東條陸軍大臣は船舶増徴について「政府の考えは、先程次長に示した通り。それ以上の要求に応ずることはできない」と言った。
田中作戦部長は「いや、政府とおっしゃるが、参謀本部はこの問題を政府と折衝しているのではありません。陸軍省と交渉しているのです。総理でない陸軍大臣としての東條閣下の良識に訴えているのです」と言った。
すると東條陸軍大臣は「陸軍省も政府も意見は、同じである」と答えた。
田中作戦部長は「そうはいきません。陸軍大臣としては、総理とは別個の軍政的立場がある筈です。第一、統帥部長を交えた連絡会議が、なぜ開かれなかったのです。その配慮は、陸軍省でやるのが恒例です」と言った。
さらに「大体船舶の割り当ては、閣議だけでは決定できない、統帥部長を加えた連絡会議で、決定することに決まっているのです。それ程船舶問題が重視されているのです。然るに次長に申し渡した閣下の数字は、連絡会議にかかっていない。なぜこのような異例を強行されるのです」と続けて述べた。
ところが、東條陸軍大臣は「参謀総長はよく承知している」と言った。
田中作戦部長はこれを聞いて「なんだ、杉山元参謀総長(陸士一二・陸大二二)も譲歩していたのか。俺はそれならとんだ道化役を演じているのではないか」と思ったが、にわかに信じられなかった。
そこで田中作戦部長は「それは違いましょう。お示しの船舶ではガ島作戦は遂行できないと総長も認めているのです。今夕もそのことで、総長の意見をきいてきたのです」と反論した。
すると東條陸軍大臣は「船舶不足というが、これ以上出しては、政府としては、物資動員の保証ができなくなる。戦争指導全体が、破綻するかも知れん。自分は陸軍大臣として、ガ島は恢復の作戦に同意したにはしたが、船舶量にも制限を付けておいたはずだ。現在のように予定外に、多くの船が消耗しては、作戦上の要求だとて、到底賄いきれるものではない」と答えた。
これに対し田中作戦部長は「なるほど船舶の消耗については申し訳はない。しかしなぜこんなに消耗したか、また、今後の見透しがどうなるか、などについては、既に陸軍省へは、詳細に説明しておいたのですから、よくご承知のことと思います。今の閣下のお言葉には納得できません。次官閣下からか、ご報告をお受けにならなかったのですか」と反論した。田中作戦部長はかなり激してきた。
東條陸軍大臣は「いや、そんなことは知らん」と答えた。
田中作戦部長は「それはおかしい。次官閣下には、その都度よく説明してあるのです。次官閣下そうじゃないですか」と木村次官に矛先を向けた。
木村次官は沈黙を守った。その表情は無責任な太々しさだった。
田中作戦部長は、「陸軍大臣はご承知無いという。それは兼摂大臣だから無理もないが、次官が全責任を負うか、そうでないにしても重大なことはよく大臣に報告しておいてくれなければ駄目じゃないか。それで戦時の陸軍省をあずかり陸軍次官ですか」と言いながら、こんなことでは戦争はとってもやっていけないぞ、という激情が奔騰してきた。
ついに田中作戦部長は「馬鹿者ども!」と叫んで、東條陸軍大臣らを罵倒した。
すると東條陸軍大臣は、「何をいいますか」と、スックと立ち上がって、「本職の部下に対して、彼是批判することは許さん」と低い声ながら、叱咤するように言った。
田中作戦部長も立ち上がって、「批判は自由です」と、応酬した。売り言葉に買い言葉の様相だった。
この時、「言葉がすぎるぞ」と、たしなめるように田中作戦部長と士官学校同期の富永人事局長が言った。
木村次官も立ち上がり、「もっと冷静になれ」と平素に似合わぬ大声で叫んだ。
田中作戦部長は答えた。「いや私は冷静です」。
やがて三人とも、自然に着席した。だが、座は全く白けてしまった。
田中作戦部長は、最後だと思い、もう一度最初の作戦、戦略の問題を取り上げて東條陸軍大臣に迫った。だが東條陸軍大臣は「いや再考の余地はない」と拒否した。
田中作戦部長は「それなら再研究だけでも命じてください」と言った。東條陸軍大臣は「それ程に言うなら、再研究だけを命じよう」と答えた。
田中作戦部長は先ほど来の無礼を詫びて、論争を打ち切った。「船はとれるぞ、だが俺の参謀本部勤めもこれで終わったな」と思いながら、参謀総長の官邸に車を走らせた。
翌日の十二月七日早朝、参謀本部作戦部長室に、富永人事局長が田中作戦部長を訪ねてきた。
富永人事局長は、東條陸軍大臣の意向を伝えに来たのだった。田中作戦部長と陸軍士官学校同期の富永人事局長は、腹を割って話し始めた。
田中作戦部長は「いや、政府とおっしゃるが、参謀本部はこの問題を政府と折衝しているのではありません。陸軍省と交渉しているのです。総理でない陸軍大臣としての東條閣下の良識に訴えているのです」と言った。
すると東條陸軍大臣は「陸軍省も政府も意見は、同じである」と答えた。
田中作戦部長は「そうはいきません。陸軍大臣としては、総理とは別個の軍政的立場がある筈です。第一、統帥部長を交えた連絡会議が、なぜ開かれなかったのです。その配慮は、陸軍省でやるのが恒例です」と言った。
さらに「大体船舶の割り当ては、閣議だけでは決定できない、統帥部長を加えた連絡会議で、決定することに決まっているのです。それ程船舶問題が重視されているのです。然るに次長に申し渡した閣下の数字は、連絡会議にかかっていない。なぜこのような異例を強行されるのです」と続けて述べた。
ところが、東條陸軍大臣は「参謀総長はよく承知している」と言った。
田中作戦部長はこれを聞いて「なんだ、杉山元参謀総長(陸士一二・陸大二二)も譲歩していたのか。俺はそれならとんだ道化役を演じているのではないか」と思ったが、にわかに信じられなかった。
そこで田中作戦部長は「それは違いましょう。お示しの船舶ではガ島作戦は遂行できないと総長も認めているのです。今夕もそのことで、総長の意見をきいてきたのです」と反論した。
すると東條陸軍大臣は「船舶不足というが、これ以上出しては、政府としては、物資動員の保証ができなくなる。戦争指導全体が、破綻するかも知れん。自分は陸軍大臣として、ガ島は恢復の作戦に同意したにはしたが、船舶量にも制限を付けておいたはずだ。現在のように予定外に、多くの船が消耗しては、作戦上の要求だとて、到底賄いきれるものではない」と答えた。
これに対し田中作戦部長は「なるほど船舶の消耗については申し訳はない。しかしなぜこんなに消耗したか、また、今後の見透しがどうなるか、などについては、既に陸軍省へは、詳細に説明しておいたのですから、よくご承知のことと思います。今の閣下のお言葉には納得できません。次官閣下からか、ご報告をお受けにならなかったのですか」と反論した。田中作戦部長はかなり激してきた。
東條陸軍大臣は「いや、そんなことは知らん」と答えた。
田中作戦部長は「それはおかしい。次官閣下には、その都度よく説明してあるのです。次官閣下そうじゃないですか」と木村次官に矛先を向けた。
木村次官は沈黙を守った。その表情は無責任な太々しさだった。
田中作戦部長は、「陸軍大臣はご承知無いという。それは兼摂大臣だから無理もないが、次官が全責任を負うか、そうでないにしても重大なことはよく大臣に報告しておいてくれなければ駄目じゃないか。それで戦時の陸軍省をあずかり陸軍次官ですか」と言いながら、こんなことでは戦争はとってもやっていけないぞ、という激情が奔騰してきた。
ついに田中作戦部長は「馬鹿者ども!」と叫んで、東條陸軍大臣らを罵倒した。
すると東條陸軍大臣は、「何をいいますか」と、スックと立ち上がって、「本職の部下に対して、彼是批判することは許さん」と低い声ながら、叱咤するように言った。
田中作戦部長も立ち上がって、「批判は自由です」と、応酬した。売り言葉に買い言葉の様相だった。
この時、「言葉がすぎるぞ」と、たしなめるように田中作戦部長と士官学校同期の富永人事局長が言った。
木村次官も立ち上がり、「もっと冷静になれ」と平素に似合わぬ大声で叫んだ。
田中作戦部長は答えた。「いや私は冷静です」。
やがて三人とも、自然に着席した。だが、座は全く白けてしまった。
田中作戦部長は、最後だと思い、もう一度最初の作戦、戦略の問題を取り上げて東條陸軍大臣に迫った。だが東條陸軍大臣は「いや再考の余地はない」と拒否した。
田中作戦部長は「それなら再研究だけでも命じてください」と言った。東條陸軍大臣は「それ程に言うなら、再研究だけを命じよう」と答えた。
田中作戦部長は先ほど来の無礼を詫びて、論争を打ち切った。「船はとれるぞ、だが俺の参謀本部勤めもこれで終わったな」と思いながら、参謀総長の官邸に車を走らせた。
翌日の十二月七日早朝、参謀本部作戦部長室に、富永人事局長が田中作戦部長を訪ねてきた。
富永人事局長は、東條陸軍大臣の意向を伝えに来たのだった。田中作戦部長と陸軍士官学校同期の富永人事局長は、腹を割って話し始めた。