陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

464.東郷平八郎元帥海軍大将(4)日本ではサーベルよりも、もっと斬れる刀がある

2015年02月13日 | 東郷平八郎元帥
 ウースターは、海軍の息のかかった商船学校で、海軍式の訓練が行われるので、商船学校ではあるが、成績優秀な練習生は、少尉候補生として海軍に採用される制度となっていた。東郷見習士官は、「ぜひ、その練習船に乗組ませてください」とポリネー校長に頼んだ。

 明治六年二月、東郷見習士官は、ウースター商船学校に入学した。練習船ウースターでの毎日は、訓練の繰り返しと、授業の連続だった。授業では、東郷見習士官の得意科目は数学と地理だった。

 ところが、当時、日本は世界での地位は小さく、東洋人といえば、支那人と思い込んでいるイギリス人の練習生たちは、東郷見習士官を取り巻き、「ジョンニー・チャイナマン」とからかって呼び、笑った。

 東郷見習士官は、憤りを押さえ、静かな口調で「支那人ではない。もし俺を侮辱する者があれば、骨をくだいてやる」と言って、片手を振り上げ、空手の構えを見せた。

 イギリスの練習生たちは、東郷見習士官が実際に強いことを知っていたので、その威圧に押されて、散り散りになって逃げた。

 それ以後、彼らは支那人と誰も言わなくなったが、東郷見習士官は、日本という国さえ知らない練習生が大勢いるのには、泣き出したいくらいの悔しさで胸がいっぱいになった。

 幼いころから励んだ示現流の剣術で、敵を倒す機会などは練習船の集団生活の中では起こりえない。だが、その気迫だけは心の奥深くに東郷見習士官は持ち続けていた。

 「今に日本も世界の注視の的になる日がきっと来る。その時に備えねばならない」と、自戒を込めて、東郷見習士官は黙々と訓練に励み、勉学の日々を重ねた。

 英語をほぼ修得していた東郷見習士官は、ウースターでの航海術、ユークリッドの幾何学、アメリカ航海史、海軍砲術、天文学などの英文教科書も徐々に辞書なしで読めるようになった。

 このイギリス留学の間に、東郷見習士官は国際法も学び、国際法も英書で読めるようになっていた。これが後の、豊島沖海戦、「高陞号」事件のときに、役立った。

 海軍砲術、水雷の教科書の中にラムという衝角の戦術が記載されていた。当時の軍艦は、海面下の艦首の角のように尖った部分に鋼鉄を使い、その艦首を敵艦の腹にぶっつけて浸水させ、沈没させる戦術がラムであった。

 授業中、東郷見習士官は、隣の席に座っていた見事な金髪のイギリス人の練習生に、「ラムという戦術を目の前に見たことがある」と話しかけた。

 授業が終わると、その金髪の練習生は、さっそく、「ラムというのは一番勇敢で度胸のいる戦術だが、君は本当に見たのかい」と言った。

 
 早口が苦手な東郷見習士官は、ゆっくりと、単語を思い出しながら英語で次のように話した。

 東郷「敵は相次ぐ暴風雨で主力艦を失い、どうしても艦船が欲しかった。湾内で錨を下ろしていた我が旗艦をめがけて、明け方に敵艦がアメリカの国旗を掲げて侵入してきた」。

 金髪「アメリカ艦だったのか?」。

 東郷「いや、油断させるために掲げて来たのだ。目と鼻の先で突然、アメリカの旗を降ろして、日本の旗に切り替えて突進して来た」。

 金髪「すごいな!」。

 東郷「我が旗艦の腹めがけて衝突した。そして、斬り込み隊が我が旗艦に殺到した」。

 金髪「斬り込み隊がねえ」。

 東郷「日本ではサーベルよりも、もっと斬れる刀がある。額に白い鉢巻をして刀を振りかざして一人一人斬っていく」(示現流で斬る仕草を見せた)。

 金髪「日本人は勇ましい!驚いた!」(びっくりして、眼を丸めた)。

 東郷「突っ込まれた我が旗艦も反撃し、側にいた我が艦も錨を上げて旗艦の側に行き、砲撃を加え、最後は銃撃戦となった」。

 東郷見習士官は、宮古湾に「回天」が侵入し、「甲鉄」を襲ったものの、「甲鉄」を奪い取ることができず、艦橋で無念の戦死を遂げた、甲賀源吾艦長を眼のあたりに思い浮かべた。

 金髪「君の旗艦は腹に穴を開けられ、沈んだのか?」。

 東郷「沈まなかった。港内だったし、水深も深くないうえ、敵艦が突進してくるスピードが少し足りなかった。旗艦は損傷を受けたが、敵の艦長は艦橋で戦死し、我が旗艦を奪取できずに、引き揚げた」。