陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

116.花谷正陸軍中将(6) 花谷師団長は鬼よりこわい。河村、斉藤の鬼がいる

2008年06月13日 | 花谷正陸軍中将
 つまり「ハ」号作戦は、インパール進撃のための牽制作戦であった。この「ハ」号作戦に実施したのが第五十五師団であり、その師団長が花谷正陸軍中将であった。

 花谷中将は昭和18年11月に古閑師団長に代わり、第五十五師団長に着任した。花谷中将を迎えたのはビルマ方面軍の片倉衷高級参謀が工作したと言われている。

 「陰謀・暗殺・軍刀、一外交官の回想」(岩波新書)によると、著者の森島守人は当時奉天総領事代理であった。彼は次のように回想している。

 「板垣征四郎大佐を筆頭に、石原莞爾中佐、花谷少佐、片倉大尉のコンビが、関東軍を支配していたので、本庄関東軍司令官や三宅光治参謀長はまったく一介のロボットに過ぎなかった」

 「本庄司令官の与えた確約が後に至って取り消されることはあっても、一大尉片倉の一言は関東軍の確定的意志として必ず実行されたのが、当時の関東軍の姿であった」

 このように花谷と片倉は満州事変当時から行動を共にして、関東軍中枢で軍を動かしていた。このころから花谷中将の強烈な意志力と個性はは際立っていたといわれている。

 「戦死」(文春文庫)によると、スインズエユウの包囲戦に敗れて、第五十五師団は「ハ」号作戦の第二段作戦に入った。

 アラカン地区にいる日本兵は、花谷師団長のことを赤鬼といった。そのうち変な節回しの歌が広まった。「花谷師団長は鬼よりこわい。河村、斉藤の鬼がいる」

 河村参謀長、斉藤高級参謀の鬼よりこわい、というのだ。花谷師団長は師団司令部の上層将校を殴り飛ばしたが、殴られなかったのは河村、斉藤の二人だけといわれた。

 しかし、斉藤高級参謀は殴られなかっただけで、師団長からは、ふたこと目には「貴様は専科参謀だから、だめだ」といじめられた。

 専科参謀というのは、日華事変が始まってから、多数の現地参謀が必要となり、陸軍大学校で短期に教育して参謀を養成した。

 専科参謀は陸軍大学校の正規の教育課程を終えた参謀とは区別された。専科参謀を花谷師団長が軽蔑したのは、陸大出を誇る優秀者意識のためだった。

 斉藤高級参謀だけでなく、他の将校に対しても「貴様は無天だから、だめだ」「大学校を出ておらんやつは話しにならん」などと怒鳴った。

 正規の陸軍大学校卒業を表す徽章は、その形が似ていることから「天保銭」と呼んで、それを持たない、一般将校のことを「無天」と称した。花谷師団長は天保銭組以外は同等に相手にする資格はないとみていた。

 師団司令部で一番多く殴られたのは高級副官の栗田中佐だった。役目柄、師団長の前に行くことが多かった。その時、三度に一度は殴られた。