大正七年には長男、和男が生まれ、今村大尉(大正六年に進級)は子供に深い愛情を注いだが、夫婦の間は元のままであった。今村大尉は「私の心もまた寂しさに包まれていた」と記している。
「日本人の自伝・今村均」(今村均・平凡社)によると、今村中尉が陸軍省軍務局歩兵課勤務になった大正五年八月当時の陸軍大臣は大島健一中将(陸士旧四)、軍務局長は奈良武次少将(陸士旧一一・陸大一三)だった。
歩兵課というのは、軍務局五課の一つで、歩兵に関する一切の事務、全軍の徴集、動員、召集、憲兵、軍隊内務、それに在郷軍人にかかわる事務をやるところだ。
着任まもなく歩兵課長・奥平俊蔵大佐(陸士七・陸大一六)は、今村中尉に奈良軍務局長から次の様に言われたと述べた。
「この春の師団長会議の時、師団長の多くから、各軍隊の中、少尉数の不足により、内務令規定の、中隊ごとに週番士官を設けることが困難になったので、改正して欲しいとの意見が出された。今村中尉(大尉職務心得になっていた)は中隊長をやってきているから、隊の実情に応じ、どう処置したらよいかを考案させ、その他各師団から出されている、内務改善の意見をもとにして、必要な修正を加えることにし、一ヶ月以内に改正案を出させたまえ」。
奥平課長は「以上のように言われた。それで、二週間以内に内務令中、一部分の改正歩兵課案を印刷の上、関係課局に廻し、賛否の意見をまとめるようにしたまえ」と今村中尉に命じた。
今村中尉は軍隊内務徹底主義の某連隊長の下で、つくづく行き過ぎの内務主義矯正の必要を、痛感したことがあり、大きな意気込みで、奥平課長に次の様にただしてみた。
「各師団からの改正意見は、ずいぶん多く出されております。この際は、一部改正ではなく、根本改正を企てたらよいと思います」。
すると奥平課長は次の様に言った。
「いや、局長の気持ちは、中隊の週番勤務制度を改める機会に、軍隊が困っている点を修正する一部改正だ。君は中央部に入ったばかりで、まだ空気がよくわかるまい」
「今の内務令を作り上げた中心の人は、参謀次長の田中義一閣下なのだ。この大権威者が、中央に頑張っておられる間は、根本改正なんか、思いもよらない。焦眉の急所だけの改正を考え給え」。
今村中尉は失望を感じた。だが、各師団の意見を検討してみて、それに今村中尉自身の考えも織りまぜて改正案を作り、奥平課長以下課員七名の同意を得て印刷し、陸軍省内の関係局課に配布して、意見を求めた。
中央のお役所仕事の中に入り、今村中尉がいかにも不快に感じた点は、他人や他課の作った案には、何か文句をつけなければ、沽券にかかわるかのような心構えの一言居士が実に多いことと、外形整備にこだわり、軍隊将兵の不便を考えない者の少なくないことだった。
まる一週間、関係課局にお百度を踏み、やっとまがりなりにも、軍隊内務令一部改正案が出来上がり、奥平課長同席で奈良軍務局長に報告したところ、承認されたので、その案を、教育総監部と参謀本部とに廻送し、連帯承認を求めた。
教育総監部からは、二、三日で同意を回答してきたが、参謀本部は一週間たっても返事をしてこない。だんだんかけあってみると、下のほうは皆同意しているが、参謀次長・田中義一中将(陸士旧八・陸大八)のところで引っかかっていることがわかった。
田中参謀次長の専属副官・坪井善明大尉(陸士一四)は、常識の整った親切な人格者。この人に電話して、早く見てもらうように依頼したところ、そのためか翌日の午前、参謀次長室に呼びつけられた。
参謀次長室に入った今村中尉は「軍隊内務令の一部改正を起案いたしました、歩兵課の今村中尉参りました」と申告した。
参謀次長・田中義一中将はじろじろと、今村中尉の顔を見つめて言った。「中尉は、いつ軍務局にやって来たのだ」。
今村中尉が「一ヶ月半前であります」と答えると、「それまで連隊で、何の職務をやっていた」と訊いた。「中隊長をやっておりました」と答えると、田中参謀次長は次の様に言った。
「君の大学卒業のときは、自分も式に参列した。すると中隊長は、一年もやっていない。そんなことでは、隊の実情はわからない。そのような者に内務令改正を起案させたことが、もともと間違いだ。中尉は現行内務令が、どうして作られたか知っているか」
今村中尉は「知っております。多人数の委員会で、閣下を中心として、一年以上の時日をかけ、作られたものであります」と答えた。
すると田中参謀次長は、目をいからせて、次の様に詰問した。
「そんなに大勢の者が周到に研究して作ったものを、たった一人で手をつけ、短時日で案をでっちあげる。不都合じゃ」
「先頃、奥平に会ったとき『何を改正するんだ』と聞いてみたら『中、少尉数が少なくなり、中隊週番勤務が難しくなったので、大隊単位の週番制にすることと、隊が不便がっている点を、いくらか修正しようと思います』と言うから、そんなことならやってもいいと言っておいた」
「こりゃなんじゃ、ほとんど全部にわたり手をつけているじゃないか。これで一部改正をいえるか。どんな考えでこんなことをしたんじゃ」。
「日本人の自伝・今村均」(今村均・平凡社)によると、今村中尉が陸軍省軍務局歩兵課勤務になった大正五年八月当時の陸軍大臣は大島健一中将(陸士旧四)、軍務局長は奈良武次少将(陸士旧一一・陸大一三)だった。
歩兵課というのは、軍務局五課の一つで、歩兵に関する一切の事務、全軍の徴集、動員、召集、憲兵、軍隊内務、それに在郷軍人にかかわる事務をやるところだ。
着任まもなく歩兵課長・奥平俊蔵大佐(陸士七・陸大一六)は、今村中尉に奈良軍務局長から次の様に言われたと述べた。
「この春の師団長会議の時、師団長の多くから、各軍隊の中、少尉数の不足により、内務令規定の、中隊ごとに週番士官を設けることが困難になったので、改正して欲しいとの意見が出された。今村中尉(大尉職務心得になっていた)は中隊長をやってきているから、隊の実情に応じ、どう処置したらよいかを考案させ、その他各師団から出されている、内務改善の意見をもとにして、必要な修正を加えることにし、一ヶ月以内に改正案を出させたまえ」。
奥平課長は「以上のように言われた。それで、二週間以内に内務令中、一部分の改正歩兵課案を印刷の上、関係課局に廻し、賛否の意見をまとめるようにしたまえ」と今村中尉に命じた。
今村中尉は軍隊内務徹底主義の某連隊長の下で、つくづく行き過ぎの内務主義矯正の必要を、痛感したことがあり、大きな意気込みで、奥平課長に次の様にただしてみた。
「各師団からの改正意見は、ずいぶん多く出されております。この際は、一部改正ではなく、根本改正を企てたらよいと思います」。
すると奥平課長は次の様に言った。
「いや、局長の気持ちは、中隊の週番勤務制度を改める機会に、軍隊が困っている点を修正する一部改正だ。君は中央部に入ったばかりで、まだ空気がよくわかるまい」
「今の内務令を作り上げた中心の人は、参謀次長の田中義一閣下なのだ。この大権威者が、中央に頑張っておられる間は、根本改正なんか、思いもよらない。焦眉の急所だけの改正を考え給え」。
今村中尉は失望を感じた。だが、各師団の意見を検討してみて、それに今村中尉自身の考えも織りまぜて改正案を作り、奥平課長以下課員七名の同意を得て印刷し、陸軍省内の関係局課に配布して、意見を求めた。
中央のお役所仕事の中に入り、今村中尉がいかにも不快に感じた点は、他人や他課の作った案には、何か文句をつけなければ、沽券にかかわるかのような心構えの一言居士が実に多いことと、外形整備にこだわり、軍隊将兵の不便を考えない者の少なくないことだった。
まる一週間、関係課局にお百度を踏み、やっとまがりなりにも、軍隊内務令一部改正案が出来上がり、奥平課長同席で奈良軍務局長に報告したところ、承認されたので、その案を、教育総監部と参謀本部とに廻送し、連帯承認を求めた。
教育総監部からは、二、三日で同意を回答してきたが、参謀本部は一週間たっても返事をしてこない。だんだんかけあってみると、下のほうは皆同意しているが、参謀次長・田中義一中将(陸士旧八・陸大八)のところで引っかかっていることがわかった。
田中参謀次長の専属副官・坪井善明大尉(陸士一四)は、常識の整った親切な人格者。この人に電話して、早く見てもらうように依頼したところ、そのためか翌日の午前、参謀次長室に呼びつけられた。
参謀次長室に入った今村中尉は「軍隊内務令の一部改正を起案いたしました、歩兵課の今村中尉参りました」と申告した。
参謀次長・田中義一中将はじろじろと、今村中尉の顔を見つめて言った。「中尉は、いつ軍務局にやって来たのだ」。
今村中尉が「一ヶ月半前であります」と答えると、「それまで連隊で、何の職務をやっていた」と訊いた。「中隊長をやっておりました」と答えると、田中参謀次長は次の様に言った。
「君の大学卒業のときは、自分も式に参列した。すると中隊長は、一年もやっていない。そんなことでは、隊の実情はわからない。そのような者に内務令改正を起案させたことが、もともと間違いだ。中尉は現行内務令が、どうして作られたか知っているか」
今村中尉は「知っております。多人数の委員会で、閣下を中心として、一年以上の時日をかけ、作られたものであります」と答えた。
すると田中参謀次長は、目をいからせて、次の様に詰問した。
「そんなに大勢の者が周到に研究して作ったものを、たった一人で手をつけ、短時日で案をでっちあげる。不都合じゃ」
「先頃、奥平に会ったとき『何を改正するんだ』と聞いてみたら『中、少尉数が少なくなり、中隊週番勤務が難しくなったので、大隊単位の週番制にすることと、隊が不便がっている点を、いくらか修正しようと思います』と言うから、そんなことならやってもいいと言っておいた」
「こりゃなんじゃ、ほとんど全部にわたり手をつけているじゃないか。これで一部改正をいえるか。どんな考えでこんなことをしたんじゃ」。