陸軍大学校で口頭試験を終えて、青山から新宿までの電車内で今村中尉の心はひどく乱れた。秋季演習不参加が公務不精励であり利己的行為であったことは、一言も弁解しようがない。
その夜、義兄と姉がこもごも慰めてくれた。二人に今村中尉は次の様に言った。
「今日という今日は、実に大きい苦痛の打撃を心に加えられました。よく考えますと、これは天が私を罰したものです」
「私が親でもあるような、河内連隊長の恩寵に溺れ、兵隊練成に生涯を捧げなければならない転職を忘れ、一身の栄達にも関係を持つ陸大入学などを志した邪念を、天は憎まれたものでありましょう」
「もう陸大のことはいっさい頭から払いのけて、懸命に練兵に精進するつもりです」。
入校式直前の十二月十二日、受験者の合格、不合格が陸軍大学校で申し渡された。受験者百二十名は大講堂内に集合が命ぜられた。
やがて校長・大井元成中将(陸士旧六・陸大四)、幹事・鈴木壮六少将をはじめ、試験官だった教官約四十名が正面に立ち並んだ。
大井校長が受験者一同に対し訓示を行い、最後に次の様に付け加えた。
「最後に一言付け加えておく。近年隊附青年将校が、多くこの大学に入校を志すことは、このましいところだが、これがために隊務の精励を欠く者を生じては、国軍を害することになる」
「かような者は、当校は、断じて入校を容認しない。諸官はこの点に就き、自らを戒めると同時に、よく隊附青年将校を教え、その道をあやまらしめないようにせられたい」。
今村中尉は、またも自分は「卑劣な利己思想者」の烙印をあてられたと思った。校長の訓示が終わると斎藤泰治学校副官(陸士一三)が口を切った。
「唯今より呼名されるものは、講堂のこちら側、呼ばれない者は、反対の側に集合せよ」。斎藤副官は名簿を開き呼名し始めた。
板垣征四郎中尉(陸士一六)の名も、山下奉文中尉(陸士一八)の名も読み上げられた。今村中尉は、この方の者が合格者であることはまちがいない。今村均中尉(陸士一九)の名は呼ばれなかった。
やがて斎藤副官は「さきほど呼名された六十名は、遺憾ながら不合格。唯今より階下の経理室に行き、旅費を受領の上、各自の所属隊に帰還されよ」と告げた。
今村中尉は全く自分の耳を疑った。けれども自分の左右にいる、呼ばれなかった人々が、そのまま動かずにいるので、「変だな。変だな」と心はつぶやきつづけた。
やがて、同時ご入校の北白川宮成久王殿下を迎え、新入生六十一名に対し入校式が行われた。式が終わり、新宿の義兄の家に帰ると、姉がすぐ言葉をかけた。「どうだった。いけなかった?」。
「なんのことか、さっぱりわからん。鈴木幹事と吉岡教官もおる前で、合格者の中に入れられた」と今村中尉は答えた。
陸軍大学校入校の日から十四年後、今村均中尉は参謀本部の参謀少佐になっていた。
当時の参謀総長・鈴木壮六大将に、今村均少佐は随行し演習視察のため東京から名古屋まで、一等車で長時間雑談をした。
そのとき、今村少佐は鈴木大将に「もう十数年以前のことで、お忘れになっていると思いますが、私は中尉で、陸大の再審口述試験を受けましたとき、直接閣下から人物考査をされております」と言った。
鈴木大将は「あれはわしの主張で、あの年初めてやったことだし、間もなく自分は旅団長になり、大学校を出てしまい、あの考査は自分としては一ぺんやっただけだった」と答えた。
そこで今村少佐は鈴木大将に次の様に言った。
「私は幹事であった閣下から『連隊旗手の職は、実質的には隊附勤務とはいえない』と言われましたことは、今でも納得されず、立派な隊附勤務だったと信じております」
「しかし、『秋季演習に加わらず、兵営に残留して、受験準備をしたことは、隊務不精励であり、卑劣な利己行為で、そんなことをやった者は、断じて、入校させることはできない』と、強く叱られましたことには、一言の弁解もできず、恐れ入ってしまいました」
「あんなにはっきり『受験の資格が無い』と、宣告されました私を、どうして入校せしめていただいたのか、今に不思議に思われてなりません」。
すると鈴木大将は今村少佐に次の様に答えた。
「あの自分は、悪い風があり、再審の前には、受験者は秋季演習に出ないことが、本人も連隊長も、当たり前のように考え、事実、あの年の受験者のほとんどが、そうしていた。それで受験のため隊務をおろそかにする弊風を矯める意味で、多くの者に、同じような質問を発してみた」
「君の場合は、あの時の態度が特にみにくかったので、それで覚えている。副官部では毎晩遅くまでかかり、全試験官の採点紙をまとめ、各受験者の成績が翌日の朝にはわかるように集計したものを、校長と幹事には見せていた」
「吉岡教官がそれを見ながら『今度入ってくる者は合格になります。少し手厳しく試して見ましょう』と、言っているところに、君がやって来た。それでああ試問してみた」
「ところがわしに『受験資格を持っていない』と言われた時、君は顔色をまっさおにし、今にも倒れそうになってしまった。君が退場したあとで、わしが『吉岡君!今村中尉は、まだ年も気持ちも若すぎる。もっと精神を鍛えさせた上で、入れるほうが本人のためにもよかあないか』と言うてみた」
「ところが吉岡教官は、自分がわしに『手厳しくやれ』と言った手前上、慈悲心を起こし『入れておいて、よく教えることにしましょう』と、とりなした。それで入れることにしたのだ」。
その夜、義兄と姉がこもごも慰めてくれた。二人に今村中尉は次の様に言った。
「今日という今日は、実に大きい苦痛の打撃を心に加えられました。よく考えますと、これは天が私を罰したものです」
「私が親でもあるような、河内連隊長の恩寵に溺れ、兵隊練成に生涯を捧げなければならない転職を忘れ、一身の栄達にも関係を持つ陸大入学などを志した邪念を、天は憎まれたものでありましょう」
「もう陸大のことはいっさい頭から払いのけて、懸命に練兵に精進するつもりです」。
入校式直前の十二月十二日、受験者の合格、不合格が陸軍大学校で申し渡された。受験者百二十名は大講堂内に集合が命ぜられた。
やがて校長・大井元成中将(陸士旧六・陸大四)、幹事・鈴木壮六少将をはじめ、試験官だった教官約四十名が正面に立ち並んだ。
大井校長が受験者一同に対し訓示を行い、最後に次の様に付け加えた。
「最後に一言付け加えておく。近年隊附青年将校が、多くこの大学に入校を志すことは、このましいところだが、これがために隊務の精励を欠く者を生じては、国軍を害することになる」
「かような者は、当校は、断じて入校を容認しない。諸官はこの点に就き、自らを戒めると同時に、よく隊附青年将校を教え、その道をあやまらしめないようにせられたい」。
今村中尉は、またも自分は「卑劣な利己思想者」の烙印をあてられたと思った。校長の訓示が終わると斎藤泰治学校副官(陸士一三)が口を切った。
「唯今より呼名されるものは、講堂のこちら側、呼ばれない者は、反対の側に集合せよ」。斎藤副官は名簿を開き呼名し始めた。
板垣征四郎中尉(陸士一六)の名も、山下奉文中尉(陸士一八)の名も読み上げられた。今村中尉は、この方の者が合格者であることはまちがいない。今村均中尉(陸士一九)の名は呼ばれなかった。
やがて斎藤副官は「さきほど呼名された六十名は、遺憾ながら不合格。唯今より階下の経理室に行き、旅費を受領の上、各自の所属隊に帰還されよ」と告げた。
今村中尉は全く自分の耳を疑った。けれども自分の左右にいる、呼ばれなかった人々が、そのまま動かずにいるので、「変だな。変だな」と心はつぶやきつづけた。
やがて、同時ご入校の北白川宮成久王殿下を迎え、新入生六十一名に対し入校式が行われた。式が終わり、新宿の義兄の家に帰ると、姉がすぐ言葉をかけた。「どうだった。いけなかった?」。
「なんのことか、さっぱりわからん。鈴木幹事と吉岡教官もおる前で、合格者の中に入れられた」と今村中尉は答えた。
陸軍大学校入校の日から十四年後、今村均中尉は参謀本部の参謀少佐になっていた。
当時の参謀総長・鈴木壮六大将に、今村均少佐は随行し演習視察のため東京から名古屋まで、一等車で長時間雑談をした。
そのとき、今村少佐は鈴木大将に「もう十数年以前のことで、お忘れになっていると思いますが、私は中尉で、陸大の再審口述試験を受けましたとき、直接閣下から人物考査をされております」と言った。
鈴木大将は「あれはわしの主張で、あの年初めてやったことだし、間もなく自分は旅団長になり、大学校を出てしまい、あの考査は自分としては一ぺんやっただけだった」と答えた。
そこで今村少佐は鈴木大将に次の様に言った。
「私は幹事であった閣下から『連隊旗手の職は、実質的には隊附勤務とはいえない』と言われましたことは、今でも納得されず、立派な隊附勤務だったと信じております」
「しかし、『秋季演習に加わらず、兵営に残留して、受験準備をしたことは、隊務不精励であり、卑劣な利己行為で、そんなことをやった者は、断じて、入校させることはできない』と、強く叱られましたことには、一言の弁解もできず、恐れ入ってしまいました」
「あんなにはっきり『受験の資格が無い』と、宣告されました私を、どうして入校せしめていただいたのか、今に不思議に思われてなりません」。
すると鈴木大将は今村少佐に次の様に答えた。
「あの自分は、悪い風があり、再審の前には、受験者は秋季演習に出ないことが、本人も連隊長も、当たり前のように考え、事実、あの年の受験者のほとんどが、そうしていた。それで受験のため隊務をおろそかにする弊風を矯める意味で、多くの者に、同じような質問を発してみた」
「君の場合は、あの時の態度が特にみにくかったので、それで覚えている。副官部では毎晩遅くまでかかり、全試験官の採点紙をまとめ、各受験者の成績が翌日の朝にはわかるように集計したものを、校長と幹事には見せていた」
「吉岡教官がそれを見ながら『今度入ってくる者は合格になります。少し手厳しく試して見ましょう』と、言っているところに、君がやって来た。それでああ試問してみた」
「ところがわしに『受験資格を持っていない』と言われた時、君は顔色をまっさおにし、今にも倒れそうになってしまった。君が退場したあとで、わしが『吉岡君!今村中尉は、まだ年も気持ちも若すぎる。もっと精神を鍛えさせた上で、入れるほうが本人のためにもよかあないか』と言うてみた」
「ところが吉岡教官は、自分がわしに『手厳しくやれ』と言った手前上、慈悲心を起こし『入れておいて、よく教えることにしましょう』と、とりなした。それで入れることにしたのだ」。