わろうとしているのでしょうか。衆議院の選挙が始まりましたが私は自分の一票を大事にしたいと思っています。

 思うままに新しい作品「ワインと檸檬」の概要とその書かせた他者性について書いてみました。暇な折りお読み頂ければれば幸いです。
 最後に現在の教室の状況応募についてご紹介しておきます。
<長良教室>https://www.meikogijuku.jp/school/gifu/gifu-shi/S1527/

<芥見教室>https://www.meikogijuku.jp/school/gifu/gifu-shi/S1280/

<今日の言葉>
「黄昏の砂浜は歩きづらいが、振り返ると波うちぎわに自分の足跡が・・・・自分だけの足跡が・・・・一つ一つ残っている。アスファルトの道は歩きよいが、そこに足跡など残りはしない」
            遠藤周作「ただいま浪人」

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<詳細>
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長良教室 058-210-1730
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