東京では、今村中尉の姉の夫であり、東京連隊の大隊長をやっている武田正助少佐(陸士八)の家に止宿した。早速板垣中尉の下宿を訪ね、翌日から陸軍士官学校で各教官から実物について教育を受けた。
また、義兄の武田少佐が、「いま、参謀本部で服務している梅津美治郎大尉(陸士一五・陸大二三首席)は、三月前まで、わしの大隊の中隊長だった人だ。去年、首席で陸大を卒業、人格も立派な人だ。君が上京してきたら『戦術の指導をしてくれないか』と依頼してみた。気持ちよく引き受けてくれた……」などと今村中尉に語った。
今村中尉は戦術を教わる人がいなかったので、渡りに船とばかり、梅津大尉のところに通い、毎晩二時間ほど、梅津大尉の質問に答え、間違っている点を指摘してもらい教えてもらった。
梅津大尉のところに通い始めて八日目のとき、梅津大尉は今村中尉に次の様に言った。
「もう二、三日で試験になるが、君はきっと、入れると思う。もう誰からも教えられんでよい。むしろ頭をやすめるほうがよかろう」。
大正元年十二月二日から十日間にわたり、陸軍大学校で口頭試験が行われた。百二十名の受験者(大部分が中尉)が、十二名ずつの十個班に区分され、各班一日一、二科目の試問をやられる。
一科目につき、一人平均三、四十分があてられ、戦術は五名、その他の科目は、二、三名の大学校教官が試問官となり、逐次一人ずつを受験室に呼びいれて試問する。
今村中尉は第九日目までの各科目はたいてい答えられ、当惑したりまごついたりすることはなくてすんだ。
いよいよ最後の十日目を今村中尉は迎えた。科目は「人物考査」となっている。陸大幹事・鈴木壮六少将(陸士一・陸大一二)と、先任兵学教官・吉岡顕作中佐(陸士七・陸大一六首席)の二人が、この科目の試験官だった。
今村中尉は第一班の最新参者として、最後の十二人目に当たっており、この日も午後四時近くに試験室に呼び入れられた。
今村中尉が試験官に敬礼の上、官氏名を述べると、鈴木少将が問いかけた。
鈴木少将「今村中尉は、連隊でどういう職務を勤めたか」
今村中尉「中隊一年八ヶ月、連隊旗手二年、教育係一年」
鈴木少将「貴官は陸軍大学校に規定されている、受験者資格を承知しているか」
今村中尉「身体壮健。執務精励。志操が堅く、隊附勤務二年以上で、将来発達の見込みあるもの」
鈴木少将「貴官の実質的隊附勤務は、一年八ヶ月に過ぎない。二年以上の隊附とはいえない」
今村中尉「連隊旗手の職も、隊附勤務であります」
鈴木少将「大学校が二年以上の隊附勤務と規定している精神を、どう考える」
今村中尉「軍隊の実情に通じ、部下を指揮する能力を持つ者を、めあてにしているものと考えます」
鈴木少将「その通りだ。だから貴官は、実質的には、まだ受験資格を備えていない。もう一年、中隊附勤務を勉強した上で、来年やってこい。なお、今後の受験のため参考に聞いておくが、今年の秋季演習には参加したか」
今村中尉「参加いたしておりません」
鈴木少将「病気でもしていたのか」
今村中尉「試験準備のため、早めに上京したいと思い、残留勤務を願い出て許されました」
鈴木少将「試験準備のため参加しなかったのか。秋季演習は、軍隊一年間の訓練の総しめくくりだ。大学受験は、命令によるものではあるが、半分は私的の志望によるものだ。私欲のために、もっとも大切な公務をないがしろにして、それで貴官が口にした受験資格中の勤務精励といい得るか。それに受験者仲間の他の将校が、労苦の大きい秋季演習をやっているのをよそにし、自分ひとりだけが、隊に残留して試験の準備をする。唾棄すべき卑劣な行為、軍人として許し得ない利己思想だ。さっきは、来年また受験しに来いといったが、精神を修養し、悪いところが改善されない限り、貴官はこの学校の入学試験を受けることが許されない。退場!」
大声で怒鳴られた今村中尉は困惑して、十二月だというのに、冷や汗が背にも額にも流れ出し、なんとか弁解しておきたいと思ったが、頭がぼっとし、何も言えずにもだえた。
吉岡中佐が「退場というのに、どうして退場しないのか」と立ち上がって大喝した。
今村中尉は、われにかえって敬礼し、室を出たには出たが、眼がぐらぐらまわり、はしご段の手すりに、腕をたくしながら下におりた。
また、義兄の武田少佐が、「いま、参謀本部で服務している梅津美治郎大尉(陸士一五・陸大二三首席)は、三月前まで、わしの大隊の中隊長だった人だ。去年、首席で陸大を卒業、人格も立派な人だ。君が上京してきたら『戦術の指導をしてくれないか』と依頼してみた。気持ちよく引き受けてくれた……」などと今村中尉に語った。
今村中尉は戦術を教わる人がいなかったので、渡りに船とばかり、梅津大尉のところに通い、毎晩二時間ほど、梅津大尉の質問に答え、間違っている点を指摘してもらい教えてもらった。
梅津大尉のところに通い始めて八日目のとき、梅津大尉は今村中尉に次の様に言った。
「もう二、三日で試験になるが、君はきっと、入れると思う。もう誰からも教えられんでよい。むしろ頭をやすめるほうがよかろう」。
大正元年十二月二日から十日間にわたり、陸軍大学校で口頭試験が行われた。百二十名の受験者(大部分が中尉)が、十二名ずつの十個班に区分され、各班一日一、二科目の試問をやられる。
一科目につき、一人平均三、四十分があてられ、戦術は五名、その他の科目は、二、三名の大学校教官が試問官となり、逐次一人ずつを受験室に呼びいれて試問する。
今村中尉は第九日目までの各科目はたいてい答えられ、当惑したりまごついたりすることはなくてすんだ。
いよいよ最後の十日目を今村中尉は迎えた。科目は「人物考査」となっている。陸大幹事・鈴木壮六少将(陸士一・陸大一二)と、先任兵学教官・吉岡顕作中佐(陸士七・陸大一六首席)の二人が、この科目の試験官だった。
今村中尉は第一班の最新参者として、最後の十二人目に当たっており、この日も午後四時近くに試験室に呼び入れられた。
今村中尉が試験官に敬礼の上、官氏名を述べると、鈴木少将が問いかけた。
鈴木少将「今村中尉は、連隊でどういう職務を勤めたか」
今村中尉「中隊一年八ヶ月、連隊旗手二年、教育係一年」
鈴木少将「貴官は陸軍大学校に規定されている、受験者資格を承知しているか」
今村中尉「身体壮健。執務精励。志操が堅く、隊附勤務二年以上で、将来発達の見込みあるもの」
鈴木少将「貴官の実質的隊附勤務は、一年八ヶ月に過ぎない。二年以上の隊附とはいえない」
今村中尉「連隊旗手の職も、隊附勤務であります」
鈴木少将「大学校が二年以上の隊附勤務と規定している精神を、どう考える」
今村中尉「軍隊の実情に通じ、部下を指揮する能力を持つ者を、めあてにしているものと考えます」
鈴木少将「その通りだ。だから貴官は、実質的には、まだ受験資格を備えていない。もう一年、中隊附勤務を勉強した上で、来年やってこい。なお、今後の受験のため参考に聞いておくが、今年の秋季演習には参加したか」
今村中尉「参加いたしておりません」
鈴木少将「病気でもしていたのか」
今村中尉「試験準備のため、早めに上京したいと思い、残留勤務を願い出て許されました」
鈴木少将「試験準備のため参加しなかったのか。秋季演習は、軍隊一年間の訓練の総しめくくりだ。大学受験は、命令によるものではあるが、半分は私的の志望によるものだ。私欲のために、もっとも大切な公務をないがしろにして、それで貴官が口にした受験資格中の勤務精励といい得るか。それに受験者仲間の他の将校が、労苦の大きい秋季演習をやっているのをよそにし、自分ひとりだけが、隊に残留して試験の準備をする。唾棄すべき卑劣な行為、軍人として許し得ない利己思想だ。さっきは、来年また受験しに来いといったが、精神を修養し、悪いところが改善されない限り、貴官はこの学校の入学試験を受けることが許されない。退場!」
大声で怒鳴られた今村中尉は困惑して、十二月だというのに、冷や汗が背にも額にも流れ出し、なんとか弁解しておきたいと思ったが、頭がぼっとし、何も言えずにもだえた。
吉岡中佐が「退場というのに、どうして退場しないのか」と立ち上がって大喝した。
今村中尉は、われにかえって敬礼し、室を出たには出たが、眼がぐらぐらまわり、はしご段の手すりに、腕をたくしながら下におりた。