陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

498.東郷平八郎元帥海軍大将(38)辞職を決心したのなら、なぜ今すぐに辞めないのか

2015年10月09日 | 東郷平八郎元帥
 海相の辞職を条件に東郷元帥を説得することになった。岡田大将はすぐに海相官邸にかけつけ、財部海相に「こんなことを言うのは心苦しいが……」と切り出した。

 財部海相は「覚悟はできている。が、腹を切るのに何月何日にやると予告するのはどうかね。辞職した後で必ず条約を承諾するという保証はない。批准と同時に辞めると元帥に伝えてほしい」と答えた。

 翌七月五日午前八時半、岡田大将と谷口軍令部長は、最後の望みをかけて、麹町の東郷元帥邸を訪れた。

 岡田大将と谷口軍令部長は、財部海相がロンドン条約批准と同時に辞職する決意だと東郷元帥に伝えた。だが東郷元帥は次のように言った。

 「それはいいことじゃ。だが、辞職を決心したのなら、なぜ今すぐに辞めないのか。大臣が一日その職にあれば、それだけ海軍の損失である」。

 「でも、批准前の財部の辞職は難しい」と岡田大将は説明した。谷口軍令部長も「承認いただけないと、私も軍令部長をやめるしかありません」と繰り返して、引き揚げた。

 翌六日、財部海相が東郷元帥を訪れ、「なんとか条約が批准できるようお願いします。そうすれば私は辞めます。私一身のことは問題ではありません。ただ海軍に累を残したくないと考えるだけです」と切々と訴えた。

 東郷元帥は財部海相の言葉をじっと聞いていたが、財部海相が「陛下も批准をお望みになっている」というようなことを口にしたのにひっかかった。東郷元帥は次のように言った。

 「たとえ、お上の言葉であっても、それが正しくないと考えたら、おいさめ申し上げねばならぬ。軍事のことは軍事参議官会議がある。岡田は、大臣が辞めると政治上の影響が大きいと言うが、片々たる政府が倒れようと倒れまいと、海軍の崩壊には代えられない」

 「政府は自分の都合で海軍を引きずっているのだ。こんな政府は早く代わって明るい政府にした方が、どんなに海軍のためになるかしれない」。

 八日朝、青森・大湊軍港へ特命検閲に出張する岡田大将が、挨拶を兼ねてもう一度東郷元帥を訪ねて、次のように率直に言った。

 岡田大将「先日、海相に今すぐ辞めろとのことでしたが、それは無理です。海軍が政治の渦中に陥ることになり、世間では海軍が大臣に詰め腹を切らせたとしか見ません」。

 東郷元帥「わしは腹の中で(財部に)早く辞めてほしいと思っているが、口には何も言わん。わしは辞職せよと言えば、これは政治に関係したことになるが、大臣が自発的に辞めるのになんで政治上の問題になりますか。このごろ、わしの所へいろんなことを言ってくる人がいるが、わしはただ黙って聞いているだけじゃ。その点、わしも注意している」。

 岡田大将は、重ねて自重してほしいと頼んで大湊へ向かった(「岡田日記」より)。

 七月十四日、帰京した岡田大将と財部海相、谷口軍令部長、加藤大将の四者会談が開かれた。天皇に対する条約の奉答文と軍事参議官会議で表決権などについて話し合った。

 加藤大将は東郷元帥を訪ねて「ここまできたら止むを得ないので、奉答文の冒頭に『国防上欠陥あり』と一句入れることで海相と軍令部長に同意させました」と言った。

 すると東郷元帥は「それでいい。条約の協定のままだと、国防上欠陥がある、といっておけば、あとは何とかなる。大臣と軍令部長が責任をもって兵力の補充をすればよいのじゃ」と言った。

 昭和五年七月二十三日午前、宮中東二の間で、東郷元帥を議長に、海軍の軍事参議官会議が開かれ、ロンドン条約に関する奉答文をまとめた。要点は「条約の協定だと兵力の欠陥を生ず」と冒頭で強硬派をなだめ、後段では「国防用兵上ほぼ支障なし」という苦心の文面だった。

 東郷元帥と谷口軍令部長は、その日の午後二時二十二分の列車で葉山に向かい、御用邸で昭和天皇に奉答文を上奏した。これで、ロンドン条約問題は、海軍部内ではひとまずおさまった形になった。

 だが、以後、財部海相ら軍政畑を中心とする対米英協調派(条約派)と、東郷元帥、加藤大将らの強硬派(艦隊派)の主導権争いは政界ともからんで、激化していった。

 ロンドン海軍軍縮会議で、英米両国の補助艦五に対し、日本は三という不公平な決議に対する不満が元となり、それに統帥権干犯などという重大事件が起きた。

 昭和五年十一月十四日、浜口首相は東京駅ホームで、羽織・はかまの男にピストルで狙撃され重傷を負った。犯人は「屈辱・ロンドン軍縮」「統帥権干犯」を唱える愛国社員・佐藤屋留雄、二十三歳だった。